切手(きって)とは、郵便事業で行われる諸々のサービスの、料金前納を証明する証紙である。また郵便切手とも呼称する。また宣伝媒体として用いられたり、古銭や骨董品と同様に収集品の対象となる場合もある。「切手」という名称はもともとは持参人に表示された商品を引き渡す一種の商品券を意味するもので、当初は「切符手形」と称していたが、その後略されて切手とされるようになった。江戸時代には通称名を「蔵預かり切手」と呼称した。米切手はその代表格であり(米以外に大豆や生蝋・黒砂糖・小麦などもあった)と云われ、蔵屋敷などの交換所で商品と交換することができた。やがてこれらの手法が民間にも派生して、1777年には大阪の菓子屋、虎屋伊織が饅頭切手が発売。以後、羊羹やうなぎ、鰹節、酒などの切手も江戸を含む各都市の商家で発売され、庶民に定着した。そのため、明治時代に郵便料金支払いを証明する意味で「切手」が使われるようになった際には、他の類似証券類が別の名称を区別して扱われるようになった(商品切手→商品券など、例外的に小切手がある)。現在では、切手といえば、郵便料金を前納したことを証明するために手紙などの郵便物に貼る金券の一種の紙片のことを表すようになった。広く認知されている郵便と切手の関連性から、JPタワー内の日本郵便が手がけた初の商業施設にも「KITTE」の愛称が付けられている。英語では切手は"stamp"というが、これは証紙の意味もある。元々イギリスでは言論統制の手段として新聞に税金をかけていたが、その新聞税納税の証拠として証紙が印刷されていた。この証紙のことを"stamp"と呼称していたため、同様に郵便税(郵便料金)を前納した証拠としてそのまま使われるようになった。そのような出自もあってか、英連邦諸国では、切手は印紙としての機能も持っていた。現在、多くの国の郵便事業者は、郵便のみにその役割を限定され、切手の役割も郵便物の料金前納に限られている。しかし、かつての日本のように、以前は郵便事業者が電話や電信、貯金などを管轄していたため、これら様々な料金の納入にも用いられていた。また、イギリスなど、国によっては収入印紙などとしても用いられていた。多くは小さな紙(時には別の素材が用いられる)に印刷されたものである。また郵便切手は郵便料金の徴収だけでなく、国家的政策や文化の宣伝など宣伝媒体とする実用目的があるほか、古銭や骨董品と同様に収集品の対象となっており、郵政事業の重要な財源の一つとなっている。サイズであるが概ね縦横15×15ミリ程度から最大で50ミリ程度まである。ただし、例外も少なからず存在する。多くの場合、1枚ずつ切り離せるよう、あらかじめ「目打」というミシン目が穿孔されて、裏には糊が引かれているが、はがすだけですぐに使用できるようなシール式のものも作られている。同様のものとしては、メータースタンプがある。また、官製はがき、郵便書簡、エクスパック、レターパックプラス/ライトのように、予め切手の代わりとなる料額印面が刷り込まれた形で郵政から発行されているはがき・封筒・便箋があり、これらはステーショナリーと呼ぶ。ただし、現金書留封筒のように、郵便局で販売していても印面のないステーショナリーも存在する。切手の発行主体は郵便業務を管轄する国家機関や公共事業体(日本においては日本郵政グループの日本郵便株式会社である。ほかにも運送業者が切手同様の類似商品券を発行する場合もあるが、通常は切手とはいわずラベルとされる。これは国際的な郵便ネットワークを統括する国際組織である万国郵便連合 (UPU) に加盟している郵便事業体(必ずしも国家ではなく、植民地でも加盟はできる)が発行するもののみが、切手として公認されているためである。そのため、かつてはUPUに未加盟の国の切手は国際郵便に使用できないとされ、郵便物交換の協定を締結しているUPUの加盟国を経由して発送されていた。現在では多くの国々がUPUに加盟しているためそのようなことはない。ただし中華郵政のように国際的未公認の中華民国(台湾)の郵政事業株式会社はUPUに未加入であるが、国際郵便に使用できるため切手と公認されている例外もある。郵便料金前納のアイデアは19世紀初頭から各国で提案され、1819年にはサルデーニャ王国(現在のイタリア北部)で実施をみていたが、現在と同じく、郵便切手を利用した制度が開始されたのは、1840年のイギリスである。この時開始された近代的郵便制度(料金の前納・重量制の導入・全国均一料金制など)によって導入された制度の一つとして、初めて郵便切手が発行された。ローランド・ヒルはイギリスのおける近代郵便制度の考案者であるが、彼は切手の考案者ではない。