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M4中戦車

M4中戦車(M4ちゅうせんしゃ、Medium Tank M4)は、第二次世界大戦時にアメリカ合衆国で開発・製造された中戦車(30トン級)で、通称はシャーマン (Sherman)。第二次世界大戦が勃発した1939年、アメリカ陸軍は戦車の保有数が少なく、唯一の中戦車であるM2中戦車も時代遅れとなっており、陸上戦力には不安があった。これは、アメリカがヨーロッパから大西洋を隔てていた事や、当初は中立的な立場(孤立主義)を取っていた事にも起因するが、ナチス・ドイツにより欧州の連合国が次々と陥落し、さらに東南アジアに進出した日本との関係悪化などから、1940年頃には連合各国へのレンドリース法を適用した支援やアメリカ自身の参戦に備えて、全周旋回砲塔に大型砲を搭載した戦車が必要と認識された。しかし、当時のアメリカでは大直径の砲塔リングを量産できる体制が構築されていなかったことから、M4が開発されるまでの繋ぎとして車体に75mm砲を搭載するM3中戦車(25トン級)が先行生産された。その後、M3のシャーシをベースに75mm砲を搭載した大型砲塔を持つ新戦車T6の開発と同時に航空・自動車産業を中心に生産体制の整備が急ピッチで行われた。1941年10月にM4中戦車として制式採用されたが、鋳造生産能力の不足からT6と同じ鋳造一体構造の上部車体を持つM4A1と板金溶接車体のM4とが同時に量産される事になり、M4A1はアメリカ参戦直後の1942年2月から量産が開始され、M4は1942年7月から量産が開始された。車体前部左右に正操縦席と副操縦席兼前方機関銃座が設けられている。砲塔内には車長・砲手・装填手の3名が搭乗。砲塔上面ハッチは車長用のみ設置されたが、左側に砲手・装填手用ハッチが追加され、車長用ハッチは防弾窓付きキューポラに発展した。左側面に設けられた対歩兵射撃用の開閉式ガンポートは防御力向上のために一時廃止されたが、弾薬搬入や薬莢搬出に便利だったことから短期間で復活している。履帯は、全金属製の物とゴムブロックを含む物とに大別され、さらに滑り止めパターンの形状の違いなどで多くの種類がある。初期の圧延装甲溶接車体の前面は避弾経始を考慮して56度の傾斜が付けられ、操縦席・副操縦士席部分が前方へ張り出した構造になっていたが、後に生産性の向上と車内容積の増加(76mm砲塔や湿式弾薬庫搭載のため)などの目的で、傾斜角47度の一枚板に変更されており、併せてA1の鋳造車体も含めて操縦士用ハッチの大型化が行われた。これらは一般的に「前期型」「後期型」と呼ばれているが、これらの改良も各生産拠点による差異や現地改修などにより千差万別であり、車体分類なども後世の研究によるもので定まっていない。後部に配置されたエンジンからドライブシャフトを介して最前部の変速機に動力を伝える、M3を踏襲した前輪駆動型式を採用し、航空機用である星型エンジンの使用を前提とした設計のために、エンジンデッキとドライブシャフトの位置が高くなっている。サスペンションは、前期型ではM3と同形式のVVSSが採用されたが、強化対策による重量増加に対応するため、後期型ではより耐久性の高いHVSSが採用された。無線機は砲塔後部の張り出しに納められていたが、送信機・受信機共に備えていたのは隊長車など全体の四割にすぎず、1944年後半になってから全車が送信機も備えるようになった。主砲は75mm戦車砲M3(M61弾で初速619m/s)が当初採用され、次いで高射砲から発展した76mm戦車砲M1(口径3インチ=76.2mm、M62弾で初速792m/s)を搭載した車輌も生産された。火力支援用として105mm榴弾砲を装備した形式も作られている。