八王子市(はちおうじし)は、東京都の多摩地域南部にある市である。東京都唯一の中核市に指定されている。八王子市は、東京府(1868年-1943年)時代に東京市に次いで1917年(大正6年)に市制を施行した市である。人口は、日本の市町村の中で第24位、東京都内の市町村で第1位(東京23区を含む市区町村では第6位)、全国の政令指定都市を除くと市では船橋市、鹿児島市、川口市に次いで全国第4位、2015年(平成27年)4月、東京都で初めての中核市となった多摩地域最大の都市である。加えて面積に於いても奥多摩町に続き、東京都の区市町村で2番目に広い行政面積を擁している。風水の極めて良い場所としても知られる。1986年(昭和61年)に国土交通省より業務核都市と定められている。2007年(平成19年)4月に東京都で初めての保健所政令市に指定され、2015年(平成27年)4月1日には東京都で初めて中核市に移行した。八王子市は、その周辺部も含め23の大学等(大学・短期大学・高専)があり、外国人留学生約3,100人を含む約11万人の学生が学んでいる全国有数の学園都市でもある。また、東京都特別区部への通勤率は14.9%(平成22年国勢調査)とベットタウンとしての面ももっている。後北条氏および徳川氏から軍事拠点として位置づけられ、戦国時代には城下町、江戸時代には宿場町(八王子宿)として栄えた。明治時代には南多摩郡の郡役所所在地となり、多摩地域内で最も早く市制施行した。かつて絹織物産業・養蚕業が盛んであった為に「桑の都」及び「桑都(そうと)」という美称があり、西行の歌と伝えられてきた「浅川を渡れば富士の影清く桑の都に青嵐吹く」という歌もある。郵便番号(上3桁)192・193。八王子市は東京都の島嶼部を除く地域の南西部、都心から約40kmに位置している。多摩丘陵にあり、河川浸食による開析が著しく、谷が樹枝状に分布する複雑な地形となっており、下恩方町、裏高尾町、上川町、美山町などに土砂災害特別警戒区域が約900か所ある。市域全体を概観すると、山地・丘陵を三方の周縁とし、東へ流れる浅川を中心に、八王子盆地と呼ばれる東にひらけた半盆地状の複合扇状地をなしている。かつてその扇状地は桑畑として利用されたが、現在では住宅地や工業用地として転用されほとんど見ることができない。西部の山地に源を発する浅川は市の中央部付近で南浅川と合流し市の中心域を流れ、川口川と合流、日野台地のせり出しを受けて東南に下り、山田川、湯殿川と合流して日野市へと向かう。その他の主要河川である北部の谷地川、南東部の大栗川はそれぞれ市の外で多摩川に合流する。中心部の標高は海抜100m前後である(市内最高所は醍醐丸=上恩方町、標高862.7m、最低所は大栗川=大塚、標高63.0m)。中世から近世・近代に至るまで東西を走る甲州街道と、川越・桐生・日光(千人同心街道)など関東北西部、小田原・鎌倉・横浜(浜街道)など南西部・南東部を結ぶ街道が交差する交通の要衝であり、江戸時代には、甲州街道の宿場町として栄えた。現在、東京都心から甲府を経て塩尻へ至る国道20号(甲州街道)と、横浜から川越方面へと向かう国道16号(東京環状)、そして青梅を経て甲府へ至る国道411号(滝山街道、青梅街道)の交点である。また、八王子ジャンクションにより、中央自動車道と首都圏中央連絡自動車道(圏央道)との交点ともなっている。鉄道輸送においてはJR中央本線と横浜線・八高線の交点であり、またJR貨物八王子総合鉄道部や京王電鉄の始発駅2駅がある。鉄道唱歌東海道編の東神奈川のところには、「八王寺」と書かれている。市の位置(世界測地系)関東山地の一部である高尾山や陣馬山等標高500mから900m弱の山々を西端として、小河川を挟んで第四紀層の上総層群で形成されている各丘陵が舌出している。