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梅干し

梅干し(うめぼし)とは、ウメの果実を塩漬けした後に日干しにしたものである。日本ではおにぎりや弁当に使われる食品であり、健康食品としても知られる。なお、塩漬けのみで日干しを行っていないものは梅漬けという。非常に酸味が強い食品である。梅干しのこの酸味はレモンなどの柑橘類に多く含まれるクエン酸、調味梅干の場合はそれに加えて漬け原材料の酸味料に由来する。梅干しの製造には、6月頃に収穫する熟したウメを用いる(梅酒では熟していない青梅を用いる)。ウメを塩漬けにした後3日ほど日干しにする。これを「土用干し」という。この状態のものを「白干し」と呼び、これは保存性に優れており、塩分が20%前後となる。土用干しののち本漬けしたものが伝統的な梅干しである。梅干しがシソで赤く着色されるようになったのは江戸時代になってからとされる。近年市販されている梅干しは、減塩調味を施したものが多く、これらは商品のラベルに「調味梅干」と記載されている。法的には梅干と調味梅干は区別され、JAS法は、伝統的製法によって製造された梅干しを「梅干」、調味されたものを「調味梅干」と表示するよう義務付けている。調味梅干は、白干しの梅干を水につけて塩抜きした上で、味付けをしたものである。調味梅干の種類としては、シソ(赤じそ)の葉とともに漬けて赤く染め風味をつけた「しそ梅」、昆布とともに漬けて味をつけた「昆布梅」、鰹節を加えて調味した「鰹梅」、蜂蜜を加えて甘くした「はちみつ梅」などがある。調味梅干の漬け原材料は商品名に明示されたもの以外に、還元水飴、発酵調味料、たんぱく加水分解物、調味料(アミノ酸等)、野菜色素、ビタミンB1、酸味料、甘味料(ステビア、スクラロース)などが使用される。減塩梅干や調味梅干は、塩分が少なくなることで保存性が下がるため、賞味期間が短く設定されることが多い。五訂日本食品標準成分表によれば、塩分は梅干が22.1%、調味梅干が7.6%となっている。調味梅干は戦後に製造が始まり、世代によって食べ慣れた梅干しが異なる。地方によって梅ではなく、近隣種である杏を使用する場合がある(青森、岩手の八助梅など)。しそ梅を漬ける際一緒にした赤じそを乾燥させて粉末状にすると、副産物としてふりかけの一種である「ゆかり」ができる。梅干しの種の仁(中身)を俗に「天神様」と言い、この部分を好んで食べる人もいる。この俗称は菅原道真の飛梅伝説に由来する。しかし、ウメの実には元々青酸配糖体であるアミグダリンという成分が含まれており、これが胃腸などで酵素によって加水分解されると猛毒であるシアン化水素(青酸)を生成する。これは特に仁の部分に多く、多量に食べると青酸中毒に陥り、最悪の場合は死に至る可能性がある。このことから、「梅は食うとも核(さね)食うな、中に天神寝てござる」という格言も存在する。ただし、漬けることでアミグダリンはほぼ消失し、食べても人体にはほとんど影響がないとされている。梅は中国が原産である。本来梅干は梅酢を作った後の副産物であり、利用法としてはこれを黒焼きにして腹痛の治癒・虫下し・解熱・腸内の消毒の効用を目的に、食用よりもむしろ漢方薬として用いた。紀元前200年頃のものという馬王堆からも、梅干しが入っていたと考えられる壷が出土しており、これは日本に伝えられたものである。また、クエン酸を主成分とする梅酢は器具や人体の傷口の消毒の他、金属の鍍金やはんだ付け、青銅器・鉄器の酸化皮膜処理(酸化銅(II)および黒錆:酸化第一鉄による「黒留め」と呼ばれる酸化皮膜による防錆処理)のためにも用いられた。東大寺の大仏に金を鍍金する際にも使われたという。梅酢は青酸が登場する昭和中期まで大量に使われていた。平安時代には村上天皇が梅干しと昆布茶で病を治したという言い伝えが残っている。