ボン・ジョヴィ(Bon Jovi)は、アメリカ合衆国のロックバンド。1984年デビュー。1986年発表の3rdアルバム『ワイルド・イン・ザ・ストリーツ』(原題:Slippery When Wet)がBillboard 200で8週連続1位を獲得し、シングル「禁じられた愛」(You Give Love A Bad Name)、「リヴィン・オン・ア・プレイヤー」(Livin' On A Prayer)もBillboard Hot 100で1位となって一躍有名となる。さらに、1988年発表の4thアルバム『ニュージャージー』もBillboard 200で4週連続1位、シングル「バッド・メディシン」(Bad Medicine)、「アイル・ビー・ゼア・フォー・ユー」(I'll Be There For You)もBillboard Hot 100で1位となり、人気を不動のものとした。日本では1984年8月にロック・フェスティバル『SUPER ROCK '84 IN JAPAN』出演のために初来日し、熱烈な歓迎を受けた。初のゴールドディスク獲得や単独公演は日本で経験しており、バンドとの縁が深い国となっている。1989年にはアルバム「ニュージャージー」が第3回日本ゴールドディスク大賞「グランプリ・アルバム・オブ・ザ・イヤー」(洋楽部門)となり、「グランプリ・アーティスト・オブ・ザ・イヤー」(洋楽部門)も受賞した。2003年には日本国外のアーティストでは初となる5大ドームツアーを開催している。2004年にはアメリカン・ミュージック・アワードから「功労賞」を受賞されており、2006年には「UK音楽の殿堂」入りをしている。2007年にはジェニファー・ネトルズとデュエットした「フー・セズ・ユー・キャント・ゴー・ホーム」(Who Says You Can't Go Home)で第49回グラミー賞「最優秀カントリー・コラボレーション賞」を受賞。2009年にはジョン・ボン・ジョヴィとリッチー・サンボラが、ナショナル・アカデミー・オブ・ポピュラー・ミュージック(NAPM)設立による「ソングライターの殿堂」入りをしている。世界各国で開催しているライヴは、2008年の『Lost Highway Tour』、2010年の『The Circle Tour』、2013年の『Because We Can: The Tour』が、その年最も収益をあげたツアーに選ばれている。1980年代の初めに、ジョン・ボン・ジョヴィは16歳から知り合いで同い年のデヴィッド・ラッシュバウム(デヴィッド・ブライアン)らとニュージャージー州でライヴ活動を行っていた。1983年になるとアレック・ジョン・サッチが参加。彼がティコ・トーレスを連れてきてライヴ活動に参加した。その後、ジョン・ボン・ジョヴィ&ジ・ワイルド・ワンズとしてのショウを観に来ていたリッチー・サンボラがデイヴ・セイボに代わってバンドに加入し、デビュー時のメンバーが揃った。1984年、アルバム『夜明けのランナウェイ』(原題:Bon Jovi)でデビュー。リード・トラック「夜明けのランナウェイ」は1985年に麻倉未稀が日本語でカバーし、TBS系ドラマ『乳姉妹』の主題歌に使用された。同年8月にはロック・フェスティバル『SUPER ROCK 84 IN JAPAN』出演のために初来日。熱烈な歓迎にメンバーは感銘を受けた。この年、バンドはスコーピオンズのサポートとしてアメリカをまわり、キッスのサポートとしてヨーロッパをまわった。また、日本ではアルバムがバンド初のゴールド・ディスクを獲得した。1985年、 2ndアルバム『7800°ファーレンハイト』(7800° Fahrenheit)を発表。タイトルの「7800°」とは、岩(ロック)も溶けてしまう温度である。アルバムに収録されている「TOKYO ロード」は、日本のファンへ感謝の意を込めて作られた。なお、本作からデヴィッドは現在の名前に改名している。メンバーはアルバム発表直後に来日し、バンド初の単独公演を日本で開催した。その後ヨーロッパをまわり、イギリスのドニントン・パークで開催されたロック・フェスティバル『モンスターズ・オブ・ロック』にも出演した。また、ラットのサポートとして全米もまわっている。