屈斜路湖(くっしゃろこ)は北海道東部、弟子屈町にある自然湖である。日本最大のカルデラ湖で、全面結氷する淡水湖としても日本最大の面積を持つ。昭和9年、全域が阿寒国立公園に指定された。藻琴山、サマッカリヌプリなどを外輪山とする東西約26km、南北約20kmの日本最大のカルデラである屈斜路カルデラの内側に約3万年前に形成された。日本の湖沼では6番目の面積規模を有し、平均水深は28.4m、カルデラ湖としては浅いほうだが、東南部にある旧噴火口にある最深部では117mになる。湖中央部には、日本最大の湖中島である中島(火砕丘、面積5.7km²、周囲12km)が浮かぶ。中島はそれ自体二重式火山であり、中央の溶岩円頂丘に最高点(355m)がある。南岸には和琴半島が突出する。中島と同様、火山の山頂が湖中島になったものであったが、尾札部川の扇状地から成長した砂州により陸繋島となった。周囲から小河川が流入し、南端から釧路川が流れ出す。河川からの流入は、湖に入る全水量の20パーセントほどで、残りは地下から湖底に入っている。道北にあるクッチャロ湖とは、呼び名が似ていることから混同されがちであるが、全くの別物である。ただし、語源は同じである(アイヌ語の"kut-char"(沼の水が流れ出る口))。初期の屈斜路湖は面積が現在の倍ほどあり、ほぼ円形の湖だったと考えられる。現在のカルデラは、東西約26km 南北約20kmで日本最大。アトサヌプリや川湯温泉から強酸性(pH2前後)の温泉水を運ぶ湯川が北東部に流入し、屈斜路湖全体もpH5前後の酸性湖となっているため魚類は乏しい。過去には魚類が豊富だった時期もあった。江戸時代の終わり頃、1858年(安政5年)に松浦武四郎が通りかかったときにはイトウ・ウグイ類・ヒメマスがいた。1917年(大正6年)の調査では、イトウ・ウグイ・アメマス・ヤマベ・カジカ・イトヨに加え、サケが遡上していた。植物プランクトンが多く、セキショウモやヒルムシロのような水草が生えていた。この状況は1929年(昭和4年)頃に一変した。この年、多くの魚種が消えるか局地的にしか見られず、水草は稀になっていた。湖水表面のpHは4.9から5.1で酸性を呈した。このあと昭和9年頃には一時期酸性度が弱まり pH 6-7 程度まで回復し、魚類の回復もみられたが、1938年(昭和13年)5月の屈斜路地震で湖底から硫酸塩が噴出したとみられ、pH4前後まで酸性に傾き魚類はほぼ全滅した。このため屈斜路湖では現在でも漁業権が存在しない。2000年代以降酸性度は低減される傾向にあり、優占種は耐酸性に優れたウグイで他には放流されたニジマス、ヒメマス、サクラマスが僅かに生息する。また、和琴半島はミンミンゼミ生息の北限地であり、1951年に「和琴ミンミンゼミ発生地」として国指定の天然記念物となっている。オオハクチョウの飛来地としても知られる。江戸時代の探検書・古地図には「クスリ・トー」(アイヌ語で温泉、薬の湖の意)と書かれていた。その後、釧路川源流付近にあったコタン名「クッチャロ」(喉・口、湖からの流出部の意)から現在の「屈斜路湖」となった。冬季には、2月になると全面結氷し総延長5-10km程度の日本最大級となる鞍状隆起現象 御神渡り が形成される。1970年代には、謎の生物クッシーの棲む湖として話題となった。アイヌの伝説では、英雄アタシントクルが巨大なアメマスを捕らえて山に結びつけたところ、暴れるアメマスのせいで山が崩れ、中島が生まれたという。昭和50年代(1975年から1985年頃)に大きな影が遊泳する様子や湖面の波紋が立て続けに目撃され、この湖に巨大な未知の生物が棲んでいるという噂がテレビなどで取り上げられた。ネッシーにならってクッシーと名付けられた。とはいえ、酸性が強いこの湖に大型水生生物が存在する可能性は無いとされる。火山地帯であることから、周囲には火山や温泉が多数存在し、湖岸を掘ると湯が湧き出す砂湯は観光名所となっている。また湖底からも温泉が噴出している。 弟子屈町周辺に名湯スポットが点在している。
出典:wikipedia
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