また、菅原道真が梅を詠んだ短歌はよく知られ、これは「釣りのときに持参する弁当に梅干しを入れて行くと、魚が釣れない」という言い伝えの起源となった。戦国時代になると梅干しは保存食としてだけではなく、傷の消毒や戦場での食中毒、伝染病の予防になくてはならないものとなった(陣中食)。合戦中の休息に梅干しを見ることで唾液分泌を促進させ、息切れつまり脱水症状を防ぐ目的にも使われた。梅干しは戦略物資の一つとなり、武将たちは梅の植林を奨励した。これは現在でも梅の名所や梅干しの産地として残っている。上杉謙信は酒の肴に梅干しをよく取っていたと言われる。江戸時代になると、現在の梅干の作り方とほぼ同じ作り方が「本朝食鑑」(1697年)に現れる。「熟しかけの梅を取って洗い、塩数升をまぶして二、三日漬け、梅汁ができるのを待って日にさらす。日暮れになれば元の塩汁につけ、翌朝取り出しまた日に干す。数日このようにすれば梅は乾き汁気はなくなり、皺がよって赤みを帯びるので陶磁の壷の中に保存する。生紫蘇の葉で包んだものは赤くなり珍重される。」とある。これより50年後の「黒白精味集」(1746年)にも梅干の作り方が見えるがこれも本朝食鑑とほぼ同じである。江戸時代の銀山では、坑内に立ちこめる鉱塵(こうじん)による粉塵公害「けだえ」が問題であった。備中国笠岡の医師・宮太柱は数々の「けだえ」防止の装置を発明したが、鉄の枠に梅肉を挟み薄絹を張った防毒マスク「福面(ふくめん)」は、酸の効果で鉱塵を寄せつけず効果が絶大だったという。これがきっかけとなり後年、坑夫たちの家族によって梅紫蘇巻という食品が生み出された。醤油が関東に広がるのは江戸中期以降であり、それまでは梅干しを日本酒で煮詰めた「煎り酒」が「垂れ味噌」と共に調味料として広く使われていた。また、正月、節分、大晦日などに縁起かつぎとして昆布や梅干しにお茶を注いだ「福茶」を飲む習慣が庶民に広がった。長期の保存がきくため、前線の兵士は梅干しを携行糧食として好んで携行した。故郷を偲ぶ味として兵士らに愛された。昭和期などは日の丸弁当は弁当の定番であった。日中戦争から太平洋戦争の時期には、興亜奉公日・大詔奉戴日に食べることを推奨していた。現在では減塩調味を施した「調味梅干」が主流となっている。各家庭で梅干しが漬けられることは少なくなり、スーパーマーケットやコンビニエンスストアなどで手軽に手に入れられるようになった。販売されているものは、食べやすいように鰹節や蜂蜜などで味付けされているものもある。スーパーマーケットなどで市販されている梅干しには、消費者の嗜好の変化から調味梅干が多い。これは、賞味期間が製造後半年程度に設定されているものが多く、名称の欄に「調味梅干」と書かれていることで確認できる。伝統的製法によって作られた梅干は、土蔵のような保管に適した環境では腐らず、100年前に作られたものでも食べられる。ただし、希に黒色に腐ることがあり、地方によっては、普段腐ることがない梅干しが腐るのは何らかの異変が起こる前兆であるという迷信が伝えられている所もある。現存している最古のものでは、奈良県の中家に伝わる梅干しで、天正4年(1576年)に漬け込まれたものが良好な状態で保存されている(補充ができないため試食はされていないという)。また、同家に同じく伝わる江戸時代の安永年間に漬けられた梅干しを試食したところ、問題なく食べられたという。水分が飛び易くなっている環境で保存した場合、塩分が析出して数ミリ大の結晶になることもある。特に和歌山県(紀州)は梅干しの生産地としてよく知られる。和歌山県ではみなべ町や田辺市が主な生産地であり、これらの地で生産される南高梅と呼ばれる品種のウメを用いた梅干しは最高級品とされ、県の推薦優良土産品に指定されている。梅干には次のような効能があると言われている。たんぱく質・脂質・カルシウム・リン・鉄分・ビタミン・有機酸

出典:wikipedia

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