ダンスインザムード(、香港表記:隨心起舞)は、日本の元競走馬で現在は繁殖牝馬。2003年12月20日に中山の2歳新馬戦を6馬身差勝利でデビューすると、3歳初戦となった若竹賞も勝利。この時騎乗していた岡部幸雄に復帰後初勝利をもたらした。その後武豊を主戦に据え、フラワーカップを制し重賞初勝利。牝馬クラシック競走に向かう。その緒戦、桜花賞では単勝2.9倍の1番人気に支持され、2着アズマサンダースに2馬身差をつけて4戦無敗で桜花賞を制した。これはメジロラモーヌ以来となる18年ぶりの関東馬の桜花賞勝利ともなった。この後東京優駿(日本ダービー)に出走するのではないかと騒がれたが、優駿牝馬(オークス)に出走する。単勝1.4倍の圧倒的1番人気に推されるもののダイワエルシエーロに逃げ切りを許し4着に敗退。レース前から大量の発汗が目立つほどイレ込んでいた。また馬体重も+12kgと増えていた。このころから気性難が騒がれ始める。優駿牝馬後は日本調教の3歳牝馬としては異例のアメリカ遠征を選択。そのアメリカンオークス招待ステークスでは惜しくも2着となった。帰国後は牝馬三冠目の秋華賞にぶっつけで挑み、単勝1.7倍の1番人気に支持されるがスイープトウショウの4着に敗れる。調教師の藤沢和雄が次走に選択したのは天皇賞(秋)。ここでは単勝13番人気となるが、ゼンノロブロイの2着に好走し藤沢厩舎所属馬のワンツーとなった。その後はマイルチャンピオンシップに挑み、デュランダルの2着に入る。マイルチャンピオンシップの後は香港国際競走の香港カップに出走し、14頭中13着と惨敗するも、同年のJRA賞最優秀3歳牝馬を受賞した。藤沢は「スタンド前発走が合わない」と語っており、4歳の初戦は京王杯スプリングカップとなったが9着、続く安田記念はシンガリ負けを喫するなど、ここからしばらく掲示板にも載れないという惨敗を続けるようになった。府中牝馬ステークスでは初騎乗となった北村宏司騎手の判断で、今までと違い最後方からの競馬を行い8着に敗れるが、出走馬最速の上がり3ハロン32秒7の末脚を繰り出す。結果的にこのレースを境に好調時の勢いを取り戻した本馬は次の天皇賞(秋)でヘヴンリーロマンスの3着と久々に好走し、続くマイルチャンピオンシップでも4着となった。2006年初戦は読売マイラーズカップ。秋華賞以来、武豊が騎乗したが、ダイワメジャーの2着に敗れた。しかし次走、この年に創設されたJRAGIヴィクトリアマイルでは北村宏司の手綱に導かれ、内から鋭く伸びて優勝。GI2勝目を挙げ、当レースの初代女王、北村は初のGI勝利となった。続いて安田記念に出走するも5着に敗れる。その後、アメリカンオークスへ出走するアサヒライジングに帯同する形で再びアメリカへ遠征、キャッシュコールマイル招待ステークス (G3) では3コーナーから大外を追い上げ、4コーナーで先頭に立つとそのまま押し切り優勝した。日本に帰り、毎日王冠に出走。ダイワメジャーと再び競り合う形となったが最後はクビ差敗れて2着となった。続いての天皇賞(秋)では最後の直線コースで伸びを欠き6着に敗れた。次走は得意のマイル戦のマイルチャンピオンシップに挑戦し、またもダイワメジャーにクビ差届かず2着となった。その後、引退レースとなった香港マイルに挑戦したが、内の馬の煽りもあってか12着に敗れた。2006年12月21日付けで競走馬登録を抹消され、引退。なお、この年のJRA賞最優秀4歳以上牝馬に選ばれている。2007年より社台ファームで繁殖入りし、初年度はファルブラヴと交配された。2008年4月2日に初仔を出産し、この産駒の父ファルブラヴはG1競走を8勝しており、母のダンスインザムードもGI競走を2勝していることからG1競走10冠ベイビーとして話題になっている。このファルブラヴとの間に生まれた第1子はダンスファンタジアという名前で中央に登録され、2010年10月31日のデビュー戦から2連勝を飾り、その後2011年1月10日のフェアリーステークスを制した。また、第5回ヴィクトリアマイルの当日の第12競走であるJRAプレミアムレース「東京ロイヤルプレミアム」の人気投票で最多得票を獲得し、『ダンスインザムードメモリアル』の副名称を付与して施行することとなった。2006年は、マイラーズカップ、安田記念、毎日王冠、マイルチャンピオンシップの4競走でダイワメジャーの1つ後ろの着順に入線した(特に安田記念以外の3競走はダイワメジャー→ダンスインザムードの順による1-2着であった)ため、「同父の禁断の恋」などと囁かれた。引退レースの香港マイルで惨敗した時も、騎乗した武が「ダイワメジャーを探していたのかな?」と冗談を口にしたほどである。
出典:wikipedia
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