『日本レコード大賞』(にほんレコードたいしょう)は、スポーツ紙を含む各新聞社の記者が中心となって決定する、音楽に関する賞である。略称は「レコ大」(レコたい)。TBSテレビとTBSラジオが放送し、番組名は『輝く!日本レコード大賞』。1959年に創設され、1970年代から80年代にかけて、テレビにおける歌番組の隆盛と共に最盛期を迎えた。しかし、レコード会社や事務所の力関係により受賞者が決まっているとの指摘もあり、賞レースに左右されない音楽活動をしたいことなどを理由に、受賞そのものを辞退する有力アーティストが90年代から増えるようになった(福山雅治、B'z、Mr.Children、ジャニーズ事務所所属歌手など)。これにより賞の権威は大きく低下し、第36回(1994年)には大賞受賞者が授賞式に出席しないという異例の事態となった。それ以降、歌手が受賞を辞退した場合又は歌手がその年に死去した場合、その楽曲は大賞受賞曲とはならない。主催は公益社団法人日本作曲家協会、後援はTBSである。第56回(2014年)を例として掲載する(計23人)2014年に審査委員を務めるスポーツニッポンが、大賞決定と同時刻に受賞作品の詳細をネットニュースで配信したため、事前にどの作品が受賞するかわかっていたのではないか、という疑惑が生じた。2015年には、レンタルチェーン店を展開するTSUTAYAが自社のニュースサイトにて、“特定のレコード会社や芸能事務所が審査委員に対して何らかの働きかけを行っている”とする音楽関係者の声を報じた。この種の癒着は1970年代ころからあったとされるものの、審査委員の大半を新聞社とテレビ局の社員が占めるため、「報じない、報じられない」といった状態が続いてきたと、音楽評論家の麻生香太郎は指摘している。この様な中、審査委員を務める産経新聞は2015年に自ら、「出来レースでは?」と題し、賞の存在意義に疑問を投げかける記事を同社のニュースサイトにて掲載した。また、大賞常任実行委員で音楽家の富澤一誠はインタビューに対し、「賞レースの盛り上がりが、ファンには音楽業界の利益優先の『腐敗』や『出来レース』のように映るようになり、大衆から支持を失っていった」と認めた。企画にあたってはアメリカのグラミー賞をヒントにして、2人の作曲家(古賀政男、服部良一)と音楽評論家・平井賢による話し合いからグラミー賞創設の翌年1959年に創設された。番組の放送当初は本選と発表会とに分かれていた。第10回(1968年)まで開催日は固定されておらず、主に年末の昼間にモノクロで放送された。会場も神田共立講堂など小規模の会場で行われており、賞自体の知名度も極めて低かった。第11回(1969年)からは出場歌手の日程調整をつけやすくするため、大晦日の『NHK紅白歌合戦』が始まる前の19 - 21時に本選を開催・生中継する様になり、会場も帝国劇場に移された。本番組と紅白歌合戦の出演者の移動に関しては、8:50過ぎの番組エンディングまで出演し帝国劇場(千代田区日比谷)を出て、9:00にNHKホール(渋谷区神南)での紅白歌合戦のオープニングに間に合わせるという「数分間の都心大移動」が見ものでもあった。1969年から1988年ころにかけての約20年間、テレビ歌番組の隆盛と共に、番組の最盛期を迎えた。視聴率も『NHK紅白歌合戦』と肩を並べるほどになり、放送時間も次第に拡大し18時台のスタートとなった。中でも第27回(1985年)には会場が日本武道館となり、授賞式の華やかさは最高潮を迎えた。なおステージにはビッグバンドと、当時の常識ではあり得ない規模のストリング・オーケストラ(弦楽合奏団)、各種管打楽器(オーボエ、ホルン、ティンパニなど)、それに合唱団が並び、ほとんど全ての楽曲の伴奏を務めた。指揮は作曲家・編曲家でもある長洲忠彦が担当(第2回目〜第30回目まで)。クラシックの指揮者のような格式ある棒さばきで、レコード大賞のステージになくてはならない存在であった。また1971年から1988年までは1月1日午前中に前日に受賞した新人賞、金賞、最優秀歌唱賞、大賞受賞者らが都内のホテル(赤坂プリンスホテル、他その年によって変わる)に設けられた特設会場から生放送で「おめでとう!