1986年、プロデューサーにブルース・フェアバーンを迎えて制作された3rdアルバム『ワイルド・イン・ザ・ストリーツ』(原題:Slippery When Wet)を発表。アルバム発売直前には日本武道館を含む日本公演を行っている。その後、西ドイツ(当時)のニュルンベルクで開催された『モンスターズ・オブ・ロック』に出演、38スペシャルの前座として全米ツアーを行った。このツアー中にアルバムがBillboard 200で1位を獲得し(8週連続)、シングル「禁じられた愛」(You Give Love A Bad Name)、「リヴィン・オン・ア・プレイヤー」(Livin' On A Prayer)もBillboard Hot 100で1位となり、バンドは一躍有名になった。1987年は年始からワールド・ツアーを開始。8月にはニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデン3日間公演を行い、イギリスのドニントン・パークで開催された『モンスターズ・オブ・ロック』にはヘッドライナーとして出演した。9月には再び来日し、日本公演を行った。10月のツアー終了までにアルバム『ワイルド・イン・ザ・ストリーツ』は全世界でおよそ1,800万枚セールスしたとされている。1988年9月、4thアルバム『ニュージャージー』(New Jergey)を発表。Billboard 200・全英アルバムチャートで1位を獲得。シングル「バッド・メディシン」(Bad Medicine)と「アイル・ビー・ゼア・フォー・ユー」(I'll Be There For You)もBillboard Hot 100で1位を獲得し、人気を不動のものとした。日本では、「バッド・メディシン」がSANYO CDラジカセ「ZooSCENE」・家庭用ビデオ規格「S-VHS」CMソングに、「リヴィン・オン・ア・プレイヤー」が富士フイルム「AXIA」CMソングに起用され、ともにCMにメンバーが出演した。また、大晦日には東京ドームでフェス形式のカウントダウン・ライヴを行い、ラット、キングダム・カムらと共演した。1989年は前日に続き元日からフェス形式のライヴを開催。その後、大阪・名古屋で単独公演を行った。この年、ボン・ジョヴィは第3回日本ゴールドディスク大賞でアルバム『ニュージャージー』が「グランプリ・アルバム・オブ・ザ・イヤー」(洋楽部門)を受賞し、「グランプリ・アーティスト・オブ・ザ・イヤー」(洋楽部門)も受賞した。8月にはモスクワで開催された『モスクワ・ミュージック・ピース・フェスティバル』にヘッドライナーとして出演。オジー・オズボーン、モトリー・クルー、スコーピオンズ・スキッド・ロウらと共演した。9月にはジョンとリッチーがMTV Video Music Awards授賞式で「リヴィン・オン・ア・プレイヤー」と「ウォンテッド・デッド・オア・アライヴ」(Wanted Dead Or Alive)をアコースティック・アレンジでパフォーマンス。これにヒントを得てMTVが『MTVアンプラグド』を制作し、放送が開始された。1990年、2年に及ぶロング・ツアーが2月に終了。連日のハードスケジュールでメンバーが消耗しきってしまい、バンド解散の噂が流れる様になる。8月にジョンは映画『ヤングガン2』にインスパイアされて制作したソロ・アルバム『ブレイズ・オブ・グローリー』(Blaze Of Glory)を発表。Billboard 200で1位を獲得する。シングル「ブレイズ・オブ・グローリー」(Blaze Of Glory)もBillboard Hot 100で1位となった。12月、解散騒動の最中、地元ニュージャージー州のカウント・ベイシー シアターでクリスマス・チャリティー・コンサートを開き、以後この時期のチャリティー・コンサートは恒例となる。年末には来日し、大晦日に再びボン・ジョヴィをヘッドライナーとしてシンデレラ、スキッド・ロウらと東京ドームでフェス形式のカウントダウン・ライヴが開催された。1991年、年明けから横浜・名古屋・大阪で単独公演を開催。しかし、ボン・ジョヴィの本格的な活動再開にまでは至らなかった。