北部では多摩川及びその支流の秋川と川口川の間に加住丘陵があり、谷地川により加住北丘陵および加住南丘陵とに分けられている。両加住丘陵の東端は標高を下げながら南東部の日野台地へと続く。加えて川口川と浅川の上流部である北浅川との間に川口丘陵、北浅川と南浅川との間には恩方丘陵・元八王子丘陵・舟田丘陵、南浅川と湯殿川の間に子安丘陵が舌出し、湯殿川以南の小比企丘陵の南部は多摩丘陵へと連なる。標高200mほどの各丘陵の西部は関東山地の東縁に連なる。市域は関東山地と関東平野とを隔てる八王子構造線に跨っており、その名称の由来ともなっている。森林面積は8,582haで、市域全体の約46%を占める。年間平均気温は約14℃。山間部以外の地域でも標高がやや高く、内陸部の小盆地であるため、寒暖の差が激しく、中央高地式気候の特徴が見られる。非山間部にある市の中心部における冬の最低気温は東京都区部の中心部に比して5℃ほど低く(最高気温は平年値で1℃程度低い)、夏の最高気温は同じく2-3℃ほど高いこともある。1月の平均最低気温は-2.1℃であり、より北にある群馬県前橋市よりも低い。-5℃を下回ることもある。降雪や積雪は東京都区部の中心部よりも多く、2014年2月には市の中心部でも60cm以上積もった。気温の低い日には東京都区部の中心部では雨であっても本市では雪になることが多い。観測地点(標高123m)における最高気温は39.9℃(1997年7月5日)。最低気温は-12.0℃(1960年1月25日)。市内最高地点(標高862.7m)はこの限りではない。"近代以降の行政区域の変遷については後述し、各時代の詳細については八王子市の歴史を参照のこと。"北条氏照は城を築いた深沢山に、牛頭天王の8人の王子神である「八王子権現」を祀り、八王子城と名づけた。この城名が市名の由来である。八王子城が豊臣秀吉の小田原征伐によって落城すると、この地方は後北条氏の旧領全域とともに徳川家康が転封された。交通の要衝であるため、江戸を甲州口から守るための軍事拠点としての役割も担った。徳川家康が武田家の遺臣を召抱えて組織した八王子千人同心の根拠地となったのはそのためである。そして、江戸時代には関東各地の直轄領(御料)を支配する代官18人が駐在することとなり、武田家旧臣の大久保長安が代官頭をつとめてこの地方の開発および甲州街道の整備にあたった。その結果八王子横山十五宿は甲州街道中、最大の宿場町として、また多摩地域の物資の集散地として栄えた。開国ののち、明治維新期以降は織物産業が繁栄し江戸時代からの宿場町を中心に街も発展した。特に生糸・絹織物については市内で産するだけでなく、遠くは群馬・秩父や山梨・長野からも荷が集まり、輸出港である横浜に運ぶための中継地としても機能していた。1917年には、東京府内で東京市に次ぎ2番目に市制を施行した。(当時、豊多摩郡(現、牛込や四谷(当時の内藤新宿町以外)を除く新宿区・渋谷区・中野区・杉並区)、荏原郡(現、品川区・大田区・世田谷区・目黒区)、北豊島郡(現、豊島区・北区・荒川区・板橋区・練馬区)、南足立郡(現、足立区)、南葛飾郡(現、本所を除く墨田区・深川を除く江東区・葛飾区・江戸川区)は東京市編入前であり郡制を敷いていた。)1960年代以降は、織物など繊維産業の衰退もあり、市の郊外には北八王子工業団地などの工業団地や多摩ニュータウンなどの大規模な住宅団地が建設された。また、都心のキャンパスが手狭になった大学の移転が相次ぎ、学園都市とよばれるようになった。そのため、産学共同研究が近年は盛んである。市の西部の高尾山、陣馬山などの山々は観光地やハイキングコースとして人気があり、また中村雨紅の生誕地にある『夕やけ小やけふれあいの里』や東京都内で初めての道の駅である『道の駅八王子滝山』なども行楽客を集めている。2015年(平成27年)4月1日に中核市に指定された。