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真岡鐵道真岡線

真岡線(もおかせん、かつては「もうかせん」)は、茨城県筑西市の下館駅から栃木県芳賀郡茂木町の茂木駅に至る真岡鐵道の鉄道路線。かつては日本国有鉄道(国鉄)・東日本旅客鉄道(JR東日本)が運営していた。愛称「コットン・ウェイ」。ワンマン運転の普通列車のみの運行である。1時間あたり1本程度で、下館駅 - 茂木駅間の直通運転を基本とするが、下館駅 - 真岡駅間・真岡駅 - 茂木駅間の区間列車も設定されている。1994年3月27日から、土日祝日を中心に蒸気機関車C12 66またはC11 325が牽引する「SLもおか」が通年運転され、通過駅がある列車として設定された。「SLもおか」の回送を兼ねた下りの下館駅 - 真岡駅間を運行する1本も、同様に通過駅があるが「SLもおか」と異なり寺内駅が通過駅となる。普通列車は真岡鐵道への転換時に導入されたモオカ63形(11両)で運行してきたが、老朽化により2003年(平成15年)1月20日よりモオカ14形が導入され、年間2両前後の導入で順次モオカ63形を淘汰した。形式名称の数字(63・14)は導入が始まった和暦の年(モオカ63形は昭和63年、モオカ14形は平成14年)を示している。転換後の一時期、JR路線からの臨時列車が設定された。益子大陶器市に合わせて東日本旅客鉄道(JR東日本)から同社水郡線営業所に配置されていた東北色のキハ40系列や新津運輸区に配置されていた新潟色のキハ58系列が臨時列車として乗り入れた事例があったが、近年は行われていない。JR東日本から試験車を借り入れ、年1回程度で軌道検測が実施される。転換直後はマヤ34形客車を使用していたが、同車淘汰後はキヤE193系気動車「East i-D」を使用する。国鉄時代(1970年ころ)は上り14本、下り8本が運転され、うち上下8本が水戸線に乗り入れ小山まで直通していた。朝夕には5-6両編成で運転され、特に朝のラッシュ時には8両編成で運転されていたが、1988年の真岡鉄道転換前には小山直通列車は廃止となった。歴史は古く、1912年の官設鉄道真岡軽便線(もうかけいべんせん)下館 - 真岡間の開業に始まる。1920年には茂木まで全通した。しかし、地域の流動に合わない線形で、県都宇都宮との連絡鉄道(改正鉄道敷設法別表第37号「栃木県市塙ヨリ宝積寺に至ル鉄道」)も計画されたが実現に至らなかった。国鉄再建法施行により1984年に第2次特定地方交通線に指定され、1987年にJR東日本に承継された後、1988年に真岡鐵道に転換された。改正鉄道敷設法で挙げられた真岡線に関係する予定線としては、以下のものがある。このうち前者は、1934年に鉄道先行路線として烏山 - 茂木間に国鉄バス(後のジェイアールバス関東)常野線が開業したが、鉄道路線としては実現せず、常野線も1993年6月の茂木駅 - 芳賀黒田間廃止を境に路線縮小が進み、2011年には全区間が廃止された。現在は烏山周辺の一部区間が那須烏山市営バス市塙黒田烏山線として運行されている。また後者は、このうち茂木 - 長倉宿(現常陸大宮市)間が国鉄長倉線として計画され、1937年3月に着工。全線の用地買収と河井村(現茂木町)までの路盤建設が完了し、1940年にはレールの敷設工事も開始されていた。しかし、太平洋戦争勃発による建設区間見直しで工事は中断、レールも金属回収により撤去され、戦後も再開されず開業することはなかった。また、1927年に後者のルートのうち、水戸と阿野沢付近の御前山駅(現城里町)を結ぶ鉄道として茨城鉄道(後の茨城交通茨城線)が開業したが、1971年までに廃止された。茨城鉄道は御前山 - 長倉間の免許も取得していたが実現しなかった。国鉄バスによる鉄道先行路線としては水戸 - 赤沢間が水都東線、赤沢 - 長倉宿 - 茂木間が水都西線として開業したが、いずれも1990年代までに廃止されている。

出典:wikipedia

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