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23時ショー

23時ショー(にじゅうさんじショー)は、日本のテレビ番組。NETテレビおよび、後身のテレビ朝日が昭和中期に放映した。「深夜のアダルト向け娯楽ショー」を標榜し、同様のコンセプトの裏番組『11PM』(日本テレビ系列)としのぎを削ったが、ネット局内部から低俗番組との批判を受け、番組のネットを停止され(後述)、放送業界に波紋を呼んだ。過激な色気を売り物とする生放送のスタジオ企画を中心としたが、政治問題などの硬派な話題も扱っていたほか、番組初期に毎日放送が制作を担当していた金曜日は、もっぱら上方演芸を紹介していた。1973年に第1次オイルショックの影響で民放キー局が深夜放送の自粛を決めたため、同年12月31日、番組は一旦打ち切られる(ここまでを第1期とする)。その後数年間別の番組を放映したのち(後述)、1977年10月に再開(第2期)。1979年9月まで放送され、『ミッドナイトショー』『トゥナイト』に引き継がれた。すべてJST関西地区のテレビ朝日系ネット局は朝日放送に変更されていた(1975年3月31日から)が、放送されなかった。ほか制作局のNETでは、放送でヌードを披露することを条件に、フラワー・メグを初代のカバーガールに起用。同局制作分の第1回で、実際にメグのヌード映像を放送した。日本のテレビ番組初の試みであったが、現在では放送できないほど過激な映像だったことが災いして、放送直後に視聴者からの抗議が殺到。結局、メグは当初の予定より早い降板を余儀なくされた。番組の木曜日担当プロデューサーだった高田修作は、放送中に以下のハプニングがあったことを告白している。1期目の放送開始後、NETテレビ系列の関西地方のネット局で、金曜日に限り同番組を制作していた毎日放送(MBSテレビ)が、「番組が低俗だ」として、同番組のネット打ち切りを表明した。番組内容の低俗さを理由として放送番組のやりとりを停止したのは日本の放送史上初のことであった。当時の社長・高橋信三が、「東京から発信される金曜日以外の放送内容に不適切な表現や未成年者に見せてはいけない過激すぎる、または不快感を与える箇所が多い」とし、卑猥な映像をMBSで放映することを嫌って、NETのネット受けを拒否する意向を示したという。また、お笑い路線を基調としたいMBS側と『11PM』に対抗してお色気路線を維持したいNET側との対立も根深かったという。この番組が番組販売扱いで、ネットスポンサーが付いていなかったという事情も、迅速な打ち切り決定を容易にしたという。MBSは1971年12月31日放送の「桂小文枝独演会」を最後にネットを打ち切り、制作からも撤退した。なお、近畿地方では1972年10月から、サンテレビと、近畿放送(現・京都放送、KBS京都)に販売する形で、マイクロネットが開始された。本番組の第1期と第2期の間に、『スタジオ23』→『ザ・23』→『プレイタイム23』が放送された。関西地区では本番組の第1期末期からの引き続きという形でサンテレビと近畿放送で放送され、1975年10月に朝日放送に移行したが、短期間で打ち切られた。

出典:wikipedia

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