イギリス国内ではジェームズ・チャルマーズがその提案者であり、オーストリア帝国でもスロベニア出身のが、同様の案を1836年に提案している。最初の切手はイギリスの当時の国家元首であったヴィクトリア女王の肖像が使われており、最初の1ペニー切手(2ペンスの青色の切手も発行されていた)が黒色で印刷されていたため「ペニー・ブラック」という愛称がつけられ、翌年に色が赤色(ペニーレッド)に変更されるまで約6,000万枚が発行された。なお、この切手にはミシン目(目打)が穿孔されていなかったため、はさみで必要な枚数を切り出す必要があった。目打付き切手の登場は、1854年のことである。また、発行国名の表記はなく、額面の記載も英語のみとなっている。他方、すでに裏糊はついていた。これらの特徴、特に国名表記の欠如は、その後発行された各国の切手にも共通した(例: ブラジルの「牛の目切手」など多数)。後に成立した万国郵便連合 (UPU) は、国際郵便における郵便物交換を円滑に行うため、切手には発行国の国名を(1966年以降はローマ字での表記が義務付けられた)示すこととした。ただし、イギリスが世界最初の切手発行国であることに敬意を表し、同国のみは君主のシルエットを国名の代わりとすることを許されている。しかしながらサウジアラビアの切手には国名表記がなく、代わりに国章のシルエットがある。また同時に、UPUは算用数字で額面を表していない切手は国内郵便へのみに有効であるとしたが、現在ではこの規制は撤廃され、国際郵便用の無額面切手のような切手もある。この時期には、(官製封筒・デザイナーの名にちなむ)など、切手以外の方法による前払いの方法もあったが、官製封筒のデザインの問題(込み入った図案で、宛名欄が狭く使いにくい)もあり、切手の方がその簡便さもあって、広く受け入れられた。制度が始まったのが英国であったこともあり、切手発行国はヨーロッパや、英国植民地が中心であったが、徐々に世界各国に広まった。日本で最初に発行された切手は、1871年(明治4年)4月20日に発行された竜文切手であり、48文、100文、200文、500文の計4種である。この当時はまだ通貨改革が行われていなかったため、江戸時代の通貨による額面表示がなされていた。翌年の1872年(明治5年)には「銭」の単位に変更された竜銭切手が発行(ちなみに同切手は日本初の目打付切手である)された。なお、前者2つを併せて竜切手と呼称する。1883年(明治16年)には「円」の単位が表記された切手が発行された。日本切手は、戦前「大日本帝国郵便」と表記されるとともに菊花紋章が入っていた(一部例外あり)が、戦後は「日本郵便」と表記されるようになった。また1966年1月以降より順次発行される切手は原則としてローマ字による国名表記をするべきとするUPUの決定に従い日本語による「"NIPPON"」と表記されている。現在まで日本では3,000種類以上の切手が発行されており、形も長方形だけでなく、なかには円形やハート型、キャラクターをかたどったもの(主に後述するグリーティング切手に数多く見られる)など多種多様である。下記は日本で発行された、主な切手の種類である。分類は、発行目的によって区分した。普通切手は、郵便料金の納付を主目的に発行される切手である。1円から1,000円まで用意されているが、需要の少ない額面の切手(1円・3円など)は窓口および郵便切手類販売所に常備されていない場合が多く、局内(または店内)の金庫から取り出すためしばらく待たされることがあるほか、時間外(ゆうゆう窓口)においては「窓口に在庫がない」という理由で購入できない場合もある。春夏秋冬の季節ごとに発行されるシールタイプの切手で、それぞれの時期に合わせたデザインである。販売期間が限られている点が普通切手とは異なる。また、2012年秋以降春・秋のグリーティング切手には、日本郵便オリジナルのキャラクターであるぽすくまが登場する。切手に付随した箇所に写真やイラストなど任意のデザインを入れることができる切手である。任意のデザイン部分は切り離しでき、切手としての効力は持たない。記念・特殊切手は、国内外の行事の記念、宣伝、キャンペーン、文化財の紹介などの意図をもって発行される切手である。毎年同時期に発行されるものや、シリーズとして発行されるものもあり、これらを収集家は特殊切手(恒例切手と呼ぶ場合もある)と呼称している。使用目的は普通切手と同様であるため、諸外国では通常切手と区別したカタログ番号を与えていない場合も多い。なお、日本の最初の記念・特殊切手は 、1894年(明治27年)3月9日に発行された明治銀婚記念(2銭と5銭の2種)である。ふるさと切手は、ふるさと振興の意図で地域の風物や行事をテーマにして発行される切手である。