これは東京都の市では唯一である。いずれ政令指定都市になることを目指している。八王子市は、東京都の市の中で一番人口が多く、八王子市の人口構成の特徴は、学生が多いため若年層が多い。一方で近年では高齢化が進み、2010年現在の八王子市の高齢化率は20.7%となっている。当市南部に造成され、東京都のなかでも高齢化が進んでいるといわれる多摩ニュータウンの同年の高齢化率は16.0%であり、これはそれよりも高い数字である。2010年に夜間人口(居住者)は580,053人であるが、市外からの通勤者と通学生および居住者のうちの市内に昼間残留する人口の合計である昼間人口は578,039人で、昼は夜の0.997倍の人口となり、昼夜間人口はほぼ1:1である。通勤者・通学者で見ると、市内から市外へ出る通勤者107,885人、市外から市内へ入る通勤者74,401人と市内から市外へ出る通勤者が多い。一方、学生では市内から市外に出る通学生17,348人、市外から市内へ入る通学生48,820人と市外から市内へ入る通学生が圧倒的に多い。八王子市は区部への通勤者が多いベッドタウンという人口流出の面と、市内に多くの大学と企業を抱えることから通学先、勤務先として人口流入の面の両面があり、特に区部からの通勤者・通学者が12,417人に上るのは特記すべきことである。八王子市役所によると、11万人の学生と5千人の教員が八王子市に通っている。八王子市では、一部の区域で住居表示に関する法律に基づく住居表示が実施されている。八王子市に編入された旧町村は、旧・由木村域を除き、従来の大字を廃して町が設定され、字区域が廃止されている。2002年(平成14年)から、市役所各事務所の管轄区域は廃止されたが、市の統計などでは現在でも事務所別に分類されている。一方、八王子市都市計画マスタープランでは、それらを基にした6地域に分類されている。行財政改革の実施、環境対策、中心市街地の活性化など各種産業の振興が主な行政課題となっている。石森孝志(2期目)民主党は自主投票となり、市議会は石森支持、阿久津幸彦は両角支持となった。論点は、黒須市政継続の是非、中心市街地の活性化策など。(+印は在職中死去)2008年(平成20年)4月1日現在の市職員数(短期契約職員を除く)は2,909人である。職員数は2010年度までに2,897人とすることを目標として削減を進めており、同規模の地方自治体と比べると市民1人当たりの職員数は少なくなっている。2015年(平成27年)4月1日現在太字は「拠点事務所」=19時まで開庁2016年度(平成28年度)の当初予算規模は約4,098億円である。市債残高はピークであった2000年度(平成12年度)の3,184億円から年々減り続け2015年度(平成27年度)末時点で2,085億円 となり、1,099億円減少している。単年度の歳入における地方債依存度は年々低下し、2015年度(平成27年度)では3.6%であった。市債の発行目的は主に小中学校の校舎建設や都市計画事業、住民税の減税補填の費用で、施設整備などの投資的経費の減少により地方債の発行が抑制された。2015年度(平成27年度)の歳入に占める自主財源の比率は52.4%である。市の基金(貯金)は2005年度(平成17年度)93億円であったが年々増加しており、2015年度(平成27年度)で235億円となっている。2001年度(平成13年度)のラスパイレス指数は105.0で指定都市を除く全市区町村の中では8番目に高く、東京26市中では7番目に高かったが、給与の引き下げなどの対策によって2015年度(平成27年度)は97.8と大幅に低下し東京26市中で26位と大きく改善された。2005年度(平成17年度)決算における歳出に対する人件費比率は20.3%、2015年度(平成27年度)決算における歳出に対する人件費比率は14.4%とこちらも年々縮減される傾向にある。