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セビリア

セビリア()は、スペイン・アンダルシア州セビリア県のムニシピオ(基礎自治体)。アンダルシア州の州都であり、セビリア県の県都である。自治体人口は約70万人(スペイン第4位)であり、セビリア都市圏の人口は約130万人である。スペイン南部の政治、経済、文化の中心地であり、観光都市である。日本では、セビリア(またはセビリヤ)とする表記が一般に定着している(「セビリアの理髪師」、観光ガイドなど)が、スペイン語での発音とは異なっており、よりスペイン語の発音に近い記述への試みから、セビーヤ、セビージャ、セビリャ、セビーリャとも表記される。この表記の揺れは、スペイン語圏各国・各地域における"ll"(エリェ)音の発音の差異に、起因したものである。英語では"Seville" (「セヴィル」 太字はアクセント)、フランス語では"Séville"(セヴィル)、イタリア語では"Siviglia"(シヴィッリャ)と発音する。スペイン語では b と v を区別せず語・文中では で発音し、カタカナで表すときはバ行を使うことが普通である。しかし、英語などの発音を混在させてセヴィージャ、セヴィリアなどと誤って表記する者もいる。グアダルキビール川沿いに位置しており、大西洋からセビリアまで船舶が遡航できる。そのために港湾都市としての役割を果たし、農作物や工業製品が盛んに輸出される。近隣の都市としては、約100キロ南西のカディス、120キロ北東のコルドバが挙げられる。古代ローマ時代には「ヒスパリス」()と呼ばれた。紀元前8世紀か紀元前9世紀にタルテソスにより支配され、のちにフェニキア人やカルタゴ人の植民都市となった。カルタゴ人は紀元前216年に都市を破壊したが、紀元前206年にスキピオが近郊にを建設し、ヒスパリスの再建を始めた。8世紀よりイスラム勢力の支配下に入り、「イスビリヤ(; , Isbilya)」と呼ばれるようになった。タイファ諸国の分立期には、セビーリャ王国が栄えた。レコンキスタの進展により、1248年にカスティーリャ王国のフェルナンド3世に征服され、以降はカスティーリャ王国の主要都市として発展した。イタリアのジェノヴァ商人がセビリアに拠点をおいて積極的な活動を行っており、中世より港湾都市として栄えた。当初はキリスト教徒とユダヤ教徒の共存がみられたが、14世紀半ばのペスト(黒死病)大流行の原因がユダヤ人に帰されるなど反ユダヤ主義の風潮が強まり、14世紀末にはポグロム(ユダヤ人虐殺)が起こった。この動きは他の都市にまで波及し、多くのユダヤ人が迫害を受けた。15世紀後半、カスティーリャ王国とアラゴン王国の合併によって成立したスペイン王国は、同世紀末にレコンキスタを完了させるとともに新大陸へ船を進めた。イベリア半島西岸と航路で結ばれているセビリアは、新大陸との貿易の独占港となって繁栄を誇った。16世紀から17世紀には、セビリアはスペインでもっとも人口の多い都市となり、1649年には13万人を数えた。その年にペストが大流行し、セビリアは重要性を失い始めたが、バロック美術の中心地として重要性を保った。19世紀のスペイン立憲革命では、セビリアは自由主義者の拠点となった。20世紀のスペイン内戦では、アフリカに近い位置にあることから早期にフランコ軍に占領された。1992年にはセビリア万博が開催された。万博に合わせて、グアダルキビール川にはアラミロ橋が建設された。2002年には欧州理事会の会場となった。現在セビリアは社会労働党の強固な地盤となっており、2004年の総選挙では他党を30%以上も引き離した(スペインの県都の中でもっとも高い)。セビリアは暑い夏が特徴の地中海性気候で(ケッペンの気候区分ではcsa)、ステップ気候の影響を受けている。人口10万人以上の都市としては、ヨーロッパ大陸においてコルドバに次いで2番目に夏が暑い都市である。闘牛やフラメンコの本場で、スペインを代表する観光都市。セビリア大聖堂、アルカサル、インディアス古文書館は世界遺産に登録されている。市内にはセビリア大学がある。いずれもリーガ・エスパニョーラ所属。

出典:wikipedia

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