LINEスタンプ制作代行サービス・LINEスタンプの作り方!

お電話でのお問い合わせ:03-6869-8600

stampfactory大百科事典

オートポリス

オートポリス()は、大分県日田市上津江町上野田にあるサーキットである。元々山本観光が「ゲーリー・プレイヤー・カントリークラブ」という名のゴルフ場建設予定地でオイルショックにより計画が頓挫していた広大な土地に、不動産開発業者で、オートポリスの運営会社である「日本オートポリス」の社長・鶴巻智徳の指揮により、バブル景気全盛期の1990年にオープンした。オープンに合わせて同年11月30日には、竹下登元首相などを招待し東京全日空ホテルでオープニングパーティーが行われた。なお鶴巻は、1989年に同ホテルで行われたオークションで、パブロ・ピカソの「ピエレットの婚礼」を5160万ドルで競り落としたことで世界的に有名となっていた。また後に馬主としてエーピーインディを所有している。1991年3月には、こけら落としイベントとも言える全日本F3000選手権が開催され、決勝日には7万人を超える大観衆が押し寄せ、スタンドを埋め尽くした。1991年10月にはオートポリス初のFIA公認世界選手権レースとなるスポーツカー世界選手権(SWC)の最終戦が開催され、F1デビュー間もないミハエル・シューマッハも出走し、優勝を飾っている。オートポリスは当初からF1開催を目指して建設されたサーキットで、1990年と1991年にはネルソン・ピケがドライブするベネトンチームのスポンサーとなるなど、積極的にF1の誘致活動を行っていた。この活動が実り、1993年にはF1第3戦に「アジアGP」として初開催される予定であった。F1開催に向けて、2万人の観客を収容できる最終コーナースタンドや、コースを見渡せるホテル「ベラ・ビスタ」、美術館、3回ワールドチャンピオンとなったネルソン・ピケの博物館、カートコース、ヘリポートなどを備えていた。なお、サーキット内のホテル「ベラ・ビスタ」は、わずか28室の高級ホテルとして建設され、他にも350室のリゾートホテルが建設される予定であった。また美術館には、鶴巻が購入したピカソの作品の他に、ルネ・マグリットやクロード・モネ、フィンセント・ファン・ゴッホなどの作品を展示する予定であった。また、オートポリス独自のワンメイクフォーミュラ「FC45」のレースが1991年から開催された。FCとは当時の社長の名前からフォーミュラ・クレーン(鶴)と言われている。45は排気量(4,500cc)。しかし、バブル崩壊により1992年に「日本オートポリス」は倒産。当然F1開催はキャンセルとなった。美術館とホテルは閉鎖され、美術品は債権者に差し押さえられることとなった。また、「FC45」もこの年限りで終了となった。翌1993年には、債権者であるゼネコンのハザマが「大分阿蘇レーシングパーク」として運営を続けるものの、アクセスの悪い山間奥地にあるため経営が成り立たず、サーキットそのものの存続自体が危ぶまれる状態に陥ってしまう。1996年にハザマより上津江村(当時)に抵当権付きのままながらも無償譲渡された後は、地元住民によるボランティアの協力等を得つつ、第3セクターの有限会社かみつえグリーン商事によってサーキットの運営を継続。名称も、知名度の高かった「オートポリス」に戻された。その頃はビッグレースは開催不能で、走行会やアマチュアレース中心の運営であった。1999年11月にはオールスター戦ではあるものの全日本GT選手権が初めて開催され、季節外れの大雪の中、5万人近い観客を集める。2002年からは全日本ロードレース選手権、2003年からは経営が行き詰った美祢サーキットに代わる形で全日本GT選手権が開催されるようになってきた他、2006年にはフォーミュラ・ニッポンも開催されるなど、徐々に運営は上向きとなった。2005年3月に川崎重工が同サーキットを買収したことを発表。同月、市町村合併で上津江村が日田市に編入合併した事も関係あるといわれている。同社の二輪車の開発用テストコースとして活用する一方で、全日本格式をはじめとする各種レースイベントも継続して開催されている。なお、川崎重工は、同じ大分県内にSPA直入という二輪用サーキットを所有していたが、オートポリス買収後もSPA直入は運営を続けている。ホテル「ベラ・ビスタ」や美術館の建物は取り壊され空き地になっている。2010年からは国際格式の二輪レースであるFIMアジアロードレース選手権が全日本ロードレース選手権と併催で開催されている。2011年にはSUPER GTが復活し、フォーミュラ・ニッポンが2&4として全日本ロードレース選手権(ST600)と併催で開催され、それとは別に全日本ロードレース(全クラス)がASIAN GPと併催で開催されるなど、大きくレーススケジュールが変更になった。また2012年からは、スーパー耐久レースが開催されている。2011年11月より2012年3月までの期間で、オープン以来初となるメインコースの全面改修工事(路面の全面張替えと縁石の一部を改修)を行った。2013年には2004年より続いていた全日本プロドリフト選手権がスケジュールから外れたが、2014年には復活している。2016年4月の熊本地震では、16日の本震で震源地近くに所在する本コースも被災し、コース数カ所やパドックビル・ロイヤルルーム等にヒビが入る、メインスタンドの地盤沈下などのダメージを受けたため、当座同年5月末までの施設クローズを決定、5月に開催予定だったSUPER GT第3戦と6月に開催予定だった全日本ロードレース選手権第4戦、9月に開催予定だったスーパーフォーミュラ第5戦の中止も決定した。 なお復旧・営業再開については同年10月を予定している。全長4,674mの長さを誇る国際公認コース。ホームストレートは902m、高低差は52メートル、最大上り勾配7,2%、下り勾配10%のアップダウンの激しいテクニカルコース。その為、タイヤの磨耗度が激しく、一部のレーサーからは「タイヤ泣かせのコース」といわれている。日本では珍しく、ピットロードがコースの外側にある。よって、ピットから見るとマシンの走行方向が他のサーキットと逆になる。元ホンダF1の責任者桜井淑敏がコース監修を行った。全長1,760m。カートやドリフト走行会、市販車試乗会等に使われる。ファイナルコーナースタンドから駐車場を過ぎて上がった先にある。主にドリフト走行会、ドリフト練習会などのイベントで使用される。このオートポリスのPR活動などを行う「サーキットクイーン」と呼ばれるイメージガールが存在している。毎年春のビッグレース時にオーディションが行われ、4名(当初は5名)が選ばれ活動していたが、2009年から任期が2年に延長している。大分県と熊本県の県境付近の山間部に位置し、交通アクセスは総じて悪いと言える。日田市方面からは大分県道12号、菊池市方面からは熊本県道45号線、大津町方面からはミルクロードを利用してアクセスするが、いずれも市街地から自動車で30~40分程度かかる。なお山間部に所在するため、冬季は積雪により周辺道路が通行止めとなることもあるので注意されたい。公共交通機関は一切ないが、ビッグレース開催期間は日田市や熊本市などからシャトルバスを運行する場合もある。詳細は公式サイトを参照。

出典:wikipedia

LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。