ハイフライヤー(、1774年 - 1793年)は、18世紀後半に活躍したイギリスの競走馬・種牡馬。18世紀を代表する名馬で、18世紀三名馬の一頭に数えられている。種牡馬としても同時期の三大始祖と同等かそれを凌ぐ成功を収め、サラブレッド種の成立に大きく貢献した。ハイフライヤーは大種牡馬ヘロドの産駒として、イギリスのベリーセントエドモンズの北東のグレートバートンで生まれた。生産者はイギリスジョッキークラブ会長のトマス・チャールズ・バンベリー卿。奇しくも非三大始祖父系の最後の名種牡馬マークアンソニー(オルコックアラビアン系)の半弟である。名前の「Highflyer」は野心家の意もあるが、由来はハイフライヤーの生まれた牧場に生えていた「Highflyer walnut trees」(クルミの木の一種)、にちなんで名付けられたと言われている。競走馬としては主にニューマーケット競馬場で走り12戦不敗、全て圧勝でフライングチルダーズ、エクリプスと並ぶ18世紀の名馬と評価されている。馬主は最初ボリンブルック卿、のちにリチャード・タタソールに売却された。種牡馬としては18世紀中で最も成功した種牡馬であり、次の世紀のセントサイモンに匹敵する。この時代のハイフライヤーの勢いはすさまじく、200年以上たった2004年にサドラーズウェルズによって破られたが、エクリプス等の名種牡馬を相手に、1785-1796,1798年の計13回リーディングサイアーを獲得した。勝ち上がった産駒は469頭(文献によって多少幅がある)にも及んだ。この数字はヘロドに劣るが、勝利数は1108勝に達し、18世紀の種牡馬としては最多である。このためヘロド系は大きく伸長し、代表産駒のサーピーターティーズルもリーディングサイアーを10回(又は9回)獲得した事もありヘロド系だけで1777年から1809年までの33年間に31回もリーディングを取ることになった。産駒には、4頭のセントレジャーステークス優勝馬、3頭のエプソムダービー優勝馬を始め、他にもオークス、ドンカスターカップの勝ち馬がいる。この中でも代表的な産駒はサーピーターティーズルである。第12代ダービー伯爵に初のザ・ダービー勝利をもたらしたこの馬は、種牡馬としてもダービー優勝馬4頭、セントレジャー優勝馬5頭を送り出しハイフライヤー系を更に発展させた。このため一時、ヘロド系全体を指してハイフライヤー系と呼ばれるまでに至った。しかし、19世紀中頃になると、あまりに繁栄しすぎたハイフライヤー系は配合の幅が狭まったためか、一世紀後の「セントサイモンの悲劇」と同じ現象が起こり衰退した。その後も勢力を減じ続け、1937年にはMioland(アメリカンダービー、ベルモントステークス2着)を出すも、20世紀中には完全に滅んだとみられる。ただしヘロド系自体は傍系のウッドペッカーの子孫により存続している(→ヘロド系参照)。ハイフライヤー自身は、1793年に19歳で死亡し、繋養地であったハイフライヤーホールの近くに葬られた、墓石には「Here lieth the perfect and beautiful symmetry of the much lamented Highflyer, by whom and his wonderful offspring the celebrated Tattersall acquired a noble fortune, but was not ashamed to acknowledge it.」と刻まれた。
出典:wikipedia
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