2001年(平成13年)から地球温暖化対策して「はちおうじ省エネ国」事業を開始。希望する家庭に電気使用量などチェックシートで毎月点検できるようにした。2009年(平成21年)1月にイメージキャラクター名が「えこちゃん」に「えこちゃん」の頭の上に乗っているドングリの愛称が「グリちゃん」に決定する。2010年(平成22年)8月に八王子環境フェスティバルなどで流されていた省エネ国テーマソングが市のホームページで公開された。テーマソングの製作は市役所職員がすべて行いボーカルには初音ミクを使った。2004年(平成16年)から有料化、個別収集開始。優良集合住宅集積所認定制度創設や学生にゴミ分別のマナーなど向上のために市内の大学・短大・高専で構成される八王子市学園都市推進会議と連携している。2010年(平成22年)10月1日からは資源ゴミに対しても個別収集開始しさらなる減量化を目指している。プラスチック資源化センターの建設、個別回収の実施、資源ごみ持ち去りの禁止条例施行によりゴミの排出量は減少しているが、ウィークリーマンションやワンルームマンションのゴミ出しマナーが悪い。衆議院小選挙区では本市で東京24区をなす。1996年(平成8年)10月の新制度による選挙以来、現職候補が当選しないというジンクスがあったが、2005年(平成17年)9月の総選挙では、現職の自民党候補が現職(前回は比例復活当選)の民主党候補を破って再選した。敗れた民主党候補は比例代表の復活当選を果たせなかった。しかし、2009年(平成21年)8月の総選挙では、現職の自民党候補が落選し民主党候補が当選した。また自民党の現職は比例復活当選を果たせなかった。2012年(平成24年)12月の総選挙では自民党候補が民主党現職候補に大差をつけ当選した。2014年(平成26年)12月の総選挙でも自民党候補が民主党元職候補に大差をつけ当選した。本市でひとつの選挙区(八王子市選挙区)をなす。定数は5。2005年(平成17年)7月の東京都議会選挙では、自民は東部、西部と市内を二分し、2議席を維持。公明、民主、共産も1議席を維持。生活者ネットワークは民主の推薦を取り付け、議席獲得を目指したものの約5000票差もの差をつけられ敗れた。2009年(平成21年)7月の選挙では、民主が2議席を獲得、公明・共産・自民の各党で1議席ずつを分け合った。2013年(平成25年)6月の選挙では、自民が2議席を獲得、公明・共産・みんなの各党で1議席ずつを分け合った。前回2議席獲得した民主は結党以来議席を守ってきたが今回議席を失った。※1 2011年(平成23年)に離党し一人会派「八王子活性化研究会」を経て自民党に入党。※2 市長選に立候補し失職。明神町に、多摩地域全域を管轄している東京地方裁判所八王子支部および東京家庭裁判所八王子支部が所在していたが、これらを立川市に移転するとの方針が国から提示され、2009年(平成21年)4月20日に移転された。なお、跡地に八王子区検察庁、2018年度以降に東京法務局八王子支局、八王子労働基準監督署が移転する。また不動産登記申請書などの保存期間延長に伴い、東京法務局が同施設内に集中書庫(面積約3030平方㍍)を新設。合同庁舎が設置される。消防は市町村の責任業務であるが、本市は多摩地域の多くの自治体と同様に東京消防庁へ業務を委託している。以前は多摩地域は全域が第8方面とされていたが、1990年(平成2年)に第9方面が新設され、方面本部は本市の小宮出張所に置かれた。更に首都直下地震を鑑み、2013年(平成25年)3月に消防救助機動部隊(ハイパーレスキュー隊)が市内に配備された。再編が検討されている第3次産業が、事業所数・従業者数ともに全体の約8割を占める(平成12年国勢調査)。