LINEスタンプ制作代行サービス・LINEスタンプの作り方!

お電話でのお問い合わせ:03-6869-8600

stampfactory大百科事典

ホンダ・CBR1100XXスーパーブラックバード

CBR1100XX SuperBlackbird(シービーアールせんひゃくダブルエックス スーパーブラックバード)は本田技研工業が製造していた4ストローク、排気量1,137ccの大型自動二輪車である。ライダーの間では「SBB(えすびーびー)」・「黒鳥」(くろとり)・「ブラバ」と呼ばれることが多い。本田技研工業が1996年にCBR1000Fからのフルモデルチェンジで登場。CBRシリーズにおけるフラッグシップとして扱われた。その際、世界最速(3,530km/h)の航空機であるアメリカ空軍の偵察機「SR-71」の愛称である「ブラックバード」に因み、それを超えると言う意味で「スーパーブラックバード」というペットネームが与えられた。そのため、プロモーションビデオではSR-71を模した飛行機のモックアップが出演している。コンセプトとしては、を兼ね備えた、世界最高性能の量産市販車ということであった。2軸バランサーを採用した新設計の1137cc水冷直列4気筒エンジンは、当時世界最高の164psを達成。開発当時のライバルであったカワサキのZZR1100よりも高速性能に優れたが、最高速度は実測で300km/hにわずかに満たなかった。発売当時、世界最速の量産市販車の名をほしいままにしていたが、1999年にスズキからGSX1300Rハヤブサが登場し、続いて2000年にはカワサキからニンジャZX-12Rの登場によって世界最速の座を譲ることとなる。2001年のオートバイの最高速度の上限を300km/hとする自主規制が始まったこともあり、2007年の生産終了まで大きなモデルチェンジも行われず、ハイスピードツアラーとしての性格が強まっていった。また、次世代の燃料燃費向上技術であるVCM(Variable Cylinder Management:気筒休止システム)の開発車両として使われており、雑誌媒体ではインプレッションも公開された。ホンダの技術者として数々の名車を生み出してきた山中勲が最後に開発したオートバイであり、「これまでのすべてをつぎ込んだ集大成であり、最も楽しいバイク」と語っている。空力を徹底的に追求したフルカウルボディに上下2段のヘッドライトを採用。D-CBSと呼ばれる前後連動ブレーキを標準装備。1998年にはレッドの色調が明るくなり、寒冷地におけるオーバークールを防ぐため、ラジエーターのバイパスが追加された。1998年モデルまではキャブレター仕様であり、CBR1100XXの中で唯一チョークがついているモデルとしてシリーズの中で唯一、時速303kmをほぼフルノーマル(オートバイ専門誌『ヤングマシン』の企画にて、タイヤのみ交換)で達成している。ちなみに、アメリカの『Sports Rider』という雑誌では、完全ストック状態で実測287.3km/hを叩き出した。最高速度域はほぼ変わらないものの、2代目以降のインジェクションモデルよりも加速力、レスポンスが鋭い。初代ブラックバードは、キャブレター仕様の市販オートバイとしては加速や最高速が最も速いモデルである。また、低速ギアにおいて約6000rpmから一気にレッドゾーンまで吹け上がると同時に、加速力もさらに増す。FI化された2代目以降にもこの特性は受け継がれているが、キャブレター仕様のような急激なレスポンスではなく、乗り味は非常に滑らかになっている。なお、初代にはダイレクトエアインテーク(いわゆるラムエアシステム)は付いていない。しばしば間違われるが、ヘッドライト下にある金網のついた吸気口はオイルクーラーに走行風を送るものである。ラジエーターの後ろにオイルクーラーが付いており、そのままではオイルクーラーに冷風が当たらないため、このように空気の流入路を設けてある(発売当時の『ヤングマシン』より)。ちなみに、1998年のもてぎ7時間耐久レースでは、丸山浩が代表を務めるチーム「WITH ME」がライトチューンされた初代CBR1100XXで、レーサーレプリカやスーパースポーツなどを駆る強豪を押し切り、予選5位・決勝7位という大健闘を果たした。