上越地方(じょうえつちほう)は、新潟県の南西部を指し、中心都市は上越市。新潟県は地理的に4つの地域に分けられるがその一つである。他の3つは下越地方・中越地方・佐渡地方。かつての越後国(新潟県本州部分)は、上方(京都)に近い方から、上越後(かみえちご)・中越後(なかえちご)・下越後(しもえちご)と呼ばれていた。そのうち、「上越後」を略した「上越」が新潟県南西部の地域名として用いられるようになった。北を日本海、南を妙高山、東を米山、そして西を親不知(飛騨山脈)に挟まれた地方である。北陸自動車道・国道8号が幹線として東西をはしり、上信越自動車道・国道18号が関東方面へ向けて南北にはしる。現在の上越地方は旧頸城郡に当たるため地元では頸城地方(くびきちほう)ともいう。地理的には、上越地方の多くの地域は、県庁所在地の新潟市よりも、隣県の県庁所在地の長野市や富山市が距離は近い。飛騨山脈に面する位置や、戦国時代には浄土真宗や上杉氏の地盤であり、江戸時代には北陸道と善光寺街道の沿線であった歴史から、妙高山で向かい合う北信地方(長野県北部)、親不知で向かい合う富山県との交流が多く、特に北信地方との繋がりは深い。また、北信地方や中越地方と列んで、妙高高原をはじめスキー場が多い地帯である。新潟県庁によると、上越には以下の市町村が含まれる。典型的な日本海側気候で、全国屈指の豪雪地帯でもある。古代日本に統一国家が成立する前には、上越地方は越国に属していた。しかし、ヤマト王権が中央集権国家を成立させると、越国とヤマト王権の連合軍が米山以東に支配圏を伸ばし、越国は分割され、上越地方は越後国頸城郡に属した。また、畿内からの入植を示す地名として、春日山がある。鎌倉時代になると、親鸞が直江津(上越市北部)に流刑され、浄土真宗の地盤となった。上越地方から越前地方(福井県北部)にかけての日本海側に浄土真宗系の寺院が多いのは、この名残である。戦国時代には、春日山(上越市中心部)を本拠地とする上杉氏の地盤となったが、戦国末期になると、上杉氏は米沢に移った。江戸時代の上越地方は、高田藩と糸魚川藩の領土となった。また、北陸道や善光寺街道も整備され、現在でも、北陸道や善光寺街道の宿場町から発達した都市や村落も多い。明治維新を迎えると、上越地方は高田県となったが、後に柏崎県に編入され、1873年6月10日には新潟県に編入された。元より豪雪地帯である上越地方に、1911年、オーストリアの将校レルヒ少佐から、日本に初めてスキーが紹介された。第二次大戦後になると、経済変動の二次的波及を受ける地域となっている。高度経済成長期には日本海側でも有数の臨海工業地域も整備されており、モータリゼーションが進展した現在では、日本海側でも有数のロードサイドショップ密集地となっている。県庁によって、上越地方には3つの広域生活圏(広域市町村圏)が設定されている。広域生活圏では、平成の大合併によって各々の圏内で合併がなされ、「圏内一市」となった。以下に2007年3月1日の推計人口とともに記載する。新潟県の各地域は境界が明確に定められておらず、中越地方との境界付近はどちらの地域に属するか一定しない漸移地域であり、以下のような例外もある。なお、自動車のナンバープレートは全域にわたって長岡ナンバー(国土交通省北陸信越運輸局長岡自動車検査登録事務所)である。日本海沿岸同士のみならず、近畿・東北・甲信・東海・関東の各地を結ぶ日本海側の拠点地域としても、上越地方は重要な位置を占めている。JR東日本、JR西日本、えちごトキめき鉄道、北越急行の路線がある。
出典:wikipedia
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