第2装甲旅団(だい2そうこうりょだん、ドイツ語:Panzerbrigade 2)は、ドイツ連邦陸軍の旅団の一つ。旅団司令部をブラウンシュヴァイクに置き、隷下部隊は主にニーダーザクセン州南東部に駐屯していた。1956年、旅団の前身部隊であるA1戦闘群はハノーファー=ボートフェルトのシャルンホルスト兵舎にて編成され、第1擲弾兵師団隷下となる。当初は、第1擲弾兵大隊と第21擲弾兵大隊が、1958年に第11擲弾兵大隊と第61擲弾兵大隊および第1戦車大隊で編成されていた。1957年4月1日に最初の徴集兵が招集された。陸軍第2次編制にて1959年に第2装甲擲弾兵旅団に改編・改称される。旅団司令部はブラウンシュヴァイクのヒンデンブルク / ハインリヒ獅子公兵営に移転する。旅団隷下部隊は以下とおりであった。1960年にデデルストルフにて第24戦車大隊は再稼働し旅団隷下となる。1962年に装甲偵察中隊は解隊され司令部中隊の偵察小隊に編入される。1966年、第20防空中隊は旅団から除外される。第25砲兵大隊は装甲砲兵大隊に改編され、第20駆逐戦車中隊は解隊される。陸軍第3次編制で旅団は大きく改編される。1972年にヴォルフェンビュッテルの第22装甲擲弾兵大隊は解隊され、その一部はハノーファーに駐屯する第1砲兵連隊第13観測大隊に編入される。1972年に補給大隊は解隊される。1973年、解体された第21装甲擲弾兵大隊はハノーファーの第1陸軍士官学校教導大隊として残存し、その後第2装甲擲弾兵旅団の隷下に戻る。陸軍第4次編制にて1976年から1977年まで旅団は旅団試行であるモデル2を試験する。旅団隷下部隊では第33機甲旅団へ第21装甲擲弾兵大隊が配転し、第22装甲擲弾兵大隊および第23戦車大隊が再編成される。1981年の旅団は以下のとおりであった。陸軍第5次編制で、1992年に第22装甲擲弾兵大隊は第12装甲擲弾兵大隊に従属させ、1992年に第25装甲砲兵大隊、第20装甲工兵中隊、および第21戦車大隊が解隊される。1993年3月に旅団は解隊される。
出典:wikipedia
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