9月にはリッチーが1stソロ・アルバム『ストレンジャー・イン・ディス・タウン』(Stranger In This Town)を発表する。そして、同年秋にメンバーがバハマ諸島でバンドについて話し合いの場を設け、そこで再び結束することを誓い合った。1992年、新しくマネージメント会社BJM(ボン・ジョヴィ・マネージメント)を設立。プロデューサーにボブ・ロックを迎えて制作された5thアルバム『キープ・ザ・フェイス』(Keep The Faith)を発表。アメリカではオルタナティブ・ロックが全盛期であったが、Billboard 200最高位5位と健闘し、全英アルバムチャートでは1位を獲得した。12月にはプロモーションのためにメンバーが来日した。ツアーは1993年2月から行われ、6月に東京・大阪・広島・名古屋・前橋(群馬)・横浜で日本公演が開催された。1994年、デビュー10周年。5月に東大寺大仏殿前で開催されたイベント『GME'94 〜21世紀への音楽遺産をめざして〜 AONIYOSHI』(The Great Music Experience)にジョンとリッチーが出演。10月には初のベスト・アルバム『クロス・ロード』(Cross Road)を発表した。アルバムはアメリカ盤・日本盤・インターナショナル盤の3種類で発売され、アメリカ盤には「リヴィン・オン・ア・プレイヤー」をアコースティック調にリメイクした「プレイヤー '94」(Prayer '94)が、日本盤には「TOKYO ロード」(Tokyo Road)が、インターナショナル盤には「イン・ジーズ・アームズ」(In These Arms)が収録された。アルバムは全英アルバムチャート1位を獲得し、日本では初となるオリコンチャート1位を獲得し、ミリオンセラーとなった。アルバムに収録された新曲「オールウェイズ」(Always)はBillboard Hot 100最高位4位とヒットした。ところが、『クロス・ロード』発売と同時期にアレックの脱退が発表される。理由は「もっと自分の生活を楽しみたい」というものであった。後任のベーシストには、メンバーの旧友であるヒュー・マクドナルドをサポート・メンバーに迎えた。1995年5月、福岡・西宮(兵庫県)・東京で日本公演を開催。チケット代の一部が阪神・淡路大震災の被災者義援金となって寄付された。6月に6thアルバム『ジーズ・デイズ』(These Days)を発表。全英アルバムチャート1位を獲得し、日本でも2作連続となるオリコンチャート1位を獲得した。ツアーはロンドンのウェンブリー・スタジアム3日間公演など大規模なコンサートを開催した。一方、メンバー個人の活動としてジョンは俳優業を本格的にスタートしており、9月には映画デビュー作『ムーンライト&ヴァレンチノ』が公開された(日本公開は1996年10月)。ティコは絵画・彫刻アーティストとしてニューヨークなど数か所で個展を開催した。1996年5月、1年ぶりに来日し福岡・西宮・横浜で日本公演を開催。7月のツアー終了はバンド活動を休止し、ソロ活動となった。年末にはジョンの初主演作『妻の恋人、夫の愛人』が公開された(日本公開は1997年5月)。1997年、ジョンは俳優業をこなしながらレコーディングを行っており、6月にアルバム『デスティネーション・エニィホエア』(Destination Anywhere)を発表。七夕には日本武道館で1日限りの日本公演を行った。リッチーは7-9月期のフジテレビ系ドラマ『ビーチボーイズ』主題歌として、主演した反町隆史のデビュー・シングル「Forever」にギターとコーラスで参加。12月には2ndアルバム『アンディスカヴァード・ソウル』(Undiscovered Soul)を日本先行発売した。デヴィッドは1994年発表の『オン・ア・フル・ムーン…』(On A Full Moon)に続く2ndアルバム制作を進めていた矢先に指に大怪我を負ってしまい、およそ2年間治療とリハビリの生活を強いられることになった。1998年になるとリッチーがソロで来日し、東京・大阪・名古屋でソロ公演を開催した。1999年、バンド活動再開。映画『エドtv』主題歌に「リアル・ライフ」(Real Life)を提供(デヴィッドは不参加)。