アンチヒーロー()は、フィクション作品における主人公または準主人公の分類のひとつ。「優れた人格を持って、ことの解決にあたる」といった典型的なヒーロー(英雄)の型から逸脱しているが、ヒーロー同様に扱われる人物である。『ウェブスター現代英英辞典』によれば、1714年から使用されている。常識的なヒーローの属性、たとえば「正しい人」であったり、「強い人」であったり、「美しい/外見的にカッコいい人」であるなどを部分的あるいは全面的に裏切る主人公、あるいは主要登場人物をアンチヒーローと呼ぶことがある。この記事ではどのような人物がアンチヒーローと見なされてきたかを例をあげて説明するが、アンチヒーローについては明確な定義が見出されておらず「癖の強い主人公/登場人物」とアンチヒーローの境界は曖昧であり、読者や視聴者の主観によるところが大きいことには留意されたい。いつ頃から、アンチヒーローに分類される主人公がフィクションに登場したのかは定かではないが、紀元前3世紀にロドスのアポローニオスによって書かれた叙事詩『アルゴナウティカ』のイアーソーンとアルゴナウタイは、他のギリシアの物語に登場する英雄たちよりも臆病で受動的であり、アンチヒーローであると分類する説がある。物語の世界において、多くのヒーローは倫理的に優れている「よい」人物として語られるが、一般的な倫理的観点からは正しくない行動をとるヒーローもまた数多く造形されてきた。それが極端な場合にアンチヒーローと呼ばれるものと考えられる。例えば、大きな目標のために手段を選ばない(マキャヴェリズム)という主人公類型が存在し、これは歴史上の人物に仮託されることも多い。国家統一のために権謀術数を駆使したとされるオットー・フォン・ビスマルク、チェーザレ・ボルジアなどといった歴史上、評価の分かれやすい人物もこの例に該当する。アニメ・漫画などにおいては『ドラゴンボール』シリーズのベジータ、『NARUTO -ナルト-』シリーズのうちはサスケ、『DEATH NOTE』の夜神月、『機動戦士ガンダム』のシャア・アズナブルなどが該当する。また、ピカレスク小説(悪漢が主人公の小説。悪漢小説)の分野では、多くの場合主人公は最初から犯罪者であるが、この流れは、犯罪小説やフランスのシネ・ノワールやアメリカのギャング映画やクライムアクションゲームなどでも同様であり、多くのアンチヒーローを生んできた。また、日本でもヤクザ映画(『仁義なき戦い』シリーズなど)、バイオレンス小説(大藪春彦の作品群など)などで窃盗や暴力や殺人などの犯罪に手を染めるヒーローが物語られてきた。これは遡れば盗賊集団を主人公に据えた『水滸伝』や歌舞伎の『白浪五人男』などを先例と見なすことができるかもしれない。このようなタイプのヒーローは、ダーティーヒーロー、ダークヒーロー、バッドヒーローとも呼ばれることがある。極端な例では『羊たちの沈黙』のハンニバル・レクター博士などは食人殺人を繰り返しているにもかかわらず、ヒーロー的に描かれている。これらのヒーロー達が、犯罪、悪事などに至る理由は様々である。なんらかの絶望によるもの、なんらかの強い憎しみとその復讐によるもの、仲間の裏切りや社会からの冷遇によるもの、そしてその復讐のため、愛する者のため、あるいは職業としてなどである。また、本人の性格的な問題から組織をはみ出して法を逸脱する例もある。物語の世界において、一般的にヒーローとして想像される人物像は、肉体・精神的にも強くて逞しい精悍なイメージであるが、そうではないヒーローもまた少なからず造形されてきた。肉体と精神のいずれか、あるいは双方の意味で脆弱なヒーローの例もあり、アニメ・漫画などにおいては『新世紀エヴァンゲリオン』の碇シンジなどが該当する。『ドラえもん』の野比のび太も外観的に優れたヒーローではなく、作者・藤子・F・不二雄は、1990年に行われた談話で「のび太はアンチ・ヒーローの典型」と語っている。また、コメディでアンチヒーロー像を逸脱させた例もある。『クレヨンしんちゃん』の野原しんのすけは悪戯を行ったり、ギャグ的な行動をするヒーローである。妖怪人間ベムや人間・妖怪を問わず悪を挫き弱者を救済するゲゲゲの鬼太郎など外見は冴えなくとも性格、信念等は模範的なヒーローである場合も多く、アンチヒーローと呼ぶかは議論が分かれる。