内野 聖陽(うちの せいよう、1968年9月16日 - )は、日本の俳優。神奈川県横浜市港北区出身。身長177cm、血液型AB型。本名読みは「うちの まさあき」で、2013年7月までは芸名としても使われていた。元妻は女優の一路真輝。世田谷学園中学校・高等学校、早稲田大学政治経済学部卒。大学在学中は早稲田大学英語会 (WESS) に所属。初めての演劇は英語劇で、ちなみにファーストキスはこの時。プレイボーイな役を演じたが、これで一時期、演じることが嫌になり、大学2、3年は出演せず裏方にまわっていた。卒業間近に再び演じたいと思うようになり、1992年(平成4年)、在学中に文学座研究所に入所。同期に寺島しのぶがいる。翌年に研修科1年となり、研修中はドラマの端役などで修行を積む。1996年には『ふたりっ子』、1997年には『ミセスシンデレラ』に出演し、顔が知られるようになる(同時に文学座の座員にもなった)。演劇ではホームグラウンド・文学座で実力・動員で牽引したのはもちろん、他が主宰する演劇にも多数出演。ストレートプレイを活動のメインとしているが、さらなる表現手法の開拓・増幅を目指し2000年(平成12年)に『エリザベート』で初めてミュージカル出演も果たす。この出演が、後の内野の表現法・私生活(後述)においてはターニングポイントとなった。2003年、『蝉しぐれ』で牧文四郎を演じ、放送文化基金出演者賞とモンテカルロ・テレビ祭の主演男優賞を受賞。2004年、『エースをねらえ!』に宗方仁役で出演。2007年、『風林火山』では主役の山本勘助を演じ、クランクアップ時の会見では「この作品を誇りに思っています」と語って男泣きした。私生活では『エリザベート』で知り合い交際を続けていた一路真輝と2006年(平成18年)5月に婚約を発表。7月末に一路と入籍、10月末に女児が誕生。入籍時点で『風林火山』の撮影に入っており、披露宴は『風林火山』の撮影が終了した2007年(平成19年)10月25日に行うも2011年(平成23年)8月18日、離婚届を提出したと連名のFAXにて発表した。2011年末、デビュー以来約20年間在籍していた文学座を退団し個人事務所設立及びスターダストプロモーションとの業務提携を発表。2013年7月、生誕45周年を機に芸名の読み方をデビューから長年続いた本名の「うちの まさあき」から「うちの せいよう」にすることを発表した。理由は「『まさあき』と読めない人が多かったから」だという。『風林火山』では楽屋には誰よりも早く入り、準備していたという。また、この作品で印象に残った共演者として千葉真一・市川亀治郎・GACKT・貫地谷しほりを挙げている。特に千葉についてはと語り、思い出に残るシーンも「千葉との殺陣」を挙げている。
出典:wikipedia
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