汕頭市(シャントウし、スワトウし、せんとうし)は、中華人民共和国広東省東部に位置する地級市。深圳市や珠海市と同じ、80年代初めに経済開放された都市である。中華人民共和国の5大経済特区の1つ。広東省東部の潮汕平原の沿海部に位置し、西と南は掲陽市、北は潮州市に接する。東は南シナ海で、海上に浮かぶ南澳島も市域に属する。北には桑浦山、長得竜山、竜坑山、香炉山といった山がある。韓江はここで南シナ海に注ぐ。大河である榕江と、支流の紅蓮池河、鮑斉河が市街地を流れ、以前は榕江で東西に分断される形となっていたが、現在は汕頭海湾大橋が架かり、一体化している。榕江の河口には媽嶼島、徳州嶼などの島々が点在する。亜熱帯のモンスーン気候に属し、夏に雨が多いほか、秋には台風の影響を受け、年平均降水量は2420ミリメートルある。年平均気温は21.3℃で、冬も温暖である。汕頭の市区部は古代には沿海沖積地だった。宋代には村落が形成され、掲陽県江都に属した。元代になると大きな漁村が形成され、廈嶺といった。民初には蓬州守御千戸所が設置され、1563年(嘉靖42年)、潮州府に澄海県が設置されると、これに帰属した。清の康熙年間に沙汕頭砲台が築かれ、雍正年間には汕頭と簡称するようになった。1756年(乾隆21年)、清政府は榕江河口の媽嶼島に常関を設立した。第二次アヘン戦争を経て、それまで使用していた潮州港の治安が悪化し、代替港として1860年に対外開港された。海外には潮州語音を英語風に表した として知られるようになった。これ以降、広東省東部の玄関口としての地位を得て発展をするようになり、1919年冬に汕頭市政局が設けられ、1921年7月市政庁が設置され、澄海と分れた。1930年正式に市政が施行され、広東省政府に属した。中華人民共和国成立後、1958年、汕頭専区が設けられ、名実共に潮汕地区の中心地となった。1981年に経済特区が設置されたが、深市や珠海市に比べ経済発展は限定されたものであった。1991年、行政区域の分割が行われ、潮州市、掲陽市が新たに地級市とて独立した。歴史的に華僑を多く輩出している土地であり、海外との交流が密接である。海外にいる華僑、華人及び香港、マカオ、台湾に居住している出身者は335万人を数え、世界40か国余に広がっている。とりわけ、タイ王国に在留している出身者が多い。これらの地域との独特の地縁を生かして、汕頭は対外開放初期から力を発揮してきた。友好都市としては、日本の岸和田市、カナダのセント・ジョン市、大韓民国の平沢市と提携している。6市轄区・1県を管轄する。2009年7月から初乗り2kmまで5元、1km毎に2.4元になったが、メーターを使わず、価格をふっかけることが常態化している。市街地の東西、汕頭駅から汽車総站までをメーターで走ると約20元。住民の多くは潮州にルーツがあり、広義の南語の一種である潮州語を話す。潮州語で演じる地方劇の潮劇があり、その伴奏音楽である潮楽も盛んである。食べ物は、海の幸を生かした潮州料理の本場であり、汕頭で改良された「小吃」(軽食)や点心も多い。味はあっさりしていて、日本人の口にも合うものが多い。工夫茶と呼ばれる喫茶の習慣も根付いている。
出典:wikipedia
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