なお、全参加マシン中、最高速度が最も優れていたのもこのマシンであった。1999年に登場。最大の変更点は吸気にダイレクトエアインテークとフューエルインジェクションが採用されてチョークレバーが廃止になった他、イモビライザーのH・I・S・Sが採用された。また、連動ブレーキの特性も見直された。燃料タンクの容量が2リットル増え24リットルとなったが、キャブレターモデルよりも実燃費は悪くなった。また、1998年モデルまで不具合が多発したレギュレータも熱対策された。エンジン特性も見直され、「どこからでもスムーズに加速する」「どの回転数でもパワーバンド」「モーターのようなフィーリング」などと評され、人気を博した。ラムエアが導入されたことにより、オイルクーラーはヘッドライト下からラジエーター上に変更された。またエキゾーストマニホールドの材質が鉄からステンレスになり、取り回しも1番と4番、2番と3番が連結した4-2-1-2と変更された。合わせてラジエーターや冷却ファンの形状も変更された。1998年モデルまでは水温計の針が中央位置を超えると冷却ファンが回るようになっていたが、1999年モデル以降は針が上まであがらないとファンが回らなくなったため、渋滞には弱くなってしまった。そのためスイッチを付けて強制的にファンを回すように改造しているオーナーも見受けられる。外見上の違いは、ラムエア吸入口がメッシュからスリットになったこと、エキゾーストマニホールドやスクリーンのカラーリングが変更、フロントブレーキローターやジェネレータカバー、クラッチカバーが金色になったこと、ホーネット250と共通だったテールランプが縦2段のタイプに変更されたことで判断できる。2001年に登場。ヨーロッパでの自動車排出ガス規制に合わせて排気ガス浄化装置が追加され、最高出力が152psにデチューンされた他、デジタル式のスピードメーターを新採用。スクリーンのサイズも30mm高くなり、ツアラー向きの性格になった。また、この年から2003年まで国内販売が行われた。国内仕様モデルでは自主規制に対応するため、180km/hのスピードリミッターが装着され、最高出力は100ps・最大トルクは10.0kg-mに抑えられている。そのほかハザードランプが追加された。GPSを用いた車両位置追跡サービスを展開するセコムと連携し、GPS発信機や充電器の取付スペースが確保された「ココセコムHonda推奨車種」としている。ヤングマシン、オートバイ等の雑誌媒体では新型モデルの推測も出ていたが、現状モデルのまま販売されていた。2006年に開始された欧州の自動車排気ガス規制(EURO3)の対応車ではなかったが、2007年に入ってからは継続車種も開始され、当車種も規制車両となったが、特別に1年間限定の特例措置で販売されているが、2008年からのEURO3義務化や日本などの各国の新排出ガス規制に伴い、生産終了が決まった。生誕10周年と生産終了を記念して、限定数100台で初期型のカラーリングを再現したファイナルエディションが発売されている。開発陣は、あらゆるオートバイを凌駕した最も偉大で最も魅力的なNo.1マシンを目指すべく、開発当初のキャッチフレーズを「ザ・グレイテスト・スーパースポーツ」としていた。車体設計や操作性、快適性からスタイリングに至るまで、開発陣が総力を挙げて創り上げたオートバイであった。しかしホンダ社内では「世界最速」という事だけが一人歩きしてしまっていた。世界最速はあくまでもCBR1100XXの一要素と考えていた開発陣は、キャッチフレーズを「最高性能バイク」としたが、社内では世界最速というインパクトが強すぎてあまり効果は無かった。そのため、上記コンセプトのような『フューチャー10』を前面に押し出して、このオートバイの良さをアピールしたというエピソードが残っている。このエンジンを積んだケーターハム・スーパーセヴンも存在している。

出典:wikipedia

LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。