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トヨタ・コースター

コースター(COASTER)は、トヨタ自動車が製造するキャブオーバー型のマイクロバスである。ビッグバン(1ナンバー)やキャンピングカー(8ナンバー)としての登録も多く、テレビ放送局などでのロケバスとしても多く用いられている。また、日産・シビリアン同様、コミュニティバス用として導入している国内事業者もある。日本国内での用途廃車後、途上国へ中古車として輸出されるケースが多い車両でもある。系列の日野自動車にはリエッセIIの車名でOEM供給(3代目中途以降)されている。輸出仕様につり革、非常口、降車ブザーなどを備えた路線仕様も存在し、香港において運行されているミニバス()のほとんどがコースターLPGを使用している。また、香港向けに開発された1BZ 型 4.1 L LPGエンジン搭載車も、3代目から日本で発売され、コースター /リエッセ に設定され幼稚園バス等で使用されている。欧州では、ポルトガルのがコースターのシャーシに独自の車体を架装し、オプティモの名で販売している。トヨペット・ルートトラックのはしごフレームにバスボディーを架装したものがコースターの始祖にあたる。当初は、毎年のようにシャシが改良され、それに伴い型式(かたしき)も変更された。同一フレームがトラック、ルートバン、バスなどで共用されていた。他社も含め、当時はマイクロバスではなく、ライトバスと名乗っているものが多いようである。1963年(昭和38年)3月、ダイナのモデルチェンジに合わせ、3R-B型ガソリンエンジン搭載のトヨタ・ライトバス RK170B系が発表された。170系ダイナでは、バスボディーを架装しやすいよう、スタウトと共通のものから、直線的なフレームに一新されており、ボディーもこれまでより大型のものを新規に設計・開発した。ライトバスの型式は、末尾がB (BUS) とされ、22人乗りがRK170B、25人乗りはRK170B-Bとなった。また、日本のマイクロバスとしては初めてとなる、オルタネーター(交流発電機、日本電装製)を装備していた。当型式の丸型テールランプとバックアップランプは、2000GTにも流用されている。以後、コースター登場まで、3度のマイナーチェンジを経る。トヨタ車体の歴史には、マイクロバスRK160B型(現コースター、旧アラコ製)、トヨタ自動車の歴史ではこのRK170B トヨタ・ライトバス(現・コースター)、とそれぞれ記されており、RK、JK系のバスモデルがコースターにつながったことが示されている。なお、少数ながら、スタイルの異なるトヨペット整備製の車体を架装したモデルも、傍系として併売されていた。J型ディーゼルエンジン搭載のJK170B系を追加。1965年(昭和40年)6月、サブエンジン方式でクーラー搭載モデルを設定。このエンジンにはパブリカ700用のU型が流用され、最後列の座席を廃した床下に収められた。大型のクーラーボックスをも備えており、外観では屋根上のクーラーダクトと、リアの通気用メッシュが特徴となる。1966年(昭和41年)2月、パブリカの800cc化に伴い、クーラー用サブエンジンが2U-B型となる。1966年(昭和41年)2月、エンジンを1900ccの5R型へ変更、型式がRK171Bとなる。1969年(昭和44年)2月、コースターという名前では初代となるRU18型ほかが登場する。従来どおり、ダイナの姉妹車として開発されており、型式の「U」もダイナと共通である。最前部の屋根のみ少し高くされ(ハイルーフを除く)、運転席と左側最前列席への移動性が向上している。運転席ドアを装備するとともに、ラップアラウンド形状(U字型)のバンパーを採用した。5R型ガソリンエンジンのほか、J型ディーゼルエンジンも設定され、レントゲン車などの架装に対応して発電用サブエンジンの搭載も可能であった。1977年(昭和52年)2月、マイナーチェンジ。フレームを補強、ホイールベースも15mm延長され、型式がRU19となる。ブレーキマスターシリンダーがタンデムとなり、真空倍力装置一体型となる。5Rエンジンは圧縮比のアップなどで5 ps・1 kgmの出力向上。外観ではフロントグリルの意匠、外板色や塗り分けを変更。1977年(昭和52年)6月、ダイナのフルモデルチェンジに先んじ、B10系に型式変更。ダイナから分離され専用型式(かたしき)となったため、運輸省の認可上はモデルチェンジとなるが、外観が踏襲されているため従来型との判別は難しい。ライトバス時代を通しても初となる、カタログモデルとしてのハイルーフが設定されている。2U型エンジンを用いたサブエンジン方式のクーラーは廃止され、経済性や騒音面を重視し、乗用車等で一般的なエンジン直動式コンプレッサーとなっている。大きな車室の冷気をまかなうためのコンプレッサーは非常に大型となり、ベルト駆動では信頼性に欠けるため、トランスミッションケース横から長い補助シャフトで動力を伝えるPTO式を採用している。この補助シャフトのアイディアは、初代エスティマのスーパーチャージャーの駆動にも応用されている(エスティマの動力取り出しはPTOでは無く、クランクプーリーとベルトによる。)