小牧線(こまきせん)は、愛知県名古屋市北区の上飯田駅から愛知県犬山市の犬山駅までを結ぶ名古屋鉄道(名鉄)の鉄道路線である。運賃計算区分はB(運賃計算に用いる距離は営業キロの1.15倍)。すべての駅でmanacaなどの交通系ICカード全国相互利用サービス対応カードが使用できる。なお、地下線である上飯田駅 - 味鋺駅間は新線区間となるが、加算運賃は設定されていない。1931年(昭和6年)、名岐鉄道(現在の名古屋鉄道の前身の一つ)が城北電気鉄道(押切町 - 大曽根 - 坂下町間および勝川町 - 小牧町間免許保有)と尾北鉄道(小牧町 - 犬山町間免許保有)の事業を統合し、 上飯田駅 - 勝川駅間および味鋺駅 - 新小牧駅(現在の小牧駅)間を城北線として開業した。上街道沿いのこの地域は、明治時代に中央本線の誘致に失敗した経緯があり、鉄道の敷設は地元の悲願であった。当時は非電化路線で、ガソリンカー(キボ50形)による運行であった。その他の区間の免許については、開業直後に失効したため、経路を改め、1931年(昭和6年)2月24日、上飯田 - 東大曽根町(現在の大曽根駅付近)間について軌道敷設の特許を取得した。1931年(昭和6年)4月29日には、新小牧駅 - 犬山駅間が開通し、上飯田駅 - 犬山駅間を大曽根線、味鋺駅 - 勝川駅間を勝川線とそれぞれ改称した。しかし、上飯田 - 東大曽根町間の延伸計画は立ち消えとなり、代わりに、1944年(昭和19年)7月11日、名古屋市電御成通線が上飯田駅まで開業した。第二次世界大戦下において、ガソリン供給が難しくなると、1942年(昭和17年)7月1日まず、上飯田駅 - 新小牧駅間が電化された。その後は、戦争の深刻化に伴い、数多くの駅が休止に追い込まれた。おもに鷹来町にあった陸軍の陸軍造兵廠鷹来工廠へ通勤する工員輸送対策として鷹来線が計画され、1945年(昭和20年)5月1日、鷹来線との連絡のため小牧線(のちの岩倉支線)の新小牧駅への乗り入れが完成し、小牧駅(旧)が廃止され、新小牧駅は小牧駅と改称した。戦後、1947年(昭和22年)11月24日、小牧駅 - 犬山駅間が電化され、1948年(昭和23年)5月16日、大曽根線は小牧線と改称した。同時に、これまで小牧線と呼ばれていた岩倉駅 - 小牧駅間は岩倉支線と改称した。その後、1954年(昭和29年)には、閉塞方式に名鉄初の単線自動閉塞を導入し、1956年(昭和31年)にかけては、全線に列車集中制御装置 (CTC) を導入し、1964年(昭和39年)10月1日には、架線電圧を600Vから1500Vに昇圧した。このほか1965年(昭和40年)に博物館明治村が開業し、羽黒駅を明治村口駅に改称して連絡バスとのアクセス駅とした。特急列車の乗入れも行われたが、1985年(昭和60年)に連絡バスの発着が犬山駅に変更されたことにより役目を終え、元の羽黒駅に戻された。1964年(昭和39年)4月25日に岩倉支線が、1971年(昭和46年)2月1日に名古屋市電御成通線が廃止されると他の鉄道線との接続が終点の犬山駅だけになり、起点の上飯田駅はバスが接続するだけとなった。通勤時間帯は、時間の読めないバスを避けて、最寄り(徒歩10分)の名古屋市営地下鉄名城線平安通駅まで歩く人も多くおり、乗り換えの不便さが嫌われて名古屋市内へ向かう路線にもかかわらず、ローカル線然とした運行形態が続いていた。この状態を解消するために、上飯田駅 - 味鋺駅間の地下線化と、上飯田駅 - 平安通駅間を結ぶ地下新線(上飯田線)が整備されることとなった。なお、この整備の際には駅間の長い上飯田駅 - 味鋺駅間に瀬古駅を設ける(新設ではなく復活)話も浮上したが、結局設置は見送られた。2003年(平成15年)、上飯田線との相互直通運転を前に名古屋鉄道の路線では初めて無人駅に遠隔操作による駅集中管理システムを導入。線内の全駅に自動券売機と自動改札機・自動精算機が設置され、名古屋地区共通の共通乗車カードシステム「トランパス」が導入された。また、上飯田駅には可動柵(ホームゲート)が設置された。同年3月27日に上飯田駅 - 味鋺駅間の地下新線が複線で開業し、旧来の同区間の地上単線区間は廃止された。