音楽隊(おんがくたい)は、諸外国の軍楽隊に相当する陸上自衛隊の部隊である。陸上自衛隊の職種の一つ「音楽科」(おんがくか、)の隊員で編成され、音楽演奏を主な任務とする。同様に海上自衛隊と航空自衛隊にも、それぞれ音楽隊が編成されている。陸上自衛隊音楽隊の任務は次のとおりである。陸上自衛隊には次の21隊の音楽隊がある。祭事やオリンピックなどの大規模な行事の際は、複数の音楽隊の合同編制となる場合もある。これら以外で音楽隊を名乗るもの(「○○駐屯地音楽隊」など)は隊員の課外活動であり、音楽演奏を主な任務としている音楽科の部隊ではない。主な装備品は楽器・人員輸送車等。音楽科の隊種標識の色は藍。職種徽章は、リラ(古代メソポタミア・エジプト・ギリシアなどで用いられた竪琴)の下部に桜星を配し、外側を円で囲ったもの。音楽隊の隊旗の意匠は、桜色の地色に濃黄の帽章、紺青の横線。音楽科隊員の演奏時の制服は、別途定められており、階級章も装飾の付いた特別なものが用いられる。音楽隊員になるためには、自衛官採用試験に合格するだけでなく、各音楽隊で実施される部隊説明会で実技を行う必要がある。音楽隊員になることができる自衛官採用試験の区分は、自衛官候補生、一般曹候補生および一般幹部候補生である。自衛官候補生と一般曹候補生は入隊後、採用区分別に、戦闘訓練など自衛官としての基礎教育を3か月間、一般隊員とともに教育隊で受ける。一般幹部候補生は、将来の隊長候補たる幹部自衛官に必要な知識と技能を身につけるために、陸上自衛隊幹部候補生学校で約10か月間の教育訓練を受ける。その後、中央音楽隊において音楽科教育を受け、修了後に各音楽隊へ配属される。例年、300人程度の受験者の中から、陸上自衛隊音楽隊全体で30~40人程度が採用される。採用者のほとんどは音楽大学・音楽短期大学および音楽専門学校の出身者である。陸上自衛隊では、すべての音楽隊員が理論と演奏の初・中・上級教育を受けるほか、編曲法、ドリルコンテ作成、音響機材操作など専門実務の教育も行っており、音楽隊員に対して次の教育課程がある。また、これら内部教育に加えて、幹部自衛官には武蔵野音楽大学と東京芸術大学での研修制度もあり、それぞれ1年間、指揮や作曲などの教育を受ける。日々の訓練においては演奏訓練が主体であるが、自衛隊員として共通の訓練も行う。通常の楽団では裏方に相当する業務、すなわち演奏会の企画などのデスクワークから、車両の運転やステージの設営に至るまで、演奏者である音楽隊員が分担して行う。また、陸上自衛隊の他の職種と同様に駐屯地の警衛(24時間の当直警備)も行う。音楽の前に自衛官としての任務が優先されるため、警衛勤務の直後に演奏会本番に臨むこともある。自衛隊の多くの職種では、1佐以下の階級の者の定年は60歳未満(2曹・3曹の53歳から1佐の56歳まで4段階)であるが、音楽の職務にたずさわる自衛官の定年は、階級にかかわらず60歳と定められている。東京都練馬区の陸上自衛隊朝霞駐屯地に所在する、防衛大臣直轄部隊の一つ。音楽科要員の教育を担当するための「教育科」が設けられているため、隊編制ではあるが各職種学校と同等の扱いを受けている。国賓等に対する「特別儀じょう演奏」の任務を与えられている日本で唯一の音楽隊であり、また、日本を代表する吹奏楽団を称する。各陸上自衛隊音楽隊から選抜された約100名(うち、演奏者は約70名)の隊員で編成されている。方面音楽隊長は3等陸佐および2等陸佐を基準として補職される。1952年に札幌市に発足した警察予備隊第2管区音楽隊が前身。1972年の札幌オリンピックでは中心的音楽隊として活動した。1960年(昭和35年)に創隊し、宮城県仙台市宮城野区の仙台駐屯地に駐屯している。東北6県を広報担当区域として、年間約100回の派遣演奏を行っている。1988年(昭和63年)には女性自衛官によるカラーガード隊『婦人自衛官フラッグ隊』(現東北方面フラッグ隊)が発足。隊員は東北方面隊の各部隊から選抜され、広報基幹要員として東北方面音楽隊と共に活動している。関東地方、甲信越地方及び静岡県の1都10県を広報担当区域としている。1952年12月に発足した保安隊第3管区総監部音楽隊を前身として、1960年1月に現名称に変更。北陸・東海・近畿・中国・四国の2府19県を広報担当区域としている。大阪府における1970年の万国博覧会や1990年の花の万国博覧会への参加の他、毎年6月に開催される「3000人の吹奏楽」に通算38回出場。2016年現在、陸上自衛隊に2名在籍しているボーカリストのうちの一人・鶫真衣が在籍している音楽隊である。1953年(昭和28年)に福岡駐屯地に発足した音楽隊を前身とし、現在は52人の編成で九州全域を広報担当区域としている。