映画などにおいては、『ニッポン無責任時代』から始まる植木等主演『無責任男』シリーズは、お気楽な性格と運の強さだけが取り柄の主人公が、追従とお世辞を繰り返しながら大活躍する物語であり、異色異能のヒーローぶりを発揮している。風采の上がらない主人公としては、TVドラマの『刑事コロンボ』の主人公コロンボ、あるいは横溝正史の探偵小説に出てくる金田一耕助などがあげられる。また、ヒーローの出自を魔物や妖怪などに設定する場合もあり、漫画の『デビルマン』など、禍々しい外見が描かれている。外観についての極北を行く主人公としては、『エレファント・マン』ことジョゼフ・メリックなどがいるが、こうした類例をアンチヒーローと呼ぶかどうかは議論が分かれるところである。こうしたヒーローは、評判を呼んだ実際の犯罪者がモデルにされているケースも少なくない。例えば、上記の『白浪五人男』は江戸時代に起きた捕物がモデルであるし、『仁義なき戦い』も原作はノンフィクション小説である。アメリカのカップル銀行強盗犯ボニーとクライドは『俺たちに明日はない』で映画化された。『大列車強盗』も実際の犯罪が評判を呼び、国外逃亡先でテレビ出演までした主犯が人気者になったことで映画化されたケースである。義賊ともてはやされた鼠小僧のように、ある条件が合致した場合には、法を犯した犯罪者をヒーローとみなす庶民感情がそこに介在していると考えられる。つまり、国家や「お上」からみれば犯罪者であっても、庶民の味方であるという存在である。たとえば、TVドラマ『必殺仕置人』をはじめとする『必殺シリーズ』も表の社会で裁けない悪人を非合法に成敗するという話であり、中世文学から現代娯楽メディアまで洋の東西を問わず枚挙に暇がない。こうした反逆的ヒーローに対する庶民の共感は、プロレスのギミックにもよく利用されている。たとえば新日本プロレスの蝶野正洋は、体制(会社)の方針に異を唱えて対立するキャラクターを演じ、タイトルマッチに関する反対を表明する(このパターンは古くは長州力の維新軍団、さらにはジャイアント馬場に挑戦した若き日のアントニオ猪木にまでさかのぼる)。アメリカンプロレスでも、WWEのストーン・コールド・スティーブ・オースチンがこうしたキャラクターを演じている。また、「自らに課した掟(コード)にのみ忠実で、法的・社会的規則は無視する」という人物をアーネスト・ヘミングウェイはコードヒーローと呼んでおり、反逆的ヒーローの一類型としてその呼称が用いられることがある。「普段は駄目人間だが、副業としての裏の顔は凄腕」という物語も数多いが、これは『スーパーマン』と同様に変身ヒーローの一種と考えられる。ただし裏稼業が非合法的なものであれば、ある意味ではアンチヒーローとみなせるかもしれない。アメリカン・コミックの登場人物である「デアデビル」ことマット・マードックや、バットマンが該当する。『必殺シリーズ』の中村主水は、「普段は嫁や姑にいびられ、勤務先でもさえない駄目人間だが、非合法の裏の顔は凄腕」というパターンである。他にも、非合法もしくはそれに近い手段を用いるが、社会正義の実現や犯罪被害者の救済等、通常のヒーローと同じ目的・信念を持ち、私欲の悪事は一切行わない主人公などもアンチヒーローとは言い切れず、勧善懲悪劇の一ジャンルとして登場する。『シティーハンター』の冴羽獠や『悪党〜重犯罪捜査班』の富樫正義刑事、『天誅〜闇の仕置人〜』などが該当する。また、物語の開始時点では駄目人間だったが、物語の進行とともにヒーローぶりを発揮していくのは成長物語の一典型である(『DRAGON QUEST -ダイの大冒険-』のポップなど)。ファンタジーなどでも普通の少年や虚弱な少年が異界でヒーローになるという物語が多く見られるが(『ナルニア国物語』、『はてしない物語』など)、通常はそれらの少年を指してアンチヒーローとは呼ばない。ほとんどの場合、彼らは内面的あるいは外面的成長を遂げて異界から帰還するため、これも成長物語に属する。なお、ヒロインの場合はダークヒロインやアンチヒロインと称されている。
出典:wikipedia
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