"参考:中央区についての情報のうち、旧与野市に直接関係あるものや区設置前の歴史については、与野市を参照されたい。"中央区(ちゅうおうく)は、埼玉県さいたま市を構成する10行政区のうちの一つである。さいたま市の中央部西寄りに位置する。現在の中央区の区域は、旧与野市にほぼ相当する。但し、現区域と旧与野市域はわずかに異なっており、旧与野市の全域に加えて、同市の北東側に位置する旧浦和市上木崎1丁目、及び旧大宮市北袋町1丁目、吉敷町2丁目、錦町のそれぞれ一部も中央区に含まれる(現在の中央区新都心の一部)。これは、さいたま市が政令指定都市に移行するにあたり行政区を設定する過程で、旧3市にまたがっていた「さいたま新都心土地区画整理事業区域西側地区(さいたま新都心のうち東北本線以西の地域)」を、一体的にこの区に編入することとなったことによる。このため、中央区の面積は、旧与野市の8.29km²よりもわずかに広い8.39km²である。この面積は、さいたま市の10区の中で最も小さい。中央区の区域は南側を先端としたくさび状をしており、南北方向に約5.5km、東西方向に約3.5kmの広がりを持つ。関東平野の中に位置するさいたま市中央区は、区の全域にわたって標高が低く、最も低い地点で海抜4.7m(大戸2丁目)、最も高い地点でも標高16.6m(鈴谷4丁目)である。区内および近隣の河川の多くは、北から南に向かって流れる。地形は、これらの河川に沿って台地と低地とが南北方向に縞模様を描く形となっており、東から台地-低地-台地-低地と並んでいる。このうち最も東に位置するのは、大宮台地(北足立台地)の浦和・大宮支台である。その西側には鴻沼川(霧敷川)を中心に形成された幅約500mの鴻沼低地が形成されている(谷底平野)。さらにその西側には大宮台地(北足立台地)の与野支台があり、区の最西部は区の西方を流れる荒川沿いに形成された荒川低地となっている。区内839haのうち482.9haを宅地が占め、農地や山林はきわめて少ない。平成17(2005)年時点で区の全域が人口集中地区(DID)に含まれている。但し、鴻沼川(霧敷川)の両側は市街化調整区域となっており、農地や空地がみられる。南部は昭和初期に行われた浦和耕地整理によって浦和市街地と区画を一体化して整備されたため比較的早期から宅地形成が進んだ。与野の古くからの市街地(本町)は大宮台地の与野支台にあるが、区役所やさいたま市中央消防署、市立与野図書館といった行政施設の多くは、その東側の鴻沼低地におかれている。区北東端はさいたま新都心地区に含まれており、関東甲信越地方を所掌する国の行政機関やさいたまスーパーアリーナがある。"区誕生前の歴史については、与野市を参照。"中央区成立後から毎年4月1日の人口。微増が続いている。住民基本台帳人口より(台帳法改正前の2012年以前は台帳人口+外国人登録人口の数値)。中央区内では、一部の区域で住居表示に関する法律に基づく住居表示が実施されている。中央区役所は、旧与野市の市庁舎であった建物におかれている。浦和西警察署は、さいたま新都心地区周辺の新都心・大字上落合を除く中央区、桜区の全域、および浦和区の上木崎1丁目を管轄する。中央区のうち新都心・大字上落合は、大宮警察署が管轄している。中央区は、以下の選挙区に属している。東京の都心部から約25kmの距離にあるさいたま市中央区は、さいたま市の他の区と同様、東京都心部への通勤・通学者が多く、東京の郊外都市としての性格が強い。同時に、さいたま市内において行政・商業・業務など都市機能の集積した浦和区や大宮区への通勤・通学者も多く、これらの地域に対する郊外としての特徴も持つ。一方で、西区や桜区に対しては、中央区から流出する通勤・通学者よりも、中央区に流入する通勤・通学者の方が多い。2010年現在、中央区の夜間人口96,055人に対して昼間人口は94,538人であり、昼夜間人口比率は98.4%である。この昼夜間人口比率は、東京の郊外としての性格が強い埼玉県(昼夜間人口比率88.6%)やさいたま市(昼夜間人口比率92.8%)の中では、比較的高い水準にある。市立私立
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。