広島駅(ひろしまえき)は、広島県広島市南区松原町にある西日本旅客鉄道(JR西日本)・広島電鉄の駅。広島電鉄は「駅」も正式電停名に入り、広島駅電停(ひろしまえきでんてい)となる。中国・四国地方最大の都市でもある広島市の中心駅。新幹線の全営業列車が停車し、在来線についても広島シティネットワークの中枢となるターミナル駅である。乗車人員数は中国・四国地方で第1位、JR西日本管内では大阪環状線鶴橋駅に次いで第7位。なお運輸取扱収入では大阪駅に次いで第2位である。紙屋町・八丁堀といった広島市中心部からは少し離れた位置にあるため、路面電車・バスに乗り換える必要があるが、近年は駅前再開発事業が進展し、2009年にはMAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島が徒歩圏内に開場するなど、新都心機能が拡充している。駅ビルとして、地上7階・地下1階建ての商業施設ASSEがある。JR西日本の広島駅は、山陽新幹線と以下に挙げる在来線各線の接続駅となっている。正式な線路名称上の乗り入れ路線は以上の2路線であるが、山陽本線の駅から分岐する以下の2路線の列車も当駅に乗り入れている。すなわち当駅からは合計5方面の在来線列車が発着している。また、特定都区市内制度における「広島市内」の駅であり、運賃計算の中心駅となる。在来線はICOCAの岡山・広島エリアに含まれている。広島電鉄の広島駅電停は広島電鉄本線の起点となっており、「M1」の駅番号が付されている。運転系統上は1号線・2号線・5号線・6号線が乗り入れる。広島駅は南区松原町にある。新幹線口(北口)側は隣接する二葉通りを境に東区になる。北側には側近に二葉山が有り、南側には側近に猿猴川(太田川水系)が流れ、比較的駅周辺の平地部分が長細い形になっている。また、開業時点では牛田村・矢賀村などが独立した村だったので、広島市の北側に位置していた。開業当時の地図を参照すると、府中村(現在の府中町)を通過後は、その当時の広島市内を抜ける線路のルートを取っている。また太田川水系手前に位置し、開業当時広島市の中心だった中区中島町から離れ、現在の中心部である中区紙屋町・八丁堀からも離れた位置にある。市中心部とのアクセスは、1912年(大正元年)に広島電気軌道(現在の広島電鉄)駅前と御幸橋間の路線が出来たことで結ばれた。2015年3月に開業した新白島駅が完成するまで、中区には山陽鉄道・国鉄時代を含めJRの駅が存在しなかった。広島駅を通過した後は当時の広島城の外堀(現在の城北通りあたり)を回避した白島地区を通っている。江戸時代は西国街道(山陽道)が近くを通り、街道沿いの愛宕(現在の「東区愛宕町」)には宿場町があり、他の国の人は広島城下に宿泊することが出来なかったので、宿泊することが出来る一番近い宿場町だった。現在でも地名として残り、愛宕踏切で街道と山陽線が交差している。駅の北側には、1890年(明治23年)に開設された東練兵場が広がり第二次世界大戦終戦まで存在した。東練兵場が出来る前までは田畑が広がっていた。また、江戸時代からある猿猴橋から広島東照宮まで、桜並木(現在の松原町あたりは松並木で途中から桜並木に変わる)があり天明年間(1795年頃)の地図にも記載があり、第二次世界大戦終戦まで存在していた。その他、現在も残る広島城主と縁のある広島東照宮・尾長天満宮・国前寺などが近くにある。駅の開業は1894年(明治27年)6月で、開業時点では山陽鉄道の終点だった。その当時の地図では広島駅通過後、京橋川の近くまで線路が延びていた。翌月には日清戦争が開戦し、国家的な要望で開業が急がれた。前記したとおり、市の中心部から離れた位置にあり、その理由について街道沿いの住民が鉄道を敬遠したのか、用地の買収が困難だったかどうかは不明である。ただ、軍部の意向によりルート変更してはいけないとする強い意向があったのは事実である。同様の理由で山陽鉄道では例外的な急勾配区間瀬野八も誕生している。開業時には、前年に宇品港(現在の広島港)が開業し、兵隊が集合することが出来る広い土地(練兵場)が近くにあった事より、兵士出兵の最前線として重要な駅だった。さらに広島駅と宇品港を結ぶ宇品線が同年8月に開業している(詳細は該当記事参照)。広島駅の南口側は、第二次世界大戦後には闇市が広がっていた。