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橋のない川

『橋のない川』(はしのないかわ)は、住井すゑが著作した小説。1部から7部まで掲載・刊行され、第8部は表題のみを残し作者のすゑが死去している。明治時代後期の奈良県のある被差別部落(小森部落)が舞台となっている。ほとんど全編を通じて部落差別の理不尽さ並びに陰湿さが書かれている。最終的には京都市・岡崎で行われた水平社宣言をもって締めとしている。1部から7部までの累計発行部数は800万部を超える。1969年 - 1970年と1992年の2度にわたって映画化された。「『橋のない川』によって、人間の平等と尊厳を考えようとした若者は、とてつもない数にのぼるはずだ」(灰谷健次郎)と賞賛されることもあるが、「侵略戦争を扇動した西光万吉を美化した作品なのに、その問題点がまったく指摘されずにきた」(金静美)との批判の声もある。 1908年(明治41年)、大和盆地(奈良)の山村・小森。誠太郎と孝二の幼い兄弟は、父を日露戦争で失ったが、しっかり者の祖母ぬいと心やさしい母ふでに大切に育てられる。やがて小学校に通い始めた二人だが、そこには思いもかけぬ日々が待っていた。兄弟は小学校や路上で、ことごとにいじめられる。小森は被差別部落なのだ。つまり被差別部落が完璧な人格揃い、という美化の設定や描写は為されていない。本作には大きく分けて2つの映画版が存在する。1969年から1970年に今井正が監督を務めた映画(「第一部」「第二部」の2本)と、1992年に東陽一が監督を務め、ガレリア・西友共同で製作された映画である。前者は、社会主義リアリズムの巨匠であった今井が自ら映画化を企画し、大手製作会社に断られるなどの苦労の末に完成にこぎつけた。第一部は当初部落解放同盟の推薦を受け、海外で映画賞を受賞するなど高い評価を受けたが、やがて第二部製作中に日本共産党と部落解放同盟の関係が悪化するに至ると、監督の今井が日本共産党員として部落解放同盟の敵視を受けるようになり、部落民の描写などについて、当時の部落解放同盟幹部(朝田善之助ら)がクレームをつけはじめた。それに伴い、第一部も遡って「差別映画」の烙印を押されるようになる。また当初は三部構成を考えていたが、部落解放同盟からの妨害がさらに激しさを増したため二部と三部を合体させて、二部を製作せざるをえなくなった。そのような騒動のさなか、広島での上映会で本作を見た女子学生が自殺するという事件が起こり、部落解放同盟側はこの映画を「差別助長映画」として徹底した上映阻止キャンペーン(過激派学生による上映会場襲撃など)を展開することになる。この結果、本作は上映される機会が減り、ソフト化もされないという状況が長く続いた。その後、2004年には第一部・第二部ともにDVD化されており、現在では見ることは容易になっている。また、上記のキャンペーンは当時の部落解放同盟による日本共産党批判の具にされたという見方も今日では強い。原作者である住井は、原作との違いなどを理由に批判する立場ではあったが、観るべき作品という一定の評価は与えており、観ずに「差別映画」と騒ぐ人間には映画以上に批判的であった。一方、東陽一監督版は、部落解放同盟が映画化を企図して東を監督に起用したものである。音楽にボリビアのチャランゴ奏者エルネスト・カブールを起用したことでも知られている。第一部・第二部共通の登場人物第一部のみの登場人物第二部のみの登場人物エキストラの子役には奈良県磯城郡三宅町立三宅小学校の児童が出演している。

出典:wikipedia

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