6月から本格的なレコーディングがスタートする。12月にはジョンとリッチーがJ-FRIENDSへ提供したシングル「Next 100 Years」がオリコンチャート1位を獲得する。2000年5月、およそ5年ぶりとなる7thアルバム『クラッシュ』(Crush)を発表。アルバムのプロデューサーにルーク・エヴィンを迎え、J-FRIENDSへ提供した「Next 100 Years」のセルフカバーや、テレビ朝日系ドラマ『29歳の憂うつ パラダイスサーティー』主題歌に起用された「サンキュー」(Thank You For Loving Me)を収録している。アルバム発売に合わせてプロモーションのためにメンバーが来日した。アルバムは全英アルバムチャート1位を獲得。リード・トラックのシングル「イッツ・マイ・ライフ」(Its My Life)はボン・ジョヴィの新たなアンセムとしてヒットした。7月から開催されたワールド・ツアーは日本からスタートし、4大ドームツアーを行った。8月にはウェンブリー・スタジアムで、解体前最後のコンサートを開催した。2001年3月から4月にかけて日本公演を開催。日本独自企画として、ロック・トラックのみを集めたベスト・アルバム『TOKYO ROAD〜ベスト・オブ・ボン・ジョヴィ-ロック・トラックス』が発売され、3月28日の横浜アリーナ公演では本編のセットリストをアルバム収録曲順に演奏した。5月には初のライブ・アルバム『ワン・ワイルド・ナイト』(One Wild Night Live 1985-2001)を発表(日本盤は2001年12月に発売)。7月には地元ニュージャージーのジャイアンツ・スタジアムでツアー最終公演を行った。9月11日にアメリカ同時多発テロ事件が起こると、各チャリティー活動に参加した。2002年2月、ソルトレイクシティオリンピック閉会式でパフォーマンス。9月にはニューヨークのタイムズスクエアで開催されたイベント『NFL Kickoff Live From Times Square』にヘッドライナーとして出演。日本では8thアルバム『バウンス』(Bounce)を発売。2001年に起きたアメリカ同時多発テロ事件の影響を受けたアルバムとなった。アルバム発売に合わせて来日し、日本盤発売日の9月11日にはZepp Tokyoで一夜限りのスペシャル・ライヴを行い、大阪・名古屋・福岡・仙台のZepp会場で生中継された。また、アルバム収録曲の「バウンス」(Bounce)がフジテレビ系ドラマ『ダブルスコア』挿入歌に、「ディスタンス」(The Distance)がアサヒ「スーパードライ」CMソングに起用された。2003年1月、アルバム『バウンス』を引っ提げて日本国外のアーティストでは初となる5大ドームツアーを開催。アルバムのディスクジャケットや「エヴリデイ」(Everyday)のミュージック・ビデオにも登場した超大型干渉電波望遠鏡群を彷彿とさせるパラボラアンテナのステージセットが持ち込まれた。さらに、横浜アリーナではアコースティック編成でのライヴも行った。日本公演後はアメリカに渡り『第37回スーパーボウル』試合終了後にパフォーマンスした。6月にはアイルランド共和国ダブリンで開催された『第11回スペシャルオリンピックス夏季大会』開会式に出席してパフォーマンス。ロンドンではハイド・パーク公演を開催した。ワールド・ツアーは、8月のジャイアンツ・スタジアム公演で終了した。10月には、これまでの曲をアレンジしたアルバム『ディス・レフト・フィールズ・ライト 〜バック・アット・ザ・クロス・ロード』(This Left Feels Right)を発表。1月に行った横浜公演のライヴ音源をボーナス・トラックに収録している。2004年、デビュー20周年とトータルセールス1億枚突破を記念して、デモ音源や未発表音源を多数収録した4枚組ボックス・セット『ザ・プレミア・コレクション 〜100,000,000 ボン・ジョヴィ・ファンズ・キャント・ビー・ロング』(100,000,000 Bon Jovi Fans Cant Be Wrong)を発表。リッチーやデヴィッド、ティコがメインボーカルとなっている曲も収録されている。