軽井沢(かるいざわ)は、長野県佐久地方にある地名である。一般的に長野県北佐久郡軽井沢町や軽井沢町全体を指す。土着の読み方では「かるいさわ」で、アクセントは平板型である。軽井沢という地名は、長野県内においては軽井沢町のほか上田市真田町大字傍陽字入軽井沢、長野市信更町大字田沢字軽井沢の例があり、長野県外では青森県八戸市松館、秋田県大館市、秋田県由利本荘市(旧由利町)、千葉県鎌ケ谷市、神奈川県横浜市西区、静岡県田方郡函南町など各地に存在する。語源については諸説あり判然としないが、古語・方言で荷物を背負って運ぶことを「かるう」ということから、峠に続く谷間のことを呼んだという説や、枯井沢(水の枯れた沢)という説がある。江戸時代には、五街道のひとつ中山道が通る宿場町であり、中山道の難所のひとつとして知られる碓氷峠の西側の宿場町として栄えていた(碓氷峠は、江戸よりの隣の宿場町、坂本宿との間)。軽井沢付近には軽井沢宿(旧軽井沢)のほか、沓掛宿(中軽井沢)・追分宿(信濃追分)が置かれていた(この3宿をまとめて「浅間三宿」という)。また、浅間山を望む景勝地としても有名であった。※ 関連 江戸← 坂本宿 - 碓氷峠 - 軽井沢宿 - 沓掛宿 - 追分宿 - 小田井宿 →京江戸時代が終わり明治時代に入ると、一旦は宿場町としての機能を失って没落した。しかしその後、1886年(明治19年)にカナダ人宣教師のアレクサンダー・クロフト・ショーがたまたま訪問し、高林薫平の居宅を借り受けて7月から8月まで滞在し、故郷のトロントと似ていると感じた。1888年(明治21年)、ショーは「つるや」(現在のつるや旅館)の主人の佐藤仲右衛門のあっせんによって大塚山に別荘を設け、避暑地としての軽井沢の歴史を切り開いた。別荘第1号は、民家を移転し、改造したものである。後に移築され、ショーハウス記念館としてショー記念礼拝堂の裏に現存する。同年には信越本線の長野方面が開通して軽井沢駅が設けられた。さらに1893年(明治26年)には碓氷峠を越える区間も開通し、東京と直結した。その後、ショーと一緒に訪れた帝国大学教師ディクソン夫妻が「亀屋旅館」の佐藤万平に洋食を教え、1894年(明治27年)に軽井沢で最初の洋式ホテル「亀屋ホテル」(後の万平ホテル)ができた。その後、1899年(明治32年)には「軽井沢ホテル」、1906年(明治39年)には「三笠ホテル」も開業して宣教師・知識人・文化人の間で人気を博し、日本三大外国人避暑地の1つに数えられるようになった。1918年(大正7年)には、堤康次郎による西武資本(1920年(大正9年)、箱根土地株式会社設立)が、沓掛区有地坂下ほか山林60万坪を3万6千円(1坪5銭)で買収し、開発に参入。中軽井沢・千ヶ滝の別荘地の販売やホテルの営業を開始した。更に箱根土地は1921年(大正10年)、大字発地の原野や湿地86万坪を買収、これを南軽井沢と称して別荘地の他競馬場・飛行場(いずれも後にゴルフ場となる)などを建設し、開発の手を広げていった。1945年(昭和20年)には東急資本も開発に参入している。戦後も首都圏後背地のリゾート地として発展し、1961年(昭和36年)からは国土計画興業株式会社(1944年(昭和19年)、箱根土地が社号変更)が南軽井沢の更に南に広大な土地を取得し、1953年に造成した人造湖(軽井沢湖(南軽井沢湖)。1974年からレマン湖と称する)を中心としたリゾート開発構想を立案。翌年10月より大規模別荘地「レイクニュータウン」の造成を開始、1972年(昭和47年)のあさま山荘事件の舞台となった河合楽器健康保険組合「軽井沢保養所浅間山荘」もレイクニュータウンにあった(建物は現存)。三井不動産や丸紅なども別荘地開発を手掛け、バブル期を経て軽井沢町内全域及び周辺自治体に別荘地・リゾート施設が拡大するに至っている。また、星野温泉の星野嘉助による星野遊学堂(1921)を中心とした文化活動や、中西悟堂と星野によるエコツーリズム「ピッキオ」の活動も軽井沢のリゾート地としての基礎を築いた一要因に挙げることが出来る。この理念は現在、星野リゾートが受け継いでいる。軽井沢周辺の標高は1000メートル前後であり、年平均気温は7.8℃で、札幌の平均気温(8.5℃)よりも低い。そのため避暑地として知られている。ジョン・レノンが、ビートルズ解散後の1970年代中期から、亡くなる1980年まで、毎年のように夏に家族連れで長期間滞在していたことや、避暑地の中にある「軽井沢会テニスコート」が、1958年に皇太子明仁親王(当時)と正田美智子の出会いの場所になったことなども、広く知られている。また、ビル・ゲイツが軽井沢に別荘を建てることを予定している。よく知られた地名であるため、周辺の自治体においても「軽井沢」を名乗る場所や施設名が多数存在する。軽井沢町内の「旧軽井沢」「新軽井沢」「中軽井沢」「南軽井沢」の呼称になぞらえた表現である。避暑地、観光地のキャッチフレーズとして呼ばれることがある。・北海道の軽井沢留寿都村・北の軽井沢七飯町(北海道)・東北の軽井沢羽鳥湖高原(福島県)・東海の軽井沢根の上高原(岐阜県)、ひるがの高原(岐阜県)・関西の軽井沢青山高原(三重県)、六甲山(兵庫県)、曽爾村(奈良県)、天川村(奈良県)・西の軽井沢蒜山高原(岡山県)、廿日市市吉和(広島県)・四国の軽井沢久万高原(愛媛県)・九州の軽井沢由布院(大分県)、九重高原(大分県)、阿蘇(熊本県)・沖縄の軽井沢やんばる(沖縄本島北部)
出典:wikipedia
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