源 基綱(みなもと の もとつな)は平安時代後期の公卿。宇多源氏、大納言・源経信の次男。康平8年(1065年)大舎人権助を務め、治暦3年(1067年)二月式部少丞に任じ、同年九月従五位下に叙される。治部少輔、少納言、土佐権守を歴任した後、承保3年(1076年)正五位下に昇る。永保元年(1081年)右少弁に任ぜられた後、左少弁、右中弁と昇進し、その功で従四位下に昇叙されている。寛治3年(1089年)正四位下・權左中弁となる。寛治8年(1094年)右大弁となる。永長2年(1097年)周防権守・蔵人頭を経て承徳2年末から承徳3年(1099年)にかけて参議、左大弁、さらに勘解由長官を兼任し公卿に列す。康和2年(1100年)には従三位に昇る。康和6年(1104年)正三位、嘉承元年12月(1107年1月)には権中納言に昇る。天仁2年(1109年)従二位・治部卿に至る。永久4年(1116年)太宰権帥に任ぜられる。9月26日に罷申のため参内。11月7日に現地に赴任した。翌永久5年12月(1118年1月)に任地で薨去。享年68。※以下、『公卿補任』に従う。
出典:wikipedia
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