渡瀬 繁詮(わたらせ しげあき)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。由良成繁の次男。当初は親兄弟と同じく関東の後北条氏に仕えていたが、やがて中央に上って羽柴秀吉の家臣となった。天正13年(1585年)の紀州征伐(千石堀城の戦い)などで活躍した。その後、秀吉の命で豊臣秀次付の家老となり、天正18年(1590年)に秀次が尾張伊勢に封じられると、他の秀次付の家老らと共に東海道諸国に封じられ、遠江国・横須賀城主となる。文禄4年(1595年)、秀次事件の際、秀次の弁明を行うが、連座して改易されたうえ、切腹を命じられた。嫡男がいたが遺領の相続は許されず、義弟(正室の弟)にあたる家臣の有馬豊氏が繁詮の領地と家臣団を継承した。これは繁詮の領内悪政のためと言われる。子孫は帰農した。
出典:wikipedia
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