。車両総重量とクーラーコンプレッサーの負荷を考慮してエンジンには若干の余裕を持たせ、3,200 ccの2B型ディーゼルと、2,200 ccの20R型ガソリンが新たに設定された。2B型は、ランドクルーザー40系の排出ガス規制用として、1979年(昭和54年)に日本国内向けのみに搭載されるまで、しばらくはコースター専用であった。1979年(昭和54年)、一部改良が行われた。昭和54年排出ガス規制適合(型式の排ガス記号:K-)。シフトレバーの配置がコラムシフトからフロアシフトに変更された。1982年(昭和57年)5月、フルモデルチェンジされ2代目が登場する。このモデルより、ロングボデーやオートマチックトランスミッション(1985年10月)もラインナップされる。全車の前輪がトーションバー・スプリングを用いたダブルウィッシュボーン式サスペンション(独立懸架)となり、最上級となるEXグレードにはエアサスペンションが新たに採用された。又、スタンダード、幼児車を除き、角形4灯ヘッドランプが採用された。直列6気筒エンジンがメインとなり、ランドクルーザーに搭載されていた、直列6気筒OHV、4,000 cc、過流室式の2H型ディーゼルエンジンと、その直噴・ターボ版の12H-T型(1985年〈昭和60年〉10月追加)がコースターにも設定された。他に、直列4気筒 OHV・3,400 cc・過流室式ディーゼルの3B型、直列4気筒 OHV・3,700 ccの直噴ディーゼル14B型(1988年8月追加)、直列4気筒 OHC・ 2,400 ccガソリン22R型と合わせ、5機種のラインナップとなった。客用ドアは、従来からの折り戸に加え、国産マイクロバスでは初となるグライドドア(アウタースイング式プラグドアのトヨタでの呼称)を設定、どちらも自動・手動切替式とした。他社に先駆けて、これら一連の装備の採用で、コースターの商品性は大きく向上した。1984年(昭和59年)8月、普通貨物登録の「ビッグバン」を追加。普通免許(当時)での運転が可能なよう座席を9名とし、車室後半を1.25t積みの荷室に充て、バックドアは荷役に都合の良い観音開きとした。2007年(平成19年)6月以降は運転免許制度改正に伴い、ロングボディーは車両総重量が5 tを超えて中型自動車となるため、新普通免許での運転は出来なくなった。1990年(平成2年)1月、マイナーチェンジ。6気筒ディーゼルエンジンをH系から、OHC・4,200 cc過流室式の1HZ型と、同じく直噴式ターボ過給の1HD-T型へ変更し、平成元年排出ガス規制に適合(型式の排ガス記号:U-)。ボディーのカラーリングも変更された。特装車として、キックアップルーフで後部座席天井に傾斜付きのガラス窓が設けられた「パノラマサルーン」が存在した。架装は北村製作所。1500ccの5E-FE型エンジンを発電用に使ったシリーズハイブリッド車もHZB50系の改造車扱いでラインナップされていた。運転席・助手席の後部に機器を増設しているため、吸気口が外観のアクセントとなる。1997年3月に発売開始、車両本体価格が約1,500万円と非常に高価なため導入例が少なく、北海道では極寒期の出力減衰という事情もあり、2007年のマイナーチェンジで生産・市販を中止した。導入例としては札幌市の紅葉の名所である豊平峡ダムへの観光客送迎用バス(札幌リゾート開発公社)や東京電力横浜火力発電所見学者用が挙げられる。東京都交通局の実験的な試みで始まった、ビジネスや買い物客を想定した、低運賃の都心ミニバスにコースターハイルーフが採用された。1974年(昭和49年)2月、クリーム色に水色の帯の美濃部カラーでデビューした。品川営業所の受け持ちで、系統番号は「東01」、運行経路は東京駅北口 - 東京駅南口 - 有楽町駅 - 日比谷 - 警視庁 -(→運輸省)- 霞ヶ関 - 虎ノ門 - 新橋駅であった。1980年(昭和55年)9月にK-BB11型に代替され、全廃時の都電を彷彿とさせる、黄色地にえんじの帯へ変更された。大型の方向幕とも相まって、都営バスのなかでは異彩を放つものであった。現在の100円バスと同様のコンセプトは先進的であったが、利用客数は低迷し、1983年(昭和58年)8月に廃止された。その後車両は岩手県の東磐交通に売却され、都営時代のカラーのまま路線バスとして使われ廃車となったが、解体されずに倉庫となり現在に至る。後にこの塗色は、一般の都営バスにも波及したが、都の調査の結果、利用者には不評であったため、短期間で緑とベージュの組み合わせへと変わっている。1985年(昭和60年)3月に国際科学技術博覧会(科学万博つくば'85)会場内の巡回バス(愛称・ポレポレバス)として採用される。この車体については、乗務員が停留所で運賃収受や車椅子の乗降補助を容易にするため、左ハンドルに設定され、側面の乗降口は運転席のすぐ後ろと、最後部の2箇所に設けられた。また、バリアフリー対策として、オプションの車椅子乗降用リフトも8台中4台に取り付けられた。

出典:wikipedia

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