寄附金付切手は、公共的な目的の基金を切手の額面に付加して販売される切手である。切手の販売金額の一部が寄付に活用され、寄付金を除く金額部分だけが郵便に使用できる。一般に、切手額面のほかに寄付金額を示す数字を「+」の記号で示し、切手には 80+10 などと表示される。日本最初の寄付金付切手は、1937年発行の愛国切手であり、飛行場建設を目的としていた。1981年からサービスの始まったファクシミリを使い郵便物を送付するレタックス(電子郵便)専用の切手。1984年および1985年に額面500円の専用切手(実際には普通切手扱いで書留など他の郵便物にも使用できた)が発売されたが、前者については後者が発売された時点で販売打ち切りになったため、流通量が少ない。昭和時代晩期から平成時代初期にかけて、大学などの受験生への合否通知(合格者の受験番号表)に多く使われたが、インターネットなど他のメディアが発達したため、サービス自体使われることが少なくなった。そのため、その後は消費税導入など料金改定が行われても、その時の料金に対応した電子郵便切手の発行が行われなかった。日本の郵便局が1876年以降に朝鮮および中国の各地に開設されていた。これらの在外国局で当初は日本切手がそのまま販売されていたが、為替相場の差益目当てに在外国郵便局で購入し内地で売却する投機が行われたため、それを防止する目的で、1900年から販売地域を加刷した。在朝鮮日本郵便局では「朝鮮」の文字を加刷したが、1900年1月1日から1901年3月31日までしか使用されなかった。そのうえ1905年に当時の大韓帝国の行っていた郵政事業および電信事業を「日韓通信業務合同」の名の下に日本政府が接収したため、1910年の日韓併合を待たずして日本切手がそのまま使用されることになった。中国(清朝および中華民国)では「支那」の文字を加刷した。在中国の日本郵便局は長期間活動したため、用紙の違いなども含め49種類の切手が発行された。最終的に1922年12月31日に在中国局が廃止されるまで使用されていた。軍事切手とは軍人が郵便物を差し立てる際、差出通数の管理などを目的に貼り付けさせる切手である。日本を含め、この制度の対象とされたのは下士官兵である場合が多く、将校については通数を問わず有料とされた。日本の場合、20世紀初頭に中国,台湾や朝鮮半島、関東州や南洋諸島に駐留していた大日本帝国陸海軍の下士官兵士に、月2枚支給されていた。封書で使用されるのが原則であり、重量便は取り扱わないことになっていたが、実際にはそのような使用例が存在する。切手自体は、当時の普通切手に「軍事」の文字を加刷したものである。 1910年から 1944年まで使用され、収集家は台切手と加刷された文字の形式をもとに6種に分類している。これ以外に、1921年に中華民国青島市で、正規の軍事切手の配給が間に合わず、現地郵便局(当時日本をはじめとする列強は、中国国内に郵便局を権益として保有していた)が手持ちの「支那」切手へ逓信省に無断で加刷し製造した「青島軍事切手」がある。航空切手は、航空郵便に使用する目的で発行された切手である。世界各国で発行されており飛行機や鳥といったデザインが使われることが多く、額面も総じて高額である。日本においては 1929年に発行されたが、国内における航空郵便制度が速達郵便制度に統合された1953年以降は国際郵便用も含めて専用の切手は発行されていない。日本では航空切手は普通切手と同じく様々な料金の納付に使用できたが、一般に諸外国で発行された航空切手は航空郵便料金の納付のみに有効である場合が多い。その他、以下のような切手がかつて日本では発行された。郵便貯金切手とは、1941年7月1日、切手による郵便貯金預入れの再開を受け、これを奨励するために発行された、切手を刷り込んだ台紙である。この切手には予め10銭切手(二宮尊徳を図案とする)が印刷されており、これに10銭切手4枚を貼り足し50銭とすることで預入れることができた。1943年7月9日限りで廃止されたが、既に販売されたものは半年に限り預け入れを認めた。選挙切手とは、1949年1月23日の第24回衆議院議員総選挙にあたり、候補者一人につき1000枚ずつ交付された切手である。この切手は当時使用されていた農婦を描く2円切手に「選挙事務」という文言を縦に加刷したもので、使用する場合は、開封郵便物に貼り付けるか、郵便局で同数の官製はがきと交換することとされた。電信切手とは、1885年5月7日、電信料金の納付のために発行された切手である。これは、当時電信が工部省の管轄とされていたことによるところが大きく、電信が逓信省に移管されて暫くすると、事務の煩雑さを解消するため、電信料金は郵便切手で納付することになり、電信切手は1888年に廃止、1890年には使用禁止となった。