各隊長は1尉または2尉をもって充てられる。第1音楽隊は、現在、東京都・神奈川県・埼玉県・静岡県・山梨県・千葉県・茨城県の1都6県を演奏担当区域とし、練馬駐屯地に駐屯している。第2音楽隊は、1954年に発足した「第2管区音楽隊」がその起源である。1975年に、第2師団長直轄正規編成の「第2音楽隊」となる。2002年には東チモール、2004年にはイラク(自衛隊イラク派遣)へ隊員を派遣した。2014年8月に、自衛隊史上初の女性音楽隊長として富田淳子1尉が着任した。第3音楽隊は、1960年4月に第3師団音楽隊として発足し、1975年に現在の正規編成・名称となり現在に至る。近畿2府4県にわたる広報活動のほか、各種行事にも積極的に参加している。第6音楽隊は、1954年に保安隊第6管区音楽隊として発足し、1962年に第6師団音楽隊、さらに1975年に現名称となり現在に至る。山形県・秋田県・宮城県・福島県の4県にわたる広報活動のほか、各種行事にも積極的に参加している。第7音楽隊は、1959年5月に発足した「第7混成団音楽隊」がその起源である。1962年1月には東千歳駐屯地に移駐し、同年8月には第7師団音楽隊に改称された。その後、1971年1月には日本国で開かれた初の冬季オリンピックである札幌オリンピックを支援した。1975年8月には、「第7音楽隊」が編成完結した。1993年4月には、UNTAC第2次カンボジア派遣にも隊員を派遣した。2000年3月には、有珠山噴火災害派遣に際して隊員を派遣した。現在、第7師団管内の胆振・日高および南空知地方を中心とした広範な地域で演奏活動を行っている。北熊本駐屯地に駐屯。第9音楽隊は、1957年に第9混成団音楽隊として発足し、1962年に第9師団音楽隊、さらに1975年に現名称となり現在に至る。長年、青森県・岩手県において広報活動を行ってきたが、1997年3月からは秋田県も担当区域に加わった。なお、青森県には同隊の他にも海上自衛隊大湊音楽隊(むつ市)、航空自衛隊北部航空音楽隊(三沢市)がそれぞれ駐屯しており、東京都以外で唯一、三自衛隊の音楽隊が揃っている。第10音楽隊は、1959年1月第10混成団音楽隊として発足、1962年1月第10師団音楽隊と改称し守山駐屯地に移駐。1975年8月師団音楽隊の改編により第10音楽隊として独立新編され現在に至る。10師団管内の東海・北陸地域を主に、年間100回以上の演奏活動を行っている。第12音楽隊は、1975年に発足した。以来、群馬県・栃木県・長野県・新潟県という九州地方とほぼ同じ規模の広範囲を担当地域としている。群馬県榛東村にある相馬原駐屯地(第12旅団司令部)に駐屯し、地域に密着した広報活動はもとより、担当区域外の東京・埼玉・神奈川・山梨等でも広報活動を行っている。1都10県の陸海空音楽隊が対応できない広報を最終的に請け負う音楽隊のため、演奏数はもとより、移動距離・時間は他の音楽隊の群を抜いている忙しい音楽隊である。ここ数年では、平成16年の新潟県中越地震、平成19年の中越沖地震において、現地避難所へ慰問演奏のため派遣されているが、上級部隊である東部方面音楽隊などの各音楽隊がマスコミの多く集まる大きな避難所での慰問演奏を実施し注目される中、それをよそに被災状況が著しく、マスコミも逆に皆無で移動困難な地域の小さな各避難所や老人ホームを朝から晩まで巡回演奏を地道に実施していたのは、この音楽隊である。平成18年の第10次イラク復興支援群へも要員を派遣していた。日本唯一の空中機動力を高めた旅団の音楽隊であり、音楽隊員は音楽以外にもヘリコプター又は、高所からロープを使って降下するリペリング能力を有している。第14音楽隊は、1981年3月の第2混成団創設と同時に発足した第2混成団音楽隊を起源とし、2006年3月27日に第2混成団が第14旅団に改編されたことに伴い、「第14音楽隊」となった。四国における唯一の自衛隊音楽隊である。1972年3月に臨時第1混成群音楽隊として北熊本駐屯地において編成され、同年10月に那覇駐屯地に移駐。1980年3月より第1混成団音楽隊。沖縄本島および島嶼部の巡回演奏を精力的に行い、ステージ演奏やマーチングの他、コンボ編成による軽音楽など、さまざまなスタイルで演奏活動を行っている。各種行事・イベントへの参加の他、在沖縄県アメリカ合衆国海兵隊軍楽隊とのジョイント・コンサートなども行っている。2010年3月26日、第15旅団への改編に伴い「第15音楽隊」に改称。
出典:wikipedia
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