『カラマーゾフの兄弟』(カラマーゾフのきょうだい、)は、フョードル・ドストエフスキーの最後の長編小説。1879年に文芸雑誌『』()に連載が開始され、翌1880年に単行本として出版された。『罪と罰』と並ぶドストエフスキーの最高傑作とされ、『白痴』、『悪霊』、『未成年』と併せ後期五大作品と呼ばれる。複雑な4部構成(1〜3編、4〜6編、7〜9編、10〜12編)の長大な作品であるが、序文によれば、続編が考えられていた。信仰や死、国家と教会、貧困、児童虐待、父子・兄弟・異性関係などさまざまなテーマを含んでおり、「思想小説」「宗教小説」「推理小説」「裁判小説」「家庭小説」「恋愛小説」としても読むことができる。三兄弟を軸に親子・兄弟・異性など複雑な人間関係が絡む中で、父親殺しの嫌疑をかけられた子の刑事裁判について三兄弟の立場で向き合うことが本筋と目されているが、この本筋からやや離れたサイドストーリーも多く盛り込まれている。無神論者のイヴァンと修道僧のアリョーシャが神と信仰をめぐって論争した際に、イヴァンがアリョーシャに語る「」(、第2部5編5章)は、イヴァンのセリフ (神がいなければ、全てが許される) によって文学史的に特に有名な部分である。この作品に題をとった映画や劇が数多く作られている。サマセット・モームは『世界の十大小説』の一つに挙げている。強欲かつ好色な成り上がり地主フョードル・カラマーゾフは、直情的な長男のドミートリイとそりが合わず、遺産相続や、グルーシェンカという女の奪い合いで、いがみ合っていた。ある日、三男の修道僧アレクセイの師、高僧ゾシマの仲介で、ばらばらに育ったカラマーゾフの兄弟3人が一堂に会すこととなった。しかし、顔を合わせるや、フョードルとドミートリイは大喧嘩を始め、物別れに終わる。ドミートリイは、父がグルーシェンカをものにしたら父を殺すと言い、実際フョードルを殴ったことがあったが、彼にはカチェリーナという婚約者がいた。ドミートリイは、カチェリーナに対し、君を真剣に愛している次男のイヴァンのほうが君にふさわしいとの伝言を、末弟のアレクセイに頼む。アレクセイがそれを伝えにカチェリーナの元に行くと、そこにはグルーシェンカが来ていた。グルーシェンカはカチェリーナに、ドミートリイとは結婚しないと言っておきながら、ドミートリイの伝言を聞くとカチェリーナをあざ笑ったため、女二人も対立することとなる。カチェリーナはイヴァンと接近しつつあったが、ドミートリイをまだ愛しているのか、酒場でドミートリイに乱暴をされたスネギリョフなる男がそのことで訴えないようスネリギョフに見舞金を送ることをアレクセイに頼む。スネギリョフの息子イリューシャは、父親を侮辱したドミートリイを憎んでいたため、級友たちとの喧嘩を止めようとしたアレクセイに石をぶつけた少年だった。スネギリョフもこれをもらったら息子に向ける顔がないと見舞金を踏みつけにする。師ゾシマの容態も悪化し、凶兆を感じるアレクセイは、今度はイヴァンから無神論の持説を聞かされる。虐げられている子供たちのために神は何かしているか? 続く「大審問官」なる創作物語は、イエスを思わせる人物が、異端審問官から「おまえこそ異端だ」と火刑にされかけるというもので、アレクセイはイヴァンの神経を心配する。事実イヴァンは、フョードルの私生児と噂されているカラマーゾフ家の料理人スメルジャコフの「フョードルが再婚したら財産は後妻に行くからフョードルは殺されていい」という囁きを肯定する気持ちがあり動揺していた。そんな夜、スメルジャコフがてんかんの発作で倒れ、ドミートリイ来襲の監視役を失ったフョードルは不安に陥っていた。高僧ゾシマは、ドミートリイにかつて跪いた理由であるところの自分の経験談を語った後死すが、その死体の激しい腐臭のため、還俗したアレクセイも神への疑念を抱きだす。ドミートリイはカチェリーナと縁を切るため、カチェリーナに返す金を工面しようと奔走するも果たせず、父の金を盗もうとカラマーゾフ家に忍び込む。しかし使用人のグリゴーリに見つかり逃走、次にはグルーシェンカが昔の愛人と会っていると知って、その現場へ急行する。そこで恋敵を追い払い、グルーシェンカからついに愛の告白を受けるが、その直後、警察に逮捕される。容疑は父フョードル殺し。証言はドミートリイに不利なものばかりであった。病床に臥す少年イリューシャを、アレクセイの尽力で仲直りした級友たちが見舞いに来る。イリューシャもその父スネギリョフも素直に歓迎する。ただアレクセイは、イヴァンの無神論にも似た考えを口にするリーダー格の少年コーリャの将来が心配になる。犯人をドミートリイとするイヴァンは、スメルジャコフだと見るアレクセイと絶交してしまうが、不安になってスメルジャコフを問い質す。スメルジャコフは犯行を自白するが、殺人を許可したのはイヴァンだと言う。怒ったイヴァンは明日の裁判で真実を言えと言うが、その直後自室に悪魔が現れ、我に返るとアレクセイがスメルジャコフの自殺を告げた。注目の裁判。