輝く!日本レコード大賞」と題した番組に出演し前日の喜びを再び生放送で歌唱披露するという番組が放送されていた。司会者は小川哲哉が担当していた。平成に入ると音楽や権威に対する考え方の変化が起こり、賞レースに左右されない音楽活動をしたいことなどを理由に、受賞そのものを辞退する有力アーティストが増えるようになり、賞の権威は大きく低下した。大賞のMr.Childrenが授賞式に出席しないという異例の事態となった第36回(1994年)以降、授賞式に出席しないアーティストを受賞させない方針となった。さらに、元号が平成に変わった1989年以降、『NHK紅白歌合戦』がそれまでの21時から19時20分と大幅に開始時刻を早めたことで、紅白とのバッティングが生じる事も多くなり出演者の移動がままならなくなる。また、第11回から第29回(1987年)まで、常に30% - 40%前後の高い数字を維持してきた視聴率も、第30回でなんとか20%台に踏みとどまったのを最後に、翌年以降は一気に下落した。一気に衰退した打開策として第32回(1990年)から大賞の「ポップス・ロック部門」と「歌謡曲・演歌部門」への分割、視聴者による電話投票の導入が行われたが、前者はジャンル分けが難しい、レコード会社の認識との食い違いが起きるなどの問題があるとして第35回(1993年)から再統一され、後者も組織票などの問題があるとして同じく第35回(1993年)から廃止されている。第36回(1994年)から第45回(2003年)までは、会場が東京・赤坂のTBS放送センター(ビッグハット)で開催された。第46回(2004年)には、渋谷のNHK放送センターから比較的近い距離にある新国立劇場に変更された。しかし第47回(2005年)には視聴率が過去最低の10.0%(関東地区・ビデオリサーチ調べ)を記録するほど低迷することとなった。常連だったスポンサーの多くが降板。さらに他番組のスポンサー枠の確保でスポンサー枠が縮小された。第48回(2006年)から放送日を大晦日から12月30日に変更した。放送時間は前年より30分拡大した18:30 - 21:54となった。会場は前年同様に新国立劇場。なお、放送時間が拡大された第48回より歴代の受賞曲VTRをダイジェストで流すコーナー「日本レコード大賞メモリアル」が登場。第52回(2010年)からは、事前番組を前日と当日の2日間にわたって放送することになった。しかし、2015年には前回の大賞選考批判などが影響し、視聴率は13.0%と放送日変更以降の最低記録となった。1950年代 19591960年代 1960 - 1961 - 1962 - 1963 - 1964 - 1965 - 1966 - 1967 - 1968 - 19691970年代 1970 - 1971 - 1972 - 1973 - 1974 - 1975 - 1976 - 1977 - 1978 - 19791980年代 1980 - 1981 - 1982 - 1983 - 1984 - 1985 - 1986 - 1987 - 1988 - 19891990年代 1990 - 1991 - 1992 - 1993 - 1994 - 1995 - 1996 - 1997 - 1998 - 19992000年代 2000 - 2001 - 2002 - 2003 - 2004 - 2005 - 2006 - 2007 - 2008 - 20092010年代 2010 - 2011 - 2012 - 2013 - 2014 - 2015各賞受賞者には東郷青児作の楯が授与される(写真を参照)。レコード大賞の主要な賞である大賞、最優秀新人賞(第10回以前は新人賞)、最優秀歌唱賞(第10回以前は歌唱賞)の3賞をすべて獲得している歌手は、2013年現在以下の5人となっている(三冠達成順、新人賞・最優秀新人賞以外は初受賞回を記載)。