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後宮

後宮(こうきゅう)は、皇帝や王などの后妃が住まう場所。日本では、平安京内裏の七殿五舎、江戸城大奥が該当する。一般的に、後宮は男子禁制というイメージがあるが、日本の内裏では必ずしもそうではなく、平安時代中期に書かれたとされる『源氏物語』や『枕草子』といった物語や随筆では殿上人のうちでも家族や親しい人間は頻繁に出入りしていたように描写されている。平安時代には天皇やそのきさきの側に控えた女房と呼ばれる女性たちが、内裏を舞台とした内容の宮廷文学を生み出したことはよく知られている(それらが書かれた場所が後宮であったとは限らない。実家などに戻った際に書いたものとされることもある)。ただし、平安末から鎌倉時代頃から徐々に男子禁制の場となり、江戸時代においては男性が入る余地はなくなってしまっていた。江戸時代の江戸城大奥は、完全な男性禁制の場であり、火事など緊急時以外の男性の出入りは厳しく制限された。男子禁制をとっているのはオスマン帝国などのイスラム諸王朝や中国などであり、去勢された宦官が、家政一般にあたった。これに対して日本では、宦官は置かれずに宮人とも呼ばれる女官が発達して女性たちによって秩序が維持された。また、後宮を意味するハレム(harem)は、オスマン帝国の後宮がそう呼ばれていたところから来ている。日本では、大宝律令において「後宮官員令」(養老律令では「後宮職員令」と改称)が定められて後宮十二司が配置され、宮中に七殿五舎が設置された。また、白鳳期の皇族である長屋王の館跡からも、後宮のような跡地が見つかっている。中国で後宮とは、宮廷内で天子が家庭生活を営む場所であり、また皇后以下、妃嬪が暮らす場所でもあった。そのため后妃のこと自体を後宮ということがある。その他、後宮には多くの女官や宦官たちが暮らし、後宮内での職務に従事した。前漢の制度では、昭儀、婕妤、娙娥、容華、美人、八子、充衣、七子、良人、長使、少使、五官、順常、無涓、共和、娯霊、保林、良使、夜者を指す。後漢の光武帝は節約を理由に後宮の簡素化を施行し、妃嬪の位号も4級(貴人、美人、宮人、采女)にした。晋代の制度では、三妃(貴嬪、夫人、貴人)、九嬪(淑妃、淑媛、淑儀、修華、修容、修儀、婕妤、容華、充華)、美人、才人、中才人。唐代の制度では、後宮の職官は、内官・宮官・内侍省の3部門で構成されていた。内官とは妃妾のことで、四夫人(貴妃、淑妃、徳妃、賢妃。正一品)、九嬪(昭儀、昭容、昭媛、修儀、修容、修媛、充儀、充容、充媛。正二品)、二十七世婦(婕妤、美人、才人。正三品から正五品)、八十一御妻(宝林、御女、采女。正六品から正八品)を指す。正六品以下が宮官であり、宮中内の職務に携わる女官たちのことである。尚宮(総務的な仕事)・尚儀(礼楽に携わる)・尚服(衣服に携わる)・尚食(食事に携わる)・尚寝(居住空間に携わる)・尚功(工芸に携わる)の六尚に分けられて職務に従事し、また宮正が置かれて、後宮内の不正の取り締まりに従事した。内侍省は宦官たちである。宋代の制度では、四妃(正一品)、十八嬪(太儀、貴儀、妃儀、淑儀、婉儀、順儀、順容、淑容、婉容。以上従一品。昭儀、昭容、昭媛、修儀、修容、修媛、充儀、充容、充媛。以上正二品)、婕妤(正三品)、美人(正四品)、才人(正五品)、他の側女(正六品から正八品以下)を指す。明代の制度では、皇貴妃、貴妃、妃、嬪(明の前期に昭儀、昭容、婕妤、美人などという)、側女(宮御、貴人、宮嬙、女子、宮人などという)。嬪以上の女性は、位号の前に漢字を1字つけることが許されていた。清代の制度では、皇貴妃(定員1人)、貴妃(定員2人)、妃(定員4人)、嬪(定員6人)、貴人(定員なし)、常在(定員なし)、答応(定員なし)、官女子(定員なし)。位号の前に漢字を1字つけることが許されていた。李氏朝鮮における内官は、『経国大典』によると嬪(、ピン、正一品)・貴人(、クィイン、従一品)・昭儀(、ソイ、正二品)・淑儀(、スグィ、従二品)・昭容(、ソヨン、正三品)・淑容(、スギョン、従三品)・昭媛(、ソウォン、正四品)・淑媛(、スグォン、従四品)などであり、正一品から従四品までが王の後宮であった。尚宮(、サングン)を始めとする正五品以下は職務に従事する女官たちであった。嬪以外は、そのまま階級名を名前とした。嬪は、嬪の前に漢字を1字つけることが許されていた。側室の地位は、実家の家柄、王子を生んだか、王女を生んだかによってもかなり違っていた。

出典:wikipedia

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