この結果、小牧駅以南の区間がすべて複線となった。同時に、名古屋市営地下鉄上飯田線との相互直通運転をワンマン運転で開始し、名城線の平安通駅まで直通するようになり、飛躍的に利便性が向上した。なお、上飯田駅 - 味鋺駅間の地下線区間は上飯田連絡線株式会社が保有することとなったため、当該区間は名古屋鉄道が第二種鉄道事業者となっている。また、この区間は、名鉄の路線の中で唯一ATCが導入されている区間でもある。ほぼすべての列車が上飯田駅から平安通駅までの名古屋市営地下鉄上飯田線と直通運転し、上飯田線と運行が一体化している。現在は普通列車のみの運行である。上飯田線平安通駅 - 犬山駅間(所要は昼間時間帯で下り37分・上り34分)の列車を毎時4本運行しているほか、平安通駅 - 小牧駅間(所要約15分)の列車が平日朝に毎時4本、夕ラッシュ時と土曜・休日の朝に同2本加わる。後者の時間帯は平安通駅 - 小牧駅間が10分毎、小牧駅 - 犬山駅間が約15分毎の運行となるので、運転間隔調整のために犬山駅発着列車の半数は小牧駅で約5分停車する。駅集中管理システムの導入によって車掌による発券や改札作業が不要となったことから、各駅のホームの映像を運転席のモニタに電送するシステムを導入した上でワンマン運転を実施している。また、発車時には上飯田線と共通の車載乗降促進メロディを使用するほか、上飯田駅にはホームゲートが設置され、電車の到着・発車時に一緒に開閉する。通常は名鉄の他線と直通する列車はなく、名鉄名古屋駅・新鵜沼駅・新可児駅方面などへは犬山駅で乗り換えなくてはならないが、毎年8月10日の日本ライン夏まつり納涼花火大会の際に犬山線新鵜沼駅への延長運転が行われている(犬山駅から先はワンマン運転を行わない)。過去には、各務原線新岐阜駅(現在の名鉄岐阜駅)や新鵜沼駅、広見線新可児駅まで直通する列車や明治村口駅(現・羽黒駅)発着で犬山線名鉄名古屋駅方面に直通する特急列車も定期運行していた。上飯田線への乗り入れ開始前までは、毎年3月15日に開催される田縣神社の豊年祭の観客輸送のため、名鉄名古屋駅方面から犬山線直通の急行を臨時運行したり、前述の犬山線直通の特急が小牧駅まで臨時延長運転することもあった。2003年(平成15年)3月27日、名古屋市営地下鉄上飯田線との相互直通運転の開始により利便性が飛躍的に向上し、それまで減少傾向にあった利用者数は大幅な増加に転じた。2008年度末には当路線の利用者数が1985年以降では最高となり、当路線の一日平均利用者数としては初めて4万人を突破した。愛知県の統計によれば、2003年度(平成15年度)の一日あたりの輸送人員は30,860人であった 。また国土交通省中部運輸局の統計によれば、2008年度(平成20年度)の一日あたりの輸送人員は40,391人である。2009年以降もほぼ同等の輸送人員を維持している。2003年の上飯田線開業以後は、ステンレス車両かつVVVF車のみで運行されている。このような路線は名鉄では唯一であったが、2014年に瀬戸線の車両が4000系に統一され、唯一ではなくなっている。一部の駅では6両分に延長可能になっているものの、犬山駅を除く、ほぼすべての駅においてホーム長が4両までの対応となっており、いずれの形式も4両固定編成が単独で運用され、増解結は行われない。上飯田線開業以前は、おもに以下の車両により運行されていた。2両や3両の編成も存在し、小牧駅で増解結することがあった。この他、旧3700系、3400系、7700系、7300系、5500系などの運行もあった。3500系や6000系などの方向幕には、運用がなくなった現在でも臨時での乗り入れに備え、上飯田と小牧のコマが残っている。ただし、いずれの車両も、必ずしもA-A基準を満たす、いわゆる地下鉄対応車両ではない。小牧線では上飯田駅 - 小牧駅間が東海地震の防災対策強化地域に含まれており、東海地震に関する警戒宣言が発令された場合、同区間では列車の運行が休止されることになっている。
出典:wikipedia
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