関係者が次々と証言していく中、裁判はドミートリイに有利に傾いていくかに見えだすが、最後にイヴァンが事件当日盗まれた金を示して、犯人はスメルジャコフであり、それをそそのかしたのは自分であると喚きだすと、カチェリーナが一転、父を殺すと書いたドミートリイの手紙を示して、ドミートリイが犯人だと喚きだす。法廷内を感動させた名弁護士の最終弁論も及ばず、ドミートリイは有罪、シベリア流刑懲役20年を言い渡される。判決が出た後の登場人物それぞれの様相。病床に臥したイヴァンは自分にもしものことがあったら、カチェリーナがドミートリイの脱獄を助けてほしいと言い残す。少年イリューシャの葬式で少年コーリャは尊敬するアレクセイに、ドミートリイのように何かのために犠牲になって生きたいと語る。作者自身による前書きにもあるとおり、当初の構想では、この小説は、それぞれ独立したものとしても読める二部によって構成されるものであった。しかし、作者の死によって、第二部(第一部の13年後の物語)は書かれることなく中絶した。続編に関しては、創作ノートなどの資料がほとんど残っておらず、友人や知人に宛てた手紙に、物語のわずかな断片が記されているのみである。ドストエフスキー本人は、続編執筆への意欲を手紙に書き表していたが、その3日後に病に倒れた。残された知人宛への手紙では、「リーザとの愛に疲れたアリョーシャがテロリストとなり、テロ事件の嫌疑をかけられて、絞首台へのぼる」というようなあらすじが記されてあったらしいが、異説も出されている。この説を裏付ける要素として、ドストエフスキーが序文で、アリョーシャを本編から受ける印象とは全く異なる「奇人とも呼べる変わり者の活動家」と評していることが挙げられる。この評は、1866年4月4日に起きた皇帝アレクサンドル2世暗殺未遂事件の犯人に一致する。革命家ピョートル・クロポトキンは、拷問を受けた体で絞首台に上ろうとするカラコーゾフの凄惨な姿を、現場に居合わせた知人からの伝聞として回想録の中で強い印象をもって記している。カラコーゾフは、出版直後のニコライ・チェルヌイシェフスキーの長編小説「」の影響を受けていた。この事件は「ヴ・ナロード運動」の先駆「」に影響を与え、ピョートル・ラヴロフらの機関紙『前進 Вперёд』の宣伝で勢力を拡大し、1879年に組織化されて「人民の意志」が結成されると、1881年3月13日に党員によって、アレクサンドル2世は暗殺された。エピグラフで用いられている福音書の「一粒の麦」の喩えは、カラコーゾフがロシア革命運動で果たした役割を暗示するとも読める。シベリア抑留による「改心」によってドストエフスキーに長く貼られて来た「反動的作家」という一方的なレッテルは、晩年、自らをニヒリズム運動を主導した革命家ネチャーエフの亜流と称している点も併せて、一考察の余地があるかも知れない。一方、亀山郁夫 は、その著書『「カラマーゾフの兄弟」続編を空想する』の中で、アレクセイにその将来を心配されたコーリャ少年が成人して思想家的テロリストとなり、皇帝暗殺を謀り、その嫌疑をアレクセイが受けるというものではないかと推測している。いずれにせよ、実際に書かれることのなかった続編の内容を我々が知ることは永遠に不可能である。それでも、20世紀の日本を代表する文芸評論家の小林秀雄は、この小説を「およそ続編というようなものがまったく考えられぬほど完璧な作品」と評している。ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインは、第一次世界大戦従軍時の数少ない私物の一つが本書であり「最低でも50回は精読した」と言っている。また、村上春樹は「これまでの人生で巡り合った最も重要な本の3冊」として、F・スコット・フィッツジェラルドの『グレート・ギャツビー』とレイモンド・チャンドラーの『ロング・グッドバイ』と並んで本書を挙げている。さらに、東京大学の教員を対象に行われたアンケートでは、全ての分野の本の中で『カラマーゾフの兄弟』が「新入生に読ませたい本」の1位に選ばれてもいる。2006年から2007年にかけては、新訳(亀山郁夫訳)が古典文学としては異例のベストセラーになった。ただし、これについては、その後、国際ドストエフスキー学会副会長・木下豊房から、余りに誤訳が多いなどの批判がなされた。2006年には「スターリン論」を「」になぞらえた『大審問官スターリン』が出版された。2008年、宝塚歌劇団雪組で舞台化された。フョードル・ドストエフスキーの作品は、正教会側からも高く評価されるものであり、時には「正教の神髄の代弁」とまで評される。特に『カラマーゾフの兄弟』については、正教会における人間の救いについての基本的な考えが一応網羅されているとされる。長老ゾシマのモデルが長老アンヴロシイ、およびザドンスクのティーホンであるとされるほか、「神の像と肖」といった概念や、「永遠の記憶」といった永眠者のための祈りなどの文言が、作品にも盛り込まれている。何度も映画化・テレビドラマ化されている。そのうち日本で劇場公開された記録や日本で放送される予定のテレビドラマ化のあるものを以下に記す。
出典:wikipedia
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