2005年7月、世界同時に行われたチャリティー・コンサート『LIVE 8』にフィラデルフィアから出演。9月には、プロデューサーにジョン・シャンクスを迎えて制作した9thアルバム『ハヴ・ア・ナイス・デイ』(Have A Nice Day)を発表。1995年発売の『ジーズ・デイズ』以来10年ぶりとなるオリコンアルバムチャート1位を獲得した。リード・トラック「ハヴ・ア・ナイス・デイ」(Have A Nice Day)もオリコンシングルチャート10位となり、23年ぶりに洋楽バンドのシングルがオリコンシングルチャートTOP10入りする快挙となった。「ハヴ・ア・ナイス・デイ」はTOYOTA「RAV4」CMソングに起用された。2006年4月、東京・名古屋・大阪・札幌のドーム球場で日本公演を開催。来日直前にリッチーが左腕を骨折するアクシデントが発生したが、無事にパフォーマンスした。アメリカではジェニファー・ネトルズとデュエットしてカントリー・ミュージック調にアレンジした「フー・セズ・ユー・キャント・ゴー・ホーム」(Who Says You Can't Go Home)がロック・アーティストとしては初めてビルボードのHot Country Songsチャートで1位を獲得した。2007年、第49回グラミー賞において「Who Says You Can't Go Home」(Bon Jovi & Jennifer Nettles)が「最優秀カントリー・コラボレーション賞」を受賞した。6月には10thアルバム『ロスト・ハイウェイ』(Lost Highway)を発表し、ロンドンではOアリーナのこけら落し公演を行った。その後来日し神戸・東京でのスペシャル・ライヴに参加した。なお、アルバムは通算4作目となるオリコンアルバムチャート1位を獲得。ビートルズ、ベイ・シティ・ローラーズの記録を抜いて、洋楽バンドとしてオリコンアルバムチャート首位獲得数歴代単独1位となった。また、Billboard 200でも『ニュージャージー』以来19年ぶりに1位を獲得し、初の日米同時チャート1位となった。10月には地元ニュージャージーにオープンしたプルデンシャル・センターで10日間のこけら落し公演を行い、ワールド・ツアーが開幕した。2008年1月、名古屋・東京・大阪のドーム球場で日本公演を開催。7月には地球温暖化防止活動のためのチャリティー・コンサート『ライブ・アース』にジャイアンツ・スタジアムから出演。ニューヨークのセントラル・パークではニューヨーク市やMLB、多数の企業の協賛による大規模なフリー・コンサートを開催した。ワールド・ツアーは7月末に終了し、『Lost Highway Tour』はビルボード誌による2008年に開催されたすべてのアーティストの中で最高の興行収益をあげたコンサートになった。2009年3月、パチスロにボン・ジョヴィが登場(BON JOVI (パチスロ))。4月から開催された『トライベッカ映画祭』に『Lost Highway Tour』の模様を追ったドキュメンタリー映画『ホエン・ウィー・ワー・ビューティフル』(When We Were Beautiful)が出品された。10月にはデヴィッドが音楽・作詞を手掛けたブロードウェイ・ミュージカル『メンフィス』(Memphis)が上演開始となった。11月には11thアルバム『ザ・サークル』(The Circle)を発表。リード・トラックの「ウィー・ワーント・ボーン・トゥ・フォロー」(We Weren't Born To Follow)はWii専用ゲームソフト「ファイナルファンタジー・クリスタルクロニクル クリスタルベアラー」に起用された。アルバム発売直前にはメンバーがプロモーションのために来日した。アルバムは3作連続となるオリコンチャート1位を獲得(3作連続のオリコンアルバムチャート1位は、洋楽アーティスト史上初)。さらに、通算5作目のアルバム首位獲得はサイモン&ガーファンクル、マライア・キャリーと並び洋楽アーティスト歴代1位タイとなった。Billboard 200でも1位を獲得した。2010年、2月からワールド・ツアー開始。5月にはジャイアンツ・スタジアムの老朽化に伴って新築されたニュー・メドウランズ・スタジアム(メットライフ・スタジアム)公演を行った。