飛信逓送切手とは、明治初期の公用無料軍事郵便に用いるため発行された切手である。明治初期においては反政府活動が大々的に行われ、電信にかわる事前の通信手段が求められ、本制度が導入された。陸軍用・海軍用・中央官庁用・府県庁用の4つに大別され、西南戦争で多用されたが以降は激減、1917年に廃止された。村送り切手とは、1875年ころまで高知県で行われていた「村送り」という通信制度に用いるため発行された切手である。村送り自体は江戸時代から土佐で行われた藩営通信制度で、公文書逓送が主であった。1872年6月1日より、この制度を民間に開放、同日、県内だけで有効な村送り切手を発行した。1872年7月に高知県内でも郵便が開業したが、その後も暫くは並存したといわれる。このほか、台湾地方切手、サザーランド切手、板東収容所切手などがある。郵便制度には様々なものがあり、制度自体日本に存在しないもの(例: 気送管郵便)も珍しくない。また、目立たせることで取扱を円滑に行うことを目的に、専用の切手を発行することがある。速達切手 (Special/Express Delivery Stamps) は、速達料金の支払いのために発行した切手である。速達での配達の意思表示と見なされ、たとえ料金が不足していても速達料金が支払われていれば速達で扱われることもあった。日本では発行されていないが、唯一の事例として第二次世界大戦後のアメリカ合衆国による沖縄統治時代における琉球郵政庁が1950年2月15日に一度だけ発行した5B円切手がある。書留切手 (Registry/Registered Stamps) は、書留料金の支払いのために発行した切手である。概ね高額な額面であった。書留を示す文字として"R"が国際的に用いられていることから、これを大きく描く切手もある。書留番号表を切手が兼ねていた例もある。公用切手 (Official Stamps) は、官公庁の郵便料金の支払いのために発行した切手である。多くの国では一般人も購入することは許されていた。官庁別にそれぞれ個別の切手を発行する国もあれば、同じ公用切手を多くの省庁で共用する国もあり、その形式は様々である。また、アメリカ合衆国郵政公社は1980年代から同切手の発行を再開、収集家向けに公用切手を販売しているが、使用できるのは空軍や農務省など、一部の官公庁に限られた。同切手は、一般人が使用した場合、300ドルの罰金刑となる旨の警告文が印面に加えられている。フランスが発行するユネスコ用の切手や、スイスが発行していた国際連盟用の切手もここに分類される。国際連合発行の切手(国連切手)も、その発行母体を考えると、ある意味このカテゴリーに加えることができる存在である。ただし、国際連合の切手は一般人も国連本部等にある郵便局から郵便物を発送すれば使用できる点が異なる。新聞切手 (Newspapers Stamps) は、新聞を郵送する料金支払いのために発行した切手である。新聞の郵便料金は一般に低額であることから、新聞切手も低額のものが発行されることが多い。しかし、その郵送量が莫大であるために、現在の料金別納等の制度と類似した形で、予めまとめて支払われることもあり、このような場合には高額の切手が必要とされる。なお、類似したものとして新聞税切手があるが、こちらは新聞への税金を徴収することが目的であり、実態は印紙に近い。不足料切手 (Postage Due Stamps) は、未払いや不足の郵便料金など、郵便局が受取人から徴収するあらゆる金銭の徴収のために発行した切手である。会計を明確にする必要から、この種の切手を発行している。また不足料切手は、もっぱら実用の目的で発行されているため、額面数字を大きく示すなどのスタイルをとっており、簡略化した図案が多く国名を省いたものも少なくない。日本ではこの種の切手は通常切手で代用していたが、現在では料金不足の付箋が使われている。郵便税切手とは正規の郵便料金とは別に、郵便物自体に課税、その税を徴収するため郵便物に貼り付けさせる切手。課税目的であるため実質的には印紙の一種ともいえる。中南米諸国やユーゴスラビアでは数多く発行されていた。目的は必ずしも公共の目的ではなく、財政赤字の補填を目的とすることもある。またユーゴスラビアではサラエボオリンピック開催費用の郵便税切手が発行されたこともある。著名なものに1948年のベルリン封鎖では西ベルリン市内で発送される郵便物に、空輸費用捻出のために添付が義務付けられた郵便税切手がある。類似したものとして戦時税切手があり、こちらは戦費捻出のために発行される。