雨乞岳(あまごいだけ)は、滋賀県東近江市と同県甲賀市の境にある標高1,238 mの鈴鹿山脈の山。1968年(昭和43年)7月22日に、山域は鈴鹿国定公園指定された。愛知川(神崎川)源流の山である。別称が「白倉岳」、「藤切岳」。鈴鹿山脈の第2の高峰で、東側に東雨乞岳がある。竜ヶ岳と同様に山頂付近はクマザサに覆われたなだらかな山容の山である。山頂にはクマザサに囲まれた小さな池(大峠ノ沢)があり、古くから雨乞信仰の対象とされ、下流域の農民がこの池に登拝していたことが山名の由来となっている。この池には、モリアオガエルが生息している。山腹は天然林と針葉樹の植林地が折り混じりアセビ、クリ、ホンシャクナゲ、ミズナラなどが分布し、ニホンカモシカ、ニホンジカ、マムシ、ヤマビルなどが生息している。山頂付近からは、西方に琵琶湖、東方に鈴鹿山脈を望むことができる。北側のイブネとの鞍部の杉峠および釈迦ヶ岳と国見岳との鞍部の根ノ平峠(標高 803m)を経由して、滋賀県東近江市甲津原と三重県三重郡菰野町千草を結ぶ山越古道は「千種越」(千種街道)と呼ばれていた。1570年(元亀元年)に織田信長がこの千草越の藤切谷(渋川の支流)を移動する際に、杉谷善住坊に火縄銃で狙撃されたが難を逃れていたことが知られている。その周辺に「杉谷善住坊のかくれ岩」がある。杉峠と根ノ平峠にはかつて茶屋があり武士、商人、旅人などが往来していた。幕末から明治にかけて南側の周辺山腹の6箇所の鉱山で、銀・銅・鉛などが産出されていた。杉峠の西側の向山鉱山、東側の御池鉱山、国位鉱山、高晶鉱山、大蔵鉱山があった。御池鉱山付近には飯場があり、明治末期の最盛期には300人余りの工夫が働いていた。その周辺には金山神社と高晶尋常小学校があった。滋賀県側では雨乞い信仰の対象であり、山上にある小さな涸れることない池(大峠ノ沢)で昔神事が行われていた。各方面から登山道が開設されている。整備状況により、クマザサなどのヤブで歩きにくい場合がある。甲津畑からのルートなどでは夏期にヤマビルが現れる。1964年(昭和39年)から34年間、近畿日本鉄道、朝日新聞社及び名古屋テレビが中心となり鈴鹿セブンマウンテンの登山大会が始まり、その一座であった。登山道周辺ではアザミ、アセビ、イワカガミ、イワウチワ、キランソウ、スミレ、センブリ、ツルアリドオシ("Mitchella undulata")、ツルリンドウ、トリカブト、ホンシャクナゲ、ママコナ、マムシグサ、リンドウなどの花が見られる。周辺の尾根や東雨乞岳山頂などからは琵琶湖や周辺の鈴鹿山脈の山並みを見渡すことができる。東雨乞岳は雨乞岳と比較して開放的で見晴らしが良い。コクイ谷沿いのコクイ谷出合からクラ谷の区間では道迷いによる遭難が多発していて、滋賀県警察と東近江市山岳遭難対策協議会による注意標識が設置されている。その他、ダイジョウ、イブネなどからのバリエーションルートがある。鈴鹿山脈の第2の高峰で、甲賀市の最高峰である。鈴鹿山脈の主稜線にある御在所岳から西に延びる尾根(郡界尾根)にある。尾根は西方の綿向山と北方の水谷岳(カクレグラ)の尾根及びイブネ・銚子ヶ口などの尾根が延びる。山頂の1.2 km東に標高1,073 mの七人山がある。源流となる以下の河川は、琵琶湖へ流れる。周辺には以下の峠がある。
出典:wikipedia
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