6月にはOアリーナで12日間公演を行った。なお、6月13日公演のみデヴィッドは不参加となった(第64回トニー賞授賞式出席のため)。日本では、独自企画としてボックス・セット『アクセス・オール・エリア〜スペシャル・エディション・コレクターズ・ボックス』が発売された。11月には『クロス・ロード』からおよそ16年ぶりとなるベスト・アルバム『グレイテスト・ヒッツ』(Greatest Hits)を発表。CDでは2枚組となる『グレイテスト・ヒッツ -アルティメット・コレクション』(Greatest Hits –The Ultimate Collection)も発表され、さらにアメリカ盤・インターナショナル盤・日本盤で収録曲が異なる内容になっている。日本では「禁じられた愛」が日清食品「カップヌードル」CMソングに替え歌で起用され、1995年のウェンブリー・スタジアム公演の映像が使用された。11月30日・12月1日には東京ドーム公演が行われた。『The Circle Tour』はビルボード誌による「Top 25 Tours of 2010」第1位となった。2011年、東日本大震災の復興支援を目的としたチャリティー・アルバム『ソングス・フォー・ジャパン』(Songs For Japan)に参加。4月にはリッチーがアルコール依存症治療のためツアー不参加となり、代役としてフィルXが参加した。ツアーは7月末のポルトガルリスボン公演で終了した。2012年9月、リッチーが3rdソロ・アルバム『アフターマス・オブ・ザ・ローダウン』(Aftermath Of The Lowdown)を発表。この時点でボン・ジョヴィのニュー・アルバムはほぼ完成していたが、バンドとしては2013年から活動再開することになった。2013年1月、「ビコーズ・ウィー・キャン」(Because We Can)を全世界に音楽配信。2月から『Because We Can: The Tour』を開始。3月に12thアルバム『ホワット・アバウト・ナウ』(What About Now)を発表。Billboard 200で1位を獲得した。ところが、リッチーが4月2日のカナダカルガリー公演から不参加となり、フィルXが代役として再び参加した。9月にはティコの入院により南米ツアーが延期され、一部が中止となった。代役には地元ニュージャージー出身のリッチ・スキャネラが参加していたが、10月8日のカリフォルニア州フレズノ公演から復帰した。12月3日・4日には京セラドーム大阪・東京ドームで日本公演が行われ、日本公演が延べ100回となった。このツアーは、ポールスター誌による2013年に開催されたすべてのアーティストの中で最高の興行収益をあげたコンサートになった。2014年、デビュー30周年。7月にはニューヨークの名称となってから350年を記念して、町に縁のあるアーティストのライヴを上映する『NY LIVE!』の第4弾として、ボン・ジョヴィ『インサイド・アウト』が日本国内の劇場で公開された。また、ボン・ジョヴィ初となる“デラックス・エディション”シリーズとして、4thアルバム『ニュージャージー』のデラックス・エディションを発売。アルバム制作当時、バンド側は2枚組でのアルバム発売を構想していたが、レコード会社の指示で1枚になったという。今回のデラックス・エディションには、『サンズ・オブ・ビーチズ』(Sons Of Beaches)として制作されていたデモ音源や未発表曲が収録されている。8月にはリッチーがソロで来日し、サマーソニックに出演。その後、東京のライヴハウスで公演した。なお、リッチーについてジョンはショービズ411によるインタービューで「もうやめたんだよ。リッチーはもういないんだ。でも、悪い感情は全然ないよ。バンドをやるのには、なにも終身の義務じゃなくてもいいってことだよ。」と述べているが、正式発表はない。2015年、新曲と未発表曲で構成されたアルバム『バーニング・ブリッジズ』(Burning Bridges)を発表。※日付は日本盤発売日。
出典:wikipedia
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