手紙の表面で目立つ存在であるため、単なる料金支払済の証明の意味を超え、古くから様々な図案が施されてきた。デザインも国家元首の肖像や国章といったデザインから風景や動植物が登場し、さらに印刷技術の進歩に伴い、絵柄の美しいもの、バラエティに富んだものが発行されるようになり、世界各国で多くの人々が、趣味として切手を収集(蒐集)している切手収集(郵趣)が盛んになった。そのため国によっては、切手の発行が収入源となっていたり、実際に郵便に使われることのないような切手を発行することが行われるようになった。そのため、国家規模が矮小なサンマリノ、リヒテンシュタイン、ツバル、グレナダといった国々では国家収入にしめる切手の販売収入の割合が無視できないほど高いほか、郵便事業の赤字補填のために切手収集家に便宜をはかる国も少なくない。また国際的行事(近代オリンピック)に便乗して発行する場合のほか、人々の関心を集めるような美しいデザインの切手を発行する場合もある。そのため、なかには1980年代に共産主義国である朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)がイギリスのチャールズ皇太子成婚を記念する切手が発行されたこともあった。ただし、収入源として切手に目を付ける行為は、今に始まったことではなく、例えば明治時代初期の日本では、海外からの注文に応じて当時の普通切手を増刷、未使用のシートのまま輸出していた。また、切手を商売とするエージェント(企業)に切手の製造・販売を行う権利自体を与えてしまうような場合もある。1960年代から70年代にかけ、現在はアラブ首長国連邦の構成国となっている首長国が、切手発行権を企業にゆだねていた。そして、これらイスラム教国では発行されるはずもないヌード切手などを乱造濫発したため、世界中の切手収集家から顰蹙を買った。そのため現在でも、「土侯国切手」として正規の切手とは見なされない場合もある。切手は元来郵便物に使用されることを前提に製造されるのであるから、当然まだ使用していない切手「未使用(みしよう)」と既に消印が押され使用された切手「使用済(しようずみ)」が存在するが、収集家のいう切手の状態とは、その切手がどの程度綺麗か、つまりダメージを受けていないかを指す。他の趣味と異なり、切手収集においては使用済の状態でも切手は価値を持ち、場合によっては未使用よりもはるかに高額で取引されることもある。以下に切手の状態を示す。まず、未使用のみに当てはまる要素として以下の点があげられる。続いて、未使用使用済共に当てはまる用語を示す。収集家にはウェルセンターの状態のものが好まれるが、極端なオフセンターの場合は逆に珍重されることもある。ただし、第二次世界大戦直後の日本切手のように、品質管理の水準が極端に低下した状態で印刷された切手は、そのような状態の切手が多数を占めるため、過度な珍重は禁物である。日本ではこのような状態の切手を「印面ずれエラー」と称することが多いが、エラーは目打漏れ(部分漏れ含む)や刷色抜け、逆刷などの切手に用いられる用語であり、正確には、フリークもしくはオッズと呼ばれるべき存在である。多色刷の切手は相互の色のズレ具合などもその条件になり、当然ながら正しい位置に収まったものほどよりよい状態とされる。使用済については、消印自体も評価の対象になる。使用年代も局名も分らないものより、そのいずれか、もしくは両方がはっきりしているもののほうが価値が高いとされる。また、珍しい局の消印や、消印自体が珍しいものも珍重される。ただし、このような価値観は、日本切手の収集においてはごく最近のものであり、かつての切手ブームでは「悪消し」と呼ばれていた使用例でもある。さらに、いくら消印がはっきりしていても、記念特殊切手では、その発行時期に比べ極端に遅い使用例は敬遠される。また、諸外国ではこのような消印に重きを置いた収集は主としてクラシック切手でなされており、消印収集(マルコフィリー)が目的でない限り、上述したようなセンターや全体のフレッシュさを重視した収集が主流である。切手収集の対象物は切手単体だけでなく下記のようなものもある。切手に関する展覧会として切手展がある。国内展と国際展に大別される。1946年より旧郵政省と郵趣団体が協力した展覧会が各地で頻繁に開催されたが、これらは逓信事業啓発が中心となり、今日的な展覧会のイメージではなかった。全国規模の競争切手展の第1号は、1950年に開催された全日本切手コンクールである。この展覧会は1回だけで終わり、1951年より全日本切手展へと継承された。さらに、1966年より全国切手展、1977年よりスタンプショウが開催されている。