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安仁屋宗八

安仁屋 宗八(あにや そうはち、1944年8月17日 - )は、沖縄県那覇市出身の元プロ野球選手(投手)・コーチ・監督、解説者・評論家・ラジオパーソナリティ。少年時代は巨人ファンで、藤田元司に憧れを抱いていた。沖縄高校ではに南九州大会で宮崎大淀を降し、沖縄県の高校として初めて実力で夏の甲子園に出場。話題となったが、1回戦で広陵高に敗退。卒業後は琉球煙草に進み、の都市対抗に大分鉄道管理局の補強選手として出場。沖縄出身選手として初めて後楽園の土を踏み、2回戦(初戦)の日本生命戦でリリーフ登板するが、0-2で惜敗。に広島カープへ入団。当時アメリカの統治下にあった沖縄県出身プロ野球選手第1号として注目された。甲子園、都市対抗、プロ野球、全てが沖縄県人で初となった。1年目から一軍に定着し、主に中継ぎとして起用される。5月31日の国鉄戦(東京)で初登板・初先発を果たしたが、5回4失点で敗戦投手となった。6月14日の巨人戦(広島市民)で2度目の先発登板となり、9回1失点で初完投・初勝利を挙げる。当日はラジオで生中継され、那覇市内の電器店の前には黒山の人だかりが出来た。翌日には沖縄タイムスが1面で「安仁屋 待望の初勝利」と掲げ、運動・社会面でも詳報を伝えた。琉球新報では試合経過のほか、社会面で留守宅の様子を伝えた。勝利の瞬間に安仁屋の留守宅は親戚や兄弟が踊り出し、町中の各所でも抱き合って初快挙を喜ぶ姿もあった。テレビはマイクロ回線がまだ通じていないためにネット局から飛行機で運ばれるビデオが数日後に流された。琉球放送が2日後の6月16日昼、更に2日後の6月18日午後11時過ぎと2度も放映した。全国各地で沖縄県出身者による後援会が次々と誕生し、投げる前から話題が先行、そのプレッシャーたるや大変なものであったという。サイドスローから2種類のシュートとカーブ・スライダーを投げ分ける投球が持ち味で、2年目のから先発の一角に定着。5月11日の巨人戦(兼六園)では安仁屋に当たったライナーを捕手の久保祥次が処理したことによりキャッチャーライナーという珍しい記録になっている(飛球#珍記録参照)。に32試合、にはチーム最多の25試合に先発するが、チームの不調もあって両年とも8勝に留まる。1966年7月31日の巨人戦(広島市民)では9回2死まで無安打無四球に抑えたが、あと一歩のところでノーヒットノーランを逃すなど、当時唯一ラジオ中継があった巨人戦では死ぬ気で投げたという。には根本陸夫新監督の下、得意のシュートを武器に強気の投球で初の2桁勝利となる23勝・防御率2.07(リーグ2位)を記録し、21勝を挙げた外木場義郎と共に球団初のAクラス入りに貢献。その後は・と2年連続10勝を挙げたが、1970年オフに痛風を患って以降は4年連続1桁勝利に留まるなど低迷。にはキャンプ中にジョー・ルーツ一軍打撃コーチと対立してしまい、同年オフに若生智男とのトレードで阪神タイガースに移籍。移籍後は中継ぎエースとして活躍し、は12勝・防御率1.91で最優秀防御率とカムバック賞のタイトルを獲得。には10勝7セーブを記録した。オフに金銭トレードで広島に復帰したが、酒の飲み過ぎが祟って春先に十二指腸潰瘍を発症し、大きく出遅れてしまう。復帰後は公式戦での登板機会に恵まれなかったが、1980年の日本シリーズ第1戦にリリーフ登板。引退。現役中から酒豪で鳴らし、二日酔いで練習中に腹筋をしながら居眠りをしたという逸話も残した。球界きっての麻雀の名人という顔も持っていたが、通算119勝は幼い頃に憧れていた藤田と同じであり、巨人戦で通算34勝を挙げ「巨人キラー」と呼ばれた。引退後は広島で二軍投手コーチ( - , )・一軍投手コーチ( - , )・二軍監督( - )を歴任し、3度のリーグ優勝(1984年, , )と1984年の日本一に貢献。コーチ時代は投手陣を引き連れて流川でのハシゴは勿論の事、遠征中も夜にホテルの部屋の選手を見回り、部屋に選手が残っていると「遊びに出ろ!」と命令。川口和久は公私ともお世話になった恩師と名前を挙げている。退団後は中国放送解説者・デイリースポーツ評論家( - )も務めた。2005年に復帰した際は春季キャンプで投手全員に先発としての調整を指示し、2500球もの凄まじい投げ込みを命じて投手陣再建を計った。タフな黒田博樹・大竹寛はキャンプを無事乗り切り自身最高の成績を残したが、選手層は厚くならず投手陣全体としては失敗に終わった。この年の安仁屋はあごに白いヒゲを蓄え、赤い広島のユニフォームと相まって「安仁屋サンタ」と一部から呼ばれていた。からはRCC解説者・デイリースポーツ評論家の活動を再開し、郷里・沖縄にクラブチーム「安仁屋ベースボールTRY」を結成。からは平成ラヂオバラエティごぜん様さまの月曜パーソナリティとしてレギュラー出演もしている。解説や評論の仕事をするようになっても、毎年広島の春季キャンプで臨時投手コーチを務めている。市民球場へは毎試合1日も欠かさず観戦に行っており、新球場(マツダスタジアム)に移転後も毎試合行くという。野球漫画、テレビドラマ、映画などで知られる「ROOKIES」の安仁屋恵壹の苗字は安仁屋からとったものである。また、津田恒実の現役時代や闘病の模様をテレビドラマ化した「最後のストライク」(フジテレビ)において宇崎竜童が演じた安仁屋の役は、酒乱で誰も寄せ付けず酒場では独壇場であるが、その反面情に脆いという役であり、安仁屋の人の良さが浮き彫りになった役柄であった。見舞いに行った安仁屋に、ほとんど口もきけない状態だった津田が「あにやさん、のみすぎんように」とつぶやいたエピソードが知られている。

出典:wikipedia

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