


クフィル()は、イスラエルのイスラエル・エアクラフト・インダストリー(Israeli Aircraft Industries,IAI)がミラージュIIIをベースに独自改良を行って開発した戦闘機。Kfirとはヘブライ語で子ライオンの意。日本語ではクフィールと表記されることもある。1960年代、イスラエル空軍ではミラージュIIIをはじめとするフランス製戦闘機を主力としていた。しかし、1967年の第三次中東戦争後、シャルル・ド・ゴール政権の中東外交政策転換によりフランスからイスラエルへの武器輸出が停止される。そのため、50機を発注済みであったミラージュ5(ミラージュIIIの電子機器を簡素化し、実戦環境での稼働率向上を狙った派生型)の引き渡しも行われなかった。これがクフィル開発の発端となった。IAIは、既にダッソー社との間に機体のライセンス生産の契約を結んでいたミラージュ5に、第三国から図面を盗み出し製造したアター9C エンジンを組み合わせることで、独自生産型ミラージュとも言うべきネシェル(、ヘブライ語で鷲の意)を完成させた。一方で、イスラエル空軍は高地・高温条件下や兵装搭載時におけるエンジンのパワー不足に不満を持っていた。そこで、同時期にアメリカ合衆国からF-4Eを導入した事から、ミラージュのエンジンをF-4Eに搭載されるJ79に換装し、能力向上を図る目的で計画された機体サルボが開発され、ネシェルとサルボの開発成果を組み合わせた機体であるクフィルの製作へと繋がった。フランス製のミラージュIIIにJ79を搭載したサルボは、1970年10月に飛行した。この試作機に続いて1973年6月にラーム(、ヘブライ語で雷鳴の意)と名づけられたプロトタイプが製作された。続いてバラク(、ヘブライ語で電光の意)と名付けられた機体がIAIによって生産され、1973年10月6日に勃発した第四次中東戦争中に運用された。クフィルの名称でJ79に最適化された機体の量産開始は、第四次中東戦争終了後の1975年4月のことだった。輸出も行われたが、アメリカによるJ79の再輸出許可が大幅に遅れたため少数の国にしか輸出されなかった。その中でアメリカ海軍・海兵隊はF-16Nが導入されるまでの間、F-21 ライオンの名称でクフィルをリースし、仮想敵機として運用した。その性能はMiG-21をよくシミュレートできると好評だったという。イスラエルでは既に退役しているが、未だ多数が保管状態にあるとされ、一部はレストアと改修を受け海外保有国に輸出されている。2014年4月3日にIAIのジョセフ・ワイスCEOが明らかにしたところによると、IAIはクフィルの再生産を開始しており、販売のための活動も行っているという。受注についての詳しい発表はないが、アルゼンチンからの受注があったことは認めている。外見は、原型となったミラージュ5と似るが、アター9Cより2t以上(A/B使用時)推力が大きいJ79を搭載したことにより飛行性能が向上し、ペイロードも約1,500kg増加した。J79を搭載するために、胴体には大きな改修が加えられている。エアインテークは拡大され、後部胴体は太くなり、熱に強いチタンも導入している。垂直尾翼基部にはアフターバーナー部冷却用の、後部胴体にはタービン冷却用の小型エアインテークが追加されている。また、重心を合わせるために尾部が0.6m短くなっている。生産型であるクフィルC2からはエアインテーク肩部にカナード翼、機首先端にストレーキ、主翼にドッグトゥースが追加され、離着陸性能や旋回性能、高迎え角時の操縦性が大きく向上した。これらの改修(特にカナード翼の追加)は、後に本家であるミラージュIII/5の近代化改修機にも取り入れられている。なお、C2の「C」はカナードを意味するため、初期型は単にクフィル1と呼ばれたが、後にカナード翼(C2のものより小さい)とストレーキが追加されてクフィルC1と呼ばれるようになった。電子機器も更新されており、エルタ製EL/M-2001B測距レーダーやMBT製二重コンピュータ操縦システムなどが搭載されている。1982年のレバノン侵攻でイスラエル空軍機が初めて実戦に投入され、A-4やF-4と共に対地攻撃を実施した。1995年にエクアドルとペルーの間で起きたセネパ紛争では、エクアドル空軍機がミラージュF1と共にペルー空軍機3機を撃墜する戦果を挙げている。この他、民間軍事会社ATACが民間登録された機体を使用している。
出典:wikipedia
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