その闇市は、2013年まで営業された愛友市場(荒神市場)や、現在はエールエールA館がある地にあった1952年(昭和27年)に開業した「廣島百貨店」など吸収された。またスーパーマーケットのイズミや、ヨンドシーホールディングス(アスティ・フジ)も、その闇市での屋台をルーツに持っている。1969年(昭和44年)には、これまで貨物駅を兼ねていた広島駅を分離する形で、東広島駅(現在の広島貨物ターミナル駅)が開業した。山陽新幹線開業直前には「ホテルニューヒロデン」が開業した。「廣島百貨店」は1990年代まで営業していたが、広島商圏での市場占有率は低下。エールエールA館の建設で消滅したが、現在も引き続き営業している店舗も存在する。1999年には、エールエールA館に福屋広島駅前店が開業。広島駅の民衆駅化で設置された広島ステーションホテルが1999年(平成11年)に閉鎖されたが、2004年(平成16年)にJR系のホテルHOTELヴィアイン広島が開業した。現在、南口側の再開発計画(エールエールB館、広島駅再開発Cブロック)が進められている(詳細はエールエールを参照)。2009年(平成21年)には、東広島駅(現在の広島貨物ターミナル駅)貨物ヤード跡地にMAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島が開設。現在、商業施設の建設計画が進められている。現在の新幹線口側は、開業当初は駅舎はなかった。代わりに東練兵場の正面に凱旋門が存在していた。第二次世界大戦後の1947年(昭和22年)に初めての駅舎が作られた。当時の駅舎は、木造平屋の小規模な物で北口と呼ばれた。1975年(昭和50年)の山陽新幹線開業で現在の駅舎に建て替えられ、北口または新幹線口と呼ばれる様になった。開業当時の広島駅は南口のみの木造の簡易的な駅で、利用者の増加に伴い後年に木造の本格的な駅舎で建て替えられた。1922年(大正11年)に先代の鉄筋コンクリートの駅になった。先代駅舎の当初の設計者は渡辺節で、当時の京都駅を模した形状だった。後に久能にかわった。駅舎の建て面積は9,800m、延べ床面積は26,400mだったが、構造が頑強だったために拡張は困難だった。また、広島駅を模した形で、後年岡山駅の建て替えも行われた。原爆投下前の1941年(昭和16年)に正面玄関寄せ前に2階を張り出させる形で駅舎の拡張が行われた。広島市への原子爆弾投下での直接の爆風、さらには延焼による火災で駅舎は大破した。戦後は、貨車を駅長室代わりに業務を再開。1945年(昭和20年)末までには、雨をしのげるレベルでの仮復旧を行った。1948年(昭和23年)の昭和天皇の行幸時には、通路の化粧直しが計画されたが間に合わず、紅白の幕で対応。1949年(昭和24年)より本格的な復旧が行われた。同年7月までに駅舎正面に張出の出札室を整備された。現在の民衆駅は、1964年(昭和39年)5月22日に起工式を行い、1965年(昭和40年)12月に完成した。建築時点で、全国で39番目に設置される民衆駅でかつ、東京駅八重洲口・博多駅・新宿駅・天王寺駅・池袋駅に次ぐ規模の駅舎になった。単式・島式4面8線の地上ホームを持つ在来線の北側に島式ホーム2面4線の高架ホームを有する山陽新幹線が並ぶ。駅の南側に「南口」、北側に「新幹線口」がある。また1975年の山陽新幹線開業までは北側出入口がそのまま「北口」と呼ばれていたため、今日でも地元住民の会話や新聞の見出し、不動産広告で「北口」の名称が使われることもあり、新幹線口近くの広島銀行の支店名も「広島駅北口支店」のままである。新幹線専用の改札は新幹線口(北側)にのみ設置されているため、駅南側から新幹線を利用する場合には在来線の改札とコンコースを経由するか、地下自由通路を利用して新幹線口に抜けることとなる。南口・新幹線口ともにJR西日本系列のホテルが整備され、南口はHOTELヴィアイン広島が、新幹線口はホテルグランヴィア広島がある。また、駅長が配置された直営駅であり、管理駅として山陽本線の天神川駅、芸備線の西三次駅 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矢賀駅間各駅を管轄している。在来線は1番のりばが単式、それ以外が島式である。8番のりばは9番のりばの東端を切り欠いた切欠ホームとなっており、7・8・9番ホームは同じ面にある。