後に採用された76.2mm砲は75mm砲に比べて装甲貫徹力に優れていたが、砲弾が長く搭載数が比較的少なくなったこと(71発)、発射時の砲煙が多いこと、榴弾の炸薬量が75mm砲より少ないなどの欠点もあることから、それぞれの砲を搭載した車輌が並行生産された。大型化した76.2mm用砲塔は、75mm用砲塔と共通の砲塔リングであるが、前期型車体では搭載スペースが不十分なため、前面装甲板の一体化などで車内容積が増えた後期改良型車体にのみ載せられていた。砲身を含むと全長が7.47メートルとなる。イギリス軍では75mm砲搭載型を無記号、76.2mm砲型をA、105mm砲型をB、17ポンド砲型をCと分類していた。シャーマンICは、シャーマンI(M4)ベースのファイアフライ、シャーマンIIIAはM4A2ベースの76.2mm砲型ということになる。また、イスラエル国防軍では、車体に関係なく搭載火砲の種別のみで、M1、M3、M4と分類していた(これはM50/M51スーパーシャーマンも同様である)。タングステン鋼芯入りの高速徹甲弾(HVAP)M93を用いた場合は、スペック上はドイツ軍の88mm砲並みの貫徹力(距離914m、30°で135mm)が得られたが、砲身の寿命が半減するという欠点もあり、加えて発射時の反動が大きいため砲口にマズルブレーキが追加された。この砲弾は第二次世界大戦中はM10駆逐戦車などに優先して供給され、シャーマンへの供給は十分では無かったが、後の朝鮮戦争では十分に供給され、T-34を撃破する威力を見せた。副武装に、1挺の12.7mm機銃、2挺の7.62mm機銃を搭載していた。しかしイギリス軍で使用した車輌では12.7mm機銃を装備していない物が大半である。M4A1とA2の極初期型にはM3中戦車のように車体前方に2挺の7.62mm固定機銃が付いていたが、すぐに廃止された。主砲弾薬庫は前期型車体では左右袖部(スポンソン)に設けられていたため、敵弾貫通時に誘爆し60-80%という高い炎上率により戦車が大破するケースが多かった。応急対策として車体側面に補助装甲板が溶接されるが、ドイツ軍の火力の前には、かえって照準ポイントを教える事になり逆効果であった。後期改良型車体では弾薬箱が床に移され、さらに全体を不凍液(グリセリン溶液)で満たして引火を防ぐ湿式弾薬庫が導入(湿式弾薬庫搭載型は末尾にWaterの略である「W」が付けられている)され、炎上率は約10-15%と大きく低下した。これとは別に、イギリス軍はシャーマン ファイアフライの改造時にスポンソン上の弾薬箱を撤去し、床上に装甲弾薬箱を新設している。一方で、根本的な装甲防御力の不足に関しては対策が成されないままであり、前線では予備の履帯や転輪、土嚢を増加装甲代わりに積載したり、コンクリートを厚く塗布するなど、なりふり構わぬ追加防御策が行われている。多くは調達や交換が容易で、パンツァーファウストの成型炸薬弾対策にもなる土嚢が用いられた。しかし、この効果に対しては賛否両論あり、逆に貫徹力を高める間合い(スタンドオフ)を作ってしまうという意見が出る反面、実戦で効果があったと主張する者もいた 。パットン将軍は、「軍人の所業らしくない」とこれを嫌って土嚢装甲を禁止し、麾下のアメリカ第3軍では撃破された友軍やドイツ軍の戦車の車体から切り出した鋼板を貼り付けていた。しかし、これらの現地改造も小細工の域を出ず、IV号戦車後期型と1対1の場面では劣勢で、「小隊全体(4~5両)で陽動と包囲を併用し物量作戦を基本とする」のが定石であった。アメリカ兵自身も「池のアヒルみたいに簡単にやられちまう」と自嘲し、捕虜になった戦車長がティーガーIを見上げて「こんなでかい砲と戦うのは不公平だ」と言ってドイツ兵を笑わせたという逸話もあったという。太平洋戦域では、日本兵の肉薄攻撃への対策として、ハッチに爆薬を密着させないように多数のスパイクや金網を周囲に溶接、そのほか車体側面に木の板を装着、またはこれを型枠のように取り付け、車体との間にコンクリートを流し込み磁力吸着式の破甲爆雷対策とした例も見られる。