発表の模様はテレビ(TBS系 (JNN) 地上波全国28局ネット)とラジオ(JRN全国17局ネット)で生中継されている(第42回(2000年)から第47回(2005年)まではTBS系BSデジタル放送のBS-i(現・BS-TBS)でも放送されていた)。また、第44回(2002年)からCS放送・TBSチャンネルで過去に放送された回をその年の放送分につき1回(2008年からは2回)限りではあるが毎年12月に再放送を行っている(TBSに現存している第10回(1968年)以降の放送分。CMはカットされるが、その部分には地上波で今年放送される回の5 - 15秒の番宣が挿入されている。過去には編成の関係で年明けの1月に放送されたこともある)。TBSに現存する映像はモノクロ放送の最後となった第10回(1968年。開催会場は渋谷公会堂)が最古である。これ以前の本選の模様はニュース映像の一部、写真、ラジオの音声のみが現存し、第11回(1969年)以降はすべて鮮明なカラー映像の完全版VTRが現存している。第20回(1978年)からTBSの音声多重放送の開始に伴い、テレビでのステレオ放送が始まった。以降、すべてステレオ放送となる。JNN系列で第47回(2005年)まで12月31日にネットして来た番組であるが、以前はクロスネット局が多く、JNN系列でも曜日によって他系列を同時ネットしている局も多くあった。その反面、JNN系列以外でも曜日によってJNNを同時ネットしている局もあり、番組をネットした局もあった。先発局でJNN系列局が以前金曜日の19:30 - 21:00枠で日本テレビを同時ネットしている局が多数あったり水曜日の20:00 - 21:30(その後19:30 - 21:00)の枠、土曜日の19:30 - 22:00枠、日曜日の19:00 - 21:00枠が日本テレビ同時枠だったりした局があった。静岡放送では、放送日が金曜日だった第13回(1971年)に番組をネットせず、日本テレビ系の番組を同時ネットした。また南海放送(愛媛県。日本テレビ系)では、木曜日にTBS系番組を同時ネットしていた年に限り同番組をネットしていた。近畿広域圏ではTVネットワーク腸捻転時代(1974年の第16回まで)は朝日放送(ABC)にてネット。翌年(1975年)の第17回から毎日放送(MBS)でのネットになる。福島県では、1971年の第13回から1982年の第24回まで福島テレビ(当時TBS系とフジテレビ系のクロスネット局。現在はフジテレビ系)にネットされていたが、1983年の第25回からはTBS系新局として開局したテレビユー福島でのネットになる。1978年・1980年はTV中継の同時ネット局のみロールスーパー方式(ネット局は略称・ロゴ出し)で紹介した。2001〜2005年の5年間は系列BSデジタル放送・BS-i(現・BS-TBS)でもサイマル放送が行われていた。1978年(第20回)当時は20局以上ネットしていたが、2015年(第57回)は8局(うち、4局は途中とびのり)に留まっている。JNN(テレビ)とJRN(ラジオ)との兼営局の一部が、テレビとラジオで同時放送している。なお、福井放送のように、テレビがJNN系列でない局が、ラジオだけで放送するケースもある。青森放送(RAB)ではかつて『JRNナイター』を放送した曜日のみ途中飛び乗り放送していたが、現在は放送していない。西日本放送(RNC)では1997年のJRN加入後も含めてネットする事はなかったが、2005年に初めてネットした。前述のRABと同様、JRNナイターの絡みから実現したものと思われる。こちらも現在は放送していない。毎日放送では1975年ネットチェンジからテレビとラジオで同時放送されて来たが、2006年以降についてはラジオが自社制作枠の確保による編成上の理由で放送されなくなった。第54回(2012年)は再びネットしたが、第55回(2013年)以降は自社制作枠の確保のため、再び放送されなくなった。
出典:wikipedia
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