6番線はホームのない中線で、機関車の付替や列車の入換などのために使われることがある。9番線は当駅ホーム西端から先に、途中7番線や山陽本線上り線からの渡り線を計3箇所合流しつつ西側(横川方面)に伸び、山陽新幹線の高架と交差する手前あたりで第3種車止めが設置され行き止まりとなっている。かつてこの線路からは、後述する旧10番線荷物取扱ホームなど在来線ホーム北側に位置していた線路群が分岐しており、9番線に到着する客車列車の機関車入れ替えの他に、それらの線路群の引き上げ線としての役割も持っていた。構造上は、山陽本線上り(呉線直通を含む)は3・4・5・7番線、山陽本線下り(可部線直通を含む)は1・2・3・4番線から出発可能であり、芸備線は7・8・9番線から出発可能である。現在では山陽本線下りが1番のりば、山陽本線上りが5番のりば、呉線が3・7番のりば、可部線は4番のりば、芸備線は9番のりばから発車する場合が多く、これらのホームの一部の駅名標は2015年3月から本格導入されたラインカラーを用いたものに置き換えられている。8番のりばから出発する列車はごくわずか(朝夕を問わず回送列車が到着する際に使用されることが多い)で、2番のりばも早朝や夕方の一部の山陽本線下りや可部線が発着するほかは貨物列車が通過する程度。大半は当駅終着後、広島運転所に回送する列車の降車用として使用される。貨物列車などの通過列車は基本的に、上りが4・5番のりば、下りが2番のりばを使用する。芸備線の列車は現在は8・9番のりばのみを使用しているが、かつては急行列車や客車列車を中心に7番のりばも使用していた。折り返し専用の発着信号機は山陽本線(岩国方面)と可部線は4番のりば、山陽本線(西条方面)と呉線は3番のりばのみに設置されており、到着後に回送せず同方面に折り返す列車は、すべて上述ののりばに停車する。当駅では東海道型に似た詳細放送が採用されている。CTC連動型で接近時と到着時・発車時に行われるほか停車中にも案内放送が流れる。接近時には放送の後に後述の4つのメロディが各ホームで流れる。島式ホームである2番~9番乗り場では2つのホームで同じスピーカーでの放送となっているため重複する場合は接近放送や発車放送が優先的に行われる。かつては、1番線ホーム東寄りの向かい側を切り欠いた頭端式ホームがあり、「0番ホーム」として宇品線専用ホームとして使用されていたが、同線廃止に伴い廃止となった。現在は埋め立てられ、駐車場になっていたが後に駐車場は廃止になり、立ち入りできなくなっているが、ホームのコンクリート面と白線が残されている。また、2番ホームの西側先端にも切欠ホームが存在するが、現在はフェンスで囲われており使用されていない。9番線ホームの北西側には、荷物取扱専用の「10番ホーム」が存在し、カートレインの自動車積み降ろしなどが行われていたが、荷物列車の廃止と新幹線口駅舎の周辺整備に伴い撤去された。小規模の待避線や引き込み線を有する扇型のホームで、当初より跨線橋や地下通路は接続されず、各種案内表示も取り付けられていなかった。このため駅改札口から入ることはできず、利用する場合は、広島駅西側高架道路下、新幹線駅舎と在来線線路の間にあった専用出入口を使用していた。なお、新幹線開業前の優等列車の号車案内が在来線ホームにいくつか残っている。新幹線ホームは、16両編成対応(ホーム長410m)の島式ホーム2面4線を有する高架ホームである。なお、現在の11・14番のりばのそれぞれ外側に1面1線ずつホーム・線路を増設して4面6線まで拡張可能な構造としている。JR化当初まで、上り新大阪・東京方面の一部の列車が12番のりばを使用して折り返していた。その名残で、JR時刻表巻頭の当駅構内図には、現在も「12番:東海道・山陽新幹線 下り・上り」と記載されている(2010年2月号より)。新幹線ホームには転落防止用の柵が取り付けられている。新幹線列車発車時には銀河鉄道999のメロディーが流れる。南口駅舎は地下1階・地上7階建てコンクリート造で、1階の東側の区画と1階以外のフロアをASSEが占める。建物そのものは1965年12月に落成し、「ひろしま駅ビル」と称していたが、1999年4月にASSEとしてリニューアルした。ただしこのときの改装範囲は駅正面の外観と駅ビルの商業施設ブロックおよびコンコース内の改装のみで、駅舎裏側は完成当初の姿を残している。