SG-1000は、セガ・エンタープライゼス(後のセガゲームス)が開発した家庭用ゲーム機。日本では1983年7月15日にセガ自らが販売し、海外ではOEM販売された。同社のSC-3000をベースに、よりゲームに特化し、シンプルな回路で構成された製品。SG-1000のSGは「Sega Game」の略である。別売の外付けキーボード SK-1100には、SC-3000から省略されたインターフェイスも搭載されており、機能的には同様のものが提供される。ハードウェアとしては入出力周りの実装と、メモリの実装量が異なるため、拡張しても等価になるわけではない。単色のみのスプライト機能あり。価格は15000円。日本国内では販売時期に相応して3種類のバージョンが存在している。写真は後期モデルのものである。また初期 - 中期に移行した辺りのタイミングで、SG-1000の基板設計が変更され、CPUやVDP、SN76489の位置が異なっている。VDPに色差信号対応のTMS9928を採用し、高画質化製品を視野に入れた変更がなされ、それに対応した信号出力ターミナルの追加とシルク印刷、CPUの上をオーディオ信号を含む7本のジャンパー線を走らせている。なお外観上、2P側のコントローラー端子がボディーから出っ張っているのが初期、面位置になっているのが設計変更された基板の特徴である。カートリッジコネクタの固定方法が基板にハンダ付けされているのみの方法を取っている上、基板そのものがビス4本によって間接的にボディーを介して固定されているため、ソフトの抜き差しに対するスロット周辺の強度が不足し結果的にハンダ剥離、パターン破壊を引き起こしソフトを認識しなくなるトラブルが多発した。セガは基板と本体ボディーが接する部分にボール紙によるパッキンを当てて強度を増そうとしていたが、根本的な解決にはなっていなかった。SG-1000の1プレイヤー側ジョイスティックは本体直結となっており、コントローラーを交換する事はできない。2プレイヤー側はコネクタ式のため差し替え可能である。ただし、本体を開けて1プレイヤー側ジョイスティックを取り外し、別売されていたエクステンションケーブルキット(JC-100)を取り付ける事により、1プレイヤー側もコネクタ仕様となり着脱可能となる。エクステンションケーブルキットは基本的には店頭販売されておらず、セガのサービスセンターでJC-100の取り付けサービスと、取り外したジョイスティックコントローラSJ-200の着脱対応化改造を行っていた。コントローラ形状は縦長の箱状で、両側面にボタンが1つずつある8方向レバーのジョイスティックである。これはAtari 2800やスーパーカセットビジョンなどと同様である。これらに比べてSG-1000のものは小学生の手にフィットする細長い形状になっている。なお、コントローラー端子に5Vが供給されていないので、後に発売されたラピッドファイヤーユニットやアスキースティックαはこの機種には利用できない。当初はSG-2000という名称で定価19,800円にて発売予定だった。ファミコン発売に合わせて、価格を下げSG-1000として発売した。1983年7月15日に発売。同日に任天堂がファミリーコンピュータ(ファミコン)を発売した。同じ月にはエポック社がカセットビジョンJr.を、トミーがぴゅう太Jr.を発売するなど、競争の激しい時期だった。上位機であるSC-3000は、同時期のホビーパソコンであるM5やMSXなどとほぼ同等のスペックである。SG-1000はそれらと同等のハードウエア性能を持ちながらもキーボードやBASICをオプションにすることで15000円という低価格を実現していた。しかし、当時としては段違いに高性能かつ低価格なファミコンの前に劣勢を強いられることとなる。当時すでにアーケードで実績を持つセガではあったものの、コンシューマ市場には初参入のテレビゲーム機であり、初期は必ずしも不慣れな一面が無かったわけではない。例えば月刊コロコロコミック1983年10月号の比較記事によれば、SG-1000はAtari 2800(アタリ)を若干下回る3位という総合評価を受けている。同誌でファミコンがほぼオール5に近い別格の高評価だった中で、旧世代機ながらも当時世界のコンシューマ市場で実績のあったアタリは全ての評価項目で無難に4以上という並の評価を見せたのに対し、SG-1000は「ゲームパターン」という評価項目のみ3を付けた。アーケードゲームであればともかく、当時の日本のコンシューマゲーム事情は電子ゲームから家庭用テレビゲームへの移行期であり、場面が変わればゲーム内容が大きく変わることが電子ゲームには無い利点と考えられていた。しかし『N-サブ』に代表されるSG-1000の初期タイトルにはゲームが進んでもゲーム内容に変わり映えの乏しいゲームが多く、そこを突かれる形となった。それでも「ソフト」という評価項目ではタイトル数に勝るAtari 2800よりも高い評価を受けており、アーケードで長年の実績を誇るゲーム作りのセンスは同誌でも絶賛されていた。また1983年秋時点での同誌でのソフト個別の評価例としては、初期タイトルの1つ『スター・ジャッカー』が、ファミコンの『マリオブラザーズ』・『ポパイ』に次ぐ3位という好評価を見せた。発売当初は5万台程度の販売台数を見込んでいた。実際には日本国内だけでも初年度で十数万台を販売し、さらに海外でも販売され、結果的に損益分岐点である20万台を上回る40万台を記録。セガの見込み以上に売れる大ヒットとなり、その後のセガ独自ハード路線を決定づけた。ツクダオリジナルとパイオニアが、以下の互換ハードを発売した。いずれも、SK-1100等が必要な物を除き、セガ発売のSG-1000/SC-3000シリーズ用ソフトが使用可能。セガハード初のサードパーティとなるツクダオリジナルからは「オセロマルチビジョン」用ソフトとして8タイトルが発売され、それらソフトはSG-1000/SC-3000シリーズでも使用可能である。パイオニアからは互換ハードのみの発売のみで、独自のソフトは発売されなかった。また、「ゲーム学習机」というアーケード筐体が存在した。名前の通り机にモニターが据え付けられたようなデザインで、机部分にSC-3000と同じキーボードとアーケード型ジョイスティックが搭載されており、正面のモニタ横にソフトの切り替えボタンが縦に10個並んでいた。コインを投入すると一定時間(標準設定で10分/100円)、内蔵されているソフトを自由に切り替えてプレイできるというもの。セガ直営店のごく一部の店舗で見ることができた。基板はSG-1000と同等のもので、ソフトも市販のものと全く同じものを使用していた。これとは別に、SG-1000と同スペックの一般筐体向け業務用基板も、ごくわずかながら流通した。この基板ではソフトウェア用としてEPROMが使用されている。後継機のセガ・マークIII発売後もソフトの供給は続き、1987年2月18日発売の「ロレッタの肖像」が最後のソフトだった。SG-1000は、日本国外にも展開され、オーストラリアではJohn Sands社、ニュージーランドではGrandstand Leisure Limited社によって販売されていた。それ以外にも、イタリア・スペイン・南アフリカ共和国・台湾でのOEM販売も行われた。北米では販売されなかったが、前述の「ゲーム学習机」の様な形で、アーケードゲームの形でSG-1000のゲームを遊ぶ事はできた。また、クローン機では台湾のBit Corporation社よりSG-1000とコレコビジョンの両方のソフトが遊べる「DINA 2-in-1」なども発売された。
出典:wikipedia
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