国内で開催されている主な切手展には全日本切手展、スタンプショウ、全国切手展がある。審査により採点を行う競争展と、審査を行わない非競争展に大別される。競争展であっても、競争部門だけでなく、審査が行われない非競争部門を含んでいることが多い。競争部門では厳密に定められた審査基準に従い、出品者の作品を審査員が審査し、その結果が公表される。審査結果によりメダルや賞状が出品者に授与される。佳作以上の作品が切手展会場に展示される。審査員となるには、郵趣知識、過去の切手展における入賞実績や見習(副審査員)としての経験などが必要である。審査員となる人は収集家、郵趣関係者が多い。競争部門のチャンピオンクラスを除いては誰でも出品することができる。出品者のほとんどは切手収集家である。昭和の切手ブームの頃までは著名な大収集家(多くは資産家)が存在し彼らが切手展へ積極的に出品していた。今日では大収集家はほとんど居なくなったが、彼らに代わり、一般の人が、出品物についてよく研究した作品や、従来とは違った視点で構成した作品を出品するようになった。主要な切手展は東京都内で開催されるため、かつては都内の会場まで行かなければ作品を直接に観ることができなかった。しかし、近年ではWeb環境が一般に普及したことから、個人のコレクションや切手展への出品作品をWeb上に公開している収集家が増えており、Webを介して出品作品の一部を観ることが可能である。誰でも参観することができる。切手展により入場料金が必要な場合がある。切手は郵便料金を前納した証紙であるため、その複製には一定の制約がある。郵便切手類模造等取締法(郵模法)の第1条第1項では、日本を含め世界の郵便切手と見間違えるような外観を有するものを製造したり頒布したりすることが禁止されている。郵模法の第1条第2項では、総務大臣の許可を受けたものについては郵便切手の模造をしてもよいとされている。許可に関しては郵便切手類模造等の許可に関する省令にも定めがある。これは、海外で発行された切手や発行後50年が経過してパブリックドメインになっている切手にも適用される。実際、切手収集家向けに発刊されている出版物のように、原色かつ実寸で切手の写真を印刷しているものには、『平成XX年X月X日郵模第XXXX号』といった許諾番号が記載されている。現在では政府機関にオンラインで申請することができる。しかし、出版するたびに許可が必要であるとすれば、新聞や雑誌など速報性が求められる出版物では郵便切手を紹介することができなくなってしまう。この問題を解消するため、「郵便切手類模造等取締法第1条第2項の許可を受けたものとみなされるもの」(昭和47年10月30日郵政省告示第881号)で挙げられた条件を満たすものについては総務大臣の許可を受けたと見なすこととされている。ここで挙げられている条件の例としては、白黒印刷する場合、切手に「模造」等の文字を入れた場合、印面に黒い線をいれている場合、紙以外の材質で作る場合などがある。雑誌や書籍に切手の画像を掲載する場合に黒い斜め線が入れられていたり、文字が入れられている場合が多いのは、この規定にしたがって総務大臣の許可を不要とするための措置である。以上のように、日本において切手を紙に印刷する場合には、総務大臣の許可を得るか、総務大臣の許可を受けたと見なされるための適切な方法で行わなければならない。紙以外に印刷する場合には、材質が紙と紛らわしくなければ先述の告示の条件に合致するので、個別に許可を得る必要はない。切手の図案は美術の著作物であるから、郵模法のほかに、著作権法の対象となり、この点からも複製等が規制される。一般に切手の図案は技芸官等による職務著作であって(著作権法第15条)、その著作権は郵便事業株式会社に帰属する。この場合、その著作物は法人著作物であるから、著作権の保護期間は、公表後または創作後50年である。著作権法においては引用等が正当な利用として認められているが(著作権法第32条等)、切手については郵模法によってこれらの利用が制限を受けたり、これら以外の態様の利用が認められる場合がある。一方、近年発行されているアニメーションのキャラクターを描いた切手等の原著作権者が存在する図案を用いた切手については、郵便事業株式会社とその原著作権者との間に職務著作の関係は成立しないので、一般に原著作権者の著作権が及ぶことになる。このため、著作権法において認められている引用等の範囲を超える利用については、原著作権者の許諾が必要となる。したがって、郵模法に違反しないからといって無条件に使用するのは控えた方が無難である。
出典:wikipedia
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