2006年12月にはASSEが再び改装された。改札口は1階の「南改札」と地下1階の「地下道南改札」、跨線橋正面でASSEの3階に直結する「ASSE改札」の3箇所。いずれもICOCA対応の自動改札で、南改札は入場改札と出場改札で分かれている。2009年3月にはMAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島の開業に合わせ、南口で自動改札機の増設も行われた。みどりの窓口、Tis(日本旅行)はいずれも1階コンコースにあり、東西にATMコーナー(広島銀行・もみじ銀行・広島信用金庫・イオン銀行)を置く。駅舎内テナントはICOCA電子マネー対応。地上3階建てコンクリート造高架駅舎で1975年3月に落成した。1階にみどりの窓口と在来線用の「地下道北改札」、中国SC開発の運営する商業施設「広島新幹線名店街」、2階に「新幹線改札」と在来線用の「2階北改札」、新幹線と在来線間の乗換用に「のりかえ改札」を有する。ペデストリアンデッキ設置に向けて駅舎が増築中である。詳細は改良工事項目を参照。南口と新幹線口の間の線路上空に橋上駅舎(後述)を建設中であり、2014年11月2日に、改札内の連絡跨線橋部分までが完成し供用中。連絡跨線橋内にはコンビニ、飲食店が有る。通路幅は従来通りの10メートルだが、天井までは6.7メートルあり天井近くの窓からの採光で日中は照明不要になっている。詳細は改良工事項目を参照。自由通路完成時には中央改札になる2・3番ホーム階段と4・5番ホーム階段間の広場にはマツダが新型車を展示している。以前は新幹線口駅舎で展示してあったものである。この車両は入れ替えの度に新幹線口階段に板を置いてスロープを設置し、手動式ウインチで階段上のスロープを引き上げて移動させているという。広島電鉄本線の広島駅電停はJR広島駅南口の東側、城北通り・大洲通り(県道広島三次線)に並行した場所にあり、変則頭端式4面3線のホームを持つ。旅客への案内ではホーム番号は用いられていない。乗車ホームは南口駅舎に近い最も北側の1面を使う。東寄りを0・1・2・6号線(八丁堀・紙屋町方面)のりばとし、西寄りを5号線(比治山線)専用のりばとしている。0・1・2・6号線のりば前には、案内所(広島電鉄広島駅定期券窓口)や、自動両替機、PASPYチャージ機が設置されており、多客時には係員が乗車ホームに出て案内をする。降車ホーム3面は、折り返し5号線となる便がもっともJR広島駅寄りを使うほかは到着順で使い分ける。6時から21時までの間、「入口」ドアから降りるときは降車ホームで電停整理員が可搬式のカードリーダー付き運賃箱を使い、運賃収受・集札業務を行う。(その他の時間帯では出口ドアからのみの降車で、他の電停と同様に車内の運賃箱で支払う。)また、係員による乗車方法等のマイク案内や、自動放送、発車メロディを流している。今までは、通路のみの古い地下道しか無かったJR駅の南北自由通路の整備が計画されており、それに合わせ改札口などの駅機能を在来線線路をまたぐ人工地盤上に移し、駅と自由通路と店舗を一体で橋上駅舎として整備する広島駅の橋上駅化工事が進行中である。自由通路東側に隣接する店舗エリアには約4千平方メートルの商業スペースを新設する。商業スペースの拡大は、新幹線口駅舎の増築も合わせて最大で約1万平方メートルとなる見通しで衣料品や飲食などの専門店を誘致する予定。運営はJR西日本の子会社、中国SC開発が行う。橋上駅舎の南口と新幹線口との連絡跨線橋の部分が先行完成し、2014年11月2日に供用開始された。この新しい跨線橋の東側で引き続き工事を行う。南北自由通路含む橋上駅舎の完成は2017年度の予定。新幹線口も自由通路整備に合わせてペデストリアンデッキを新設し、既存の「アクティブインターシティ広島」ペデストリアンデッキとも接続する。また同時に新幹線口の3階建て駅舎の1階と2階を広場側に増築して商業スペース拡大も行う。ペデストリアンデッキはその増築部に隣接で広場に設置される。新幹線口広場はバス・タクシー乗降場やマイカー乗降場など全体のレイアウトが変更される。駅舎の大規模改修は1975年の山陽新幹線の開通以来初めてで、2016年度末完成予定。