安田 伊左衛門(やすだ いさえもん、安田 伊左衞門、1872年8月31日(明治5年7月28日) - 1958年(昭和33年)5月18日)は、日本の陸軍軍人、政治家。軍人としての階級は陸軍騎兵大尉。衆議院議員ののち貴族院議員。他に日本競馬会理事長、日本中央競馬会理事長を務める。栄典は正五位勲三等旭日中綬章。安田は「日本競馬の父」「日本ダービーの生みの親」と呼ばれる。陸軍騎兵大尉として中央馬廠戸山厩舎長であった1904年、競馬会設立の議に加わる。1908年に馬券の発売が禁止されると、馬券発売を合法化すべく旧競馬法の制定に奔走した。1936年の競馬倶楽部統合、日本競馬会創設に関与。同会初代理事長松平頼寿の退任を受け、第2代理事長を勤めた。在任中は、日本競馬のレベルアップを図るべくさまざまな改革に着手。イギリスを範としてレースの体系を整備し、日本ダービー(東京優駿大競走)をはじめとするクラシックレース五大競走の原形を作った。1954年に日本中央競馬会が設立されると、同郷の大野伴睦の要請を受け、初代理事長に就任した。翌1955年に理事長を有馬頼寧に要請し、同会顧問となった。1951年に安田の業績を称え、日本競馬史上初の古馬マイル重賞「安田賞」が誕生。1958年に安田が死去した後、同レースは安田記念と改称され、現在は春季の芝マイル部門チャンピオンホース決定戦として開催されている。『競馬と共に歩んだ 安田伊左衛門翁伝』(日本競馬会 1948年)
出典:wikipedia
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