大師線(だいしせん)は、東京都足立区の西新井駅と大師前駅を結ぶ東武鉄道の鉄道路線である。駅ナンバリングの路線記号はTS 。未成に終わった西板線計画の一部である。全線単線である。この路線は、西板線(伊勢崎線西新井駅 - 東上本線上板橋駅間 11.6km)計画のうち、用地確保が完了した用地を使用し、西新井大師(総持寺)参詣者の輸送を目的として1931年に開業した。1968年の環七通り拡幅の際に線路用地の一部を提供したため、営業キロが100m短縮され1kmとなり、1991年には西新井駅近辺を除き高架化されたために東武鉄道では唯一、踏切が全線において存在しない路線となった。途中駅は無い。大師前駅には自動改札機・自動券売機・自動精算機は設置されておらず(入口にその旨が掲示されている)、同駅の乗車券発売や改札などの機能は、西新井駅構内の乗り換え通路上に大師前駅からの乗車券が購入できる券売機や連絡専用の自動改札機を設置して対応している。よって、大師前駅からは、定期券乗車客や企画切符乗車客以外は有効な乗車券を持たずに乗ることになる。他に同様の形態をとる駅としては、名鉄築港線の東名古屋港駅や山陽本線(和田岬線)の和田岬駅、阪神武庫川線の洲先駅・東鳴尾駅が挙げられる。2003年からはワンマン化され、通常は2両編成の8000系(ワンマン対応車)1本が西新井駅と大師前駅の間を終日往復している。なお、13時14分西新井発の列車と、この列車と入れ替わりで回送される13時06分大師前発の2本のみ車両入れ替えのため西新井駅2番線を使用する。車両は亀戸線と共用のため、亀戸線で朝ラッシュのみ運用される車両が運用終了後に亀戸駅に留置され、昼過ぎに西新井駅まで回送されて大師線の運用に入るダイヤとなっている。通常、大師線は西新井駅においては1番線を使用するが、出入庫時に使用する本線への線路と接続の関係で車両交換の際には2番線を使用する。ちなみに1番線は本線の線路とは接続されていない。正月などの多客時には、通常は車両交換の際にのみ使用される西新井駅2番線を使用して、2本運転が実施される。ワンマン化以前は10000系の入線もあった。しかし空転が多く、1989年頃に西新井駅の車止めに滑走のため衝突する事故が起きたため、大師線の運用には入らなくなった。それ以前にも、5050系など、2両編成の様々な車両が運用されていた。2010年度の各駅の1日当たりの乗降人員を以下に示す(単位:人)。第二次世界大戦前には西新井駅 - 東上本線上板橋駅間を結ぶ西板線の計画があった。ほぼ現在の環七通りに沿って途中に大師前、鹿浜、神谷、板橋上宿(いずれも仮称)の各駅が計画され、このうち1922年(大正11年)11月に西新井 - 大師前 - 鹿浜間のみの工事施工申請をし用地買収や設計にとりかかった。だが、申請と免許の間に起きた関東大震災による既存路線の被災復旧を優先したことや、当時建設中だった荒川の堤防などの護岸整備が完成しておらず架橋の設計ができないことや、荒川と隅田川(旧荒川)を跨ぐ橋梁の建設費用の問題や、予定地の町関係者からの経路変更要求への対応画策などでもたついているうちに大正末期から昭和初期にかけて路線予定地が急速に市街地化し、「建設費が高額となり、採算の見込みがない」との理由で鹿浜 - 上板橋間の起業を廃止した。後に大師前 - 鹿浜間も同様の理由で起業廃止を申請、免許を取り消された。この計画中止について『東武鉄道65年史』では、「発展史唯一の遺憾事」と書かれている。西板線の線形は、東上線の下り方(川越方面)と伊勢崎線の上り方(浅草方面)とを運行する際に折り返しがないように計画された。上板橋駅の上り方に、東上線からの分岐予定地として買収した土地は、起業廃止後常盤台住宅地として分譲されることになり、そのアクセスとして武蔵常盤駅(現ときわ台駅)が設置された。
出典:wikipedia
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