広島市が2014年9月2日に公表した「広島駅南口広場の再整備等に係る基本方針」では、橋上駅化完了後に平成30年代半ばの完成を目指して、広島電鉄本線を稲荷町電停から駅前大橋を通るルートに変更した上でASSE駅ビルに高架で乗り入れる路線変更と同時に、駅ビル内に電停(広島駅電停)を設置する為に建て替えと駅南口広場の再整備を行う計画がされている。1952年から1962年の1日平均乗車人員は、年度毎乗客数を365(閏年が関係する1955・1959年は366)で割った値を、小数点第二位で四捨五入。小数点一位の値にした物である。1963年から1975年の1日平均乗車人員は、乗車数と降車数が同じであると仮定し、年度毎総数を365(閏年が関係する1963・1967・1971・1975年は366)で割った後で、さらに2で割った値を、小数点第二位で四捨五入。小数点一位の値にした物である。1981年に発行された広島市統計書から算出方法が変わっているため、1977年以降は1日平均乗車人員の値が発表されている。乗車数グラフ南口側には、再開発ビルのエールエールA館(福屋広島駅前店)、ウインズ広島(JRA場外馬券売場)、 フタバ図書GIGA広島駅前店(かつては、イズミ広島駅前店が入居していた。)、 広島フルフォーカスビル(かつては、ダイエー広島駅前店が入居していた。)などがある。電気店は、ベスト電器広島店(ひろしまMALL、旧:ベスト電器広島本店 → ビックカメラベスト広島店 → ベスト電器B・B広島店)のみが駅周辺に存在するが、駅前再開発によりビックカメラがBブロックに、エディオンがCブロックに出店する。駅の約1km東には広島東洋カープの本拠地であるMAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島がある。球場周辺には会員制倉庫型ストアのコストコとスポーツクラブがあり、建設中のゲストハウス型の結婚式場やカープの屋内練習場やマンションと共にボールパークタウンを構成する予定である。新幹線口側は、西にJR系のホテルホテルグランヴィア広島(開業当時は「広島ターミナルホテル」)が1987年(昭和62年)からあり、東には再開発ビルアクティブインターシティ広島の一つとして、シェラトンホテル広島が2011年(平成23年)に開業した。道路を挟んだ北側にもアクティブインターシティ広島のマンション・商業棟が2010年(平成22年)に開業している。かつてあったJR関連の施設は後述の施設を除いて多くが解体された。2015年現在、再開発計画が進められ、整地された土地が広がっている。その跡地に広島高速5号線広島駅北口出入口(仮称)、がんセンター、マンションなどの建設予定があり、多くが売却済となっている。地区内には南区京橋町から移転してきたスーパーマーケットイズミの本社ビルがあり、1階には「ゆめマート」二葉の里店が入居している。その他、新幹線口側には、広島市東区役所、 ハローワーク広島東、広島県瀬戸内高等学校、広島桜が丘高等学校、広島朝鮮初中高級学校などがある。宿泊施設は前述したJR系(「ホテルグランヴィア広島」・「HOTELヴィアイン広島」)や「ホテルニューヒロデン」・「シェラトンホテル広島」以外に、「アークホテル広島」・「ホテルJALシティ広島」・「ホテルセンチュリー21広島」・「広島グランドインテリジェントホテル」などのシティホテル。またビジネスホテルや旅館などが多く立地している。商業施設娯楽施設公共・教育施設宿泊施設新幹線口側には旧国鉄時代より、国鉄従業員の為の団地や国鉄バスの車両基地などが以前は多く存在した。現在でもJR関連の施設は西日本旅客鉄道広島支社(JR広島支社)やJR広島病院、中国ジェイアールバス本社、広成建設などがある。南口側は、旧・広島中央郵便局(現在の 広島東郵便局)があり、かつてはこの郵便局が広島地区最大の集配局だった。郵便局と駅のホームをつなぐ地下道が現在も残っていて、鉄道による郵便運送が行われていた時は使われていた。その他駅周辺から離れる物の広島駅に関連した施設で、元々広島貨物ターミナル駅は広島駅の貨物部門を分割した物。広島運転所・広島機関区蟹屋派出が天神川駅の近くに。広島新幹線運転所・広島車両所・広島駅弁当本社が矢賀駅の近くにある。このように、広島駅は運行上とても大切な駅である。広島駅弁当(ひろしま駅弁)が製造。
出典:wikipedia
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