日本軍の対戦車兵器では正面からM4を撃破するのは困難だったが、垂直に立った厚さ38mmの側面装甲板は日本軍の47mm対戦車砲でも撃ち抜くことが可能で、特に沖縄戦では待ち伏せにより多数のM4が撃破されている。戦後、イスラエル国防軍が独自改良を行ったM50/M51スーパーシャーマンでは、火力はフランス製のAMX-13用75mm砲やAMX-30用105mm砲の装備により一線級を保っていたのに対し、装甲防御力については重量的限界からほとんど対策されないままであった。第二次世界大戦の連合国の主力となった戦車で、アメリカ合衆国の高い工業力を基盤にして大量生産された。生産に携わった主要企業は11社にも及び、1945年までに全車種で49,234輌が生産されている。各生産拠点に適したエンジン形式や生産方法を採る形で並行生産させたため、多くのバリエーションを持つが、構成部品を統一して互換性を持たせることにより高い信頼性が保たれていた。車輌単体での戦闘力はドイツ軍のV号戦車パンターやVI号戦車などに劣っていたが、数的優位を利用したチームワーク戦法で対抗した。信頼性・生産性など工業製品としての完成度は高かったが、兵器としてはアメリカ軍自身の戦車戦の経験不足もあって問題点も多く、特に経験豊富なドイツ軍が相手では一方的に撃破されることも珍しくなかった(特にドイツ軍重戦車の正面装甲をゼロ距離射で貫通できない事もあり、イギリス軍ではファイアフライへの改造が進められたほどである)。戦闘能力不足はアメリカ軍の上層部にも理解している者もいたが、AGF(Army Ground Force/陸軍地上軍管理本部)が性能を過信しており、兵器の数を揃え種類を統一して稼働率を上げることとしたドクトリンにより、強力な新型戦車の導入は遅らされ、M4の大量配備が優先された。その一方で戦場からの要望に伴い、順次改良(装填手用ハッチ追加、全周ビジョンブロック付き車長用キューポラの導入、弾薬誘爆を防ぐ湿式弾薬庫の採用、76mm砲と新型徹甲弾の導入など)が施されている。北アフリカおよびヨーロッパに加えて太平洋戦争にも投入された。また、イギリス、カナダ、オーストラリアなどイギリス連邦加盟国のほか、ソビエト連邦に4,000輌以上、自由フランス軍やポーランド亡命政府軍にもレンドリースされた。「M4の75mm砲は理想の武器」「敵重戦車も76mm砲で撃破できる」とするAGFの判断はM26パーシングの配備を遅らせ、終戦まで連合国軍の主力戦車として活躍した。第二次世界大戦後も朝鮮戦争や印パ戦争、中東戦争などで使用され、特にイスラエル国防軍はM4の中古・スクラップを大量に収集再生し、初期の地上戦力の中核として活用、その後独自の改良により「最強のシャーマン」と呼ばれるM50/M51スーパーシャーマンを生み出している。第一線を退いた後も装甲回収車などの支援車両に改造され、最近まで各国で使用されていた。M4A3E8型はMSA協定により日本の陸上自衛隊にも供与されて1970年代半ばまで使用され、同年代末に61式戦車と交代する形で全車が退役した。2015年末の時点パラグアイで少数がM3軽戦車とともに訓練用戦車として使用されている。このほかにも、M4の車体にフランス製AMX-13軽戦車の砲塔を搭載した「ニコイチ」戦車がエジプトで製造され、第二次中東戦争でイスラエル国防軍がM4の砲塔にAMX-13の主砲を装備させたM50スーパーシャーマンと交戦した。エジプトで使用されたM4戦車の中には、M4A4の車体にM4A2用のディーゼルエンジンを載せるという独自改修の行われた物も多い。

出典:wikipedia

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