桟原 将司(さじきはら まさし、1982年8月21日 - )は、大阪府出身の元プロ野球選手(投手)。コメディアンのハナ肇の兄は桟原の祖父で、桟原から見ればハナは大叔父となる。大阪府出身。大阪桐蔭高校では後にチームメイトとなる岩田稔が1年後輩にいた。高校卒業後、社会人野球の新日本製鐵広畑に入社。にはエースとして最速150km/hの直球とスライダーを武器に5年ぶりとなる第74回都市対抗野球大会出場に貢献。本大会では日産自動車九州と対戦し初戦敗退。2003年のドラフト会議で阪神タイガースから4巡目指名を受け入団。背番号は40。は新人ながらリリーフ陣の一角として44試合に登板。夏場は成績を落としたものの、9月以降は持ち直して防御率3.48を記録するなど即戦力となった。は前年不調だった夏場は好調だったものの、9月以降失速し登板数は減少。しかし、9月6日には中日戦で日本プロ野球史上14度目、セントラル・リーグ史上9人目、球団史上石川緑以来2人目となる3者連続3球三振を記録。二軍では主に抑えとして21試合に登板、防御率2.29、リーグトップの12セーブを記録した。JFKに対して、橋本健太郎、江草仁貴らとあわせてSHEと命名された。千葉ロッテマリーンズと対戦した日本シリーズでは第3戦で初登板したが、福浦和也に満塁本塁打を浴びるなど打者4人に対し一死も取れずに降板。以後シリーズでの登板が無かったため、日本シリーズにおける生涯防御率は未算出のままである。はシーズン初登板となった5月5日の対横浜ベイスターズ戦で打ち込まれ二軍降格となったが、セ・パ交流戦後の7月に一軍昇格した後は14試合に登板して防御率1.10を記録した。はシーズン前にオーバースローへの転向を試みたりシンカーの習得に励むなど試行錯誤をし、二軍で25試合に登板して防御率1.82を記録した。しかし、一軍では苦手とする左打者に対する被打率が4割を超え、登板機会の多くが敗戦処理に終わり、は二軍でも精彩を欠き一軍での登板機会はなかった。は7月に2年ぶりの一軍昇格。9月21日の対横浜戦で救援登板し、清川栄治を抜いて初登板以来115試合連続無敗の日本プロ野球新記録を樹立した。その後、10月3日の対東京ヤクルトスワローズ戦で、後に西武でチームメイトになる鬼崎裕司にプロ初本塁打を打たれて敗戦投手となり、連続無敗記録は116試合でストップした(2015年に巨人の高木京介が記録更新)。は一軍登板6試合に留まり、9月10日の対ヤクルト戦で左ひざを痛めて、翌日に出場選手登録を抹消された。10月19日に大阪府内の病院で左ひざ関節鏡視下によるクリーニング手術を受け、23日より阪神鳴尾浜球場でリハビリを開始した。シーズンは手術の影響で育成選手契約でスタートしたが、6月に2軍で実戦復帰登板し、6試合で無失点と安定した成績を挙げ、7月30日に再び支配下選手に登録された。背番号は79となったが、一軍登板はなく10月9日に球団から戦力外通告を受けた。その後12球団合同トライアウトに参加し、11月24日、埼玉西武ライオンズが獲得を発表した。背番号は43。は一軍での登板は無く、10月2日に戦力外通告を受けた。その後、現役引退を表明した。からは、地元・大阪の飲食店に勤務し、2014年9月より大阪市北区堂島で飲食店『とり焼き さじ』を経営している。この模様は2015年2月11日 関西テレビ「よ〜いドン!」で紹介された。
出典:wikipedia
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