北八王子工業団地には、各種計測機器などの精密機器製造業の他、交通の利便性により、各社の物流拠点がある。北八王子工業団地のほかには、東浅川工業団地、狭間工業団地、八王子繊維工業団地、下恩方工業団地、美山工業団地、北野工業団地がある。機業地であった歴史を受け継ぎ、絹織・ニット製品・染色業などの工場も多い。八王子市の小売業の年間商品販売額は、多摩地区第1位(2014年)であり、町田市、次いで立川市、武蔵野市がこれに続く。中心市街地では、駅前にJR東日本最大級の駅ビルである八王子駅北口駅ビル(セレオ八王子北館)や八王子駅南口駅ビル(セレオ八王子南館)、八王子東急スクエア、京王八王子駅ビル(京王八王子ショッピングセンター)、サザンスカイタワー八王子、ヨドバシカメラ八王子店、ドン・キホーテ八王子駅前店、ダイエー八王子店などの大型店があるものの、大型小売店舗の撤退や、市郊外には「三井アウトレットパーク 多摩南大沢」や「ぐりーんうぉーく多摩」等に代表されるような郊外型大規模ショッピングセンターが出現している。そのため市郊外、近隣の鉄道駅(新宿駅・立川駅など)などに買い物客が流れている傾向がある。中心市街地の活性化を図るため、1997年(平成9年)八王子駅北口再開発(八王子スクエアビル)と2003年(平成15年)八日町第2地区再開発(ビュータワー八王子)が、続いて2010年(平成22年)に八王子駅南口再開発(サザンスカイタワー八王子)とJR東日本により八王子駅南口駅ビル(セレオ八王子南館)が竣工した。今後も、八王子駅南口JR貨物の26階建て商業複合施設や八王子医療刑務所移転後用地活用計画、八王子駅北口「旭町・明神町地区」の産業交流拠点施設の整備、市郊外では中央自動車道八王子インター隣接のイオンモール、JR高尾駅に近接する大和ハウス工業の大型商業施設、八王子西インターチェンジ近接の川口土地区画整理事業(流通・産業拠点整備)等が事業予定されている。(産業別事業所数上位5位まで。カッコ内は構成比。2001年(平成13年)10月1日現在)(産業別就業者数上位5位まで、単位・人。カッコ内は構成比。2001年(平成13年)10月1日現在)農家の戸数は2005年(平成17年)現在1,435戸で減少傾向にあり、販売農家が全体の約40%を占める。八王子市農業協同組合(JA八王子)が、八王子市全域の農協業務を執り行っている。東京都にある養蚕農家23戸のうち10戸が八王子市にある。西部の山地・丘陵の農地では、サル・イノシシなどの獣害対策が課題となっており、ボランティアによる駆除活動が行われている。2007年(平成19年)には道の駅八王子滝山内に農産物直売所「ファーム滝山」がオープンし地産地消を推進する拠点となっている。農業粗生産額は 27 億円である。内訳は以下のとおりである。農地面積は 957ha(市域全体の約5.1%)で、内訳は以下のとおりである。浅川上流(上恩方・西寺方町)にはマス釣場があり、ニジマス・ヤマメの遊漁が可能である。明治期以降、繊維工業が隆盛したが、第二次世界大戦後、1960年代ごろから次第にその数を減らした。しかし2000年(平成12年)時点で絹織・ニット製品・染色業などの繊維工業関係の工場が市内に 140あり、日本国外の高級ブランド製品の委託生産や、地域ブランド化など、製品の差別化によってその付加価値を高めようしている。1970年代以後、工業団地の造成にともない、電気機械・精密機器製造業の比重が高まり、関連する中小の企業も市内各地に点在している。2000年(平成12年)の工業事業所数は 1,714、従業員数は 26,391 人、製品出荷額は約 7,892 億円である。それぞれの上位5位までの業種と比率は以下のとおりである。(単位:人)(単位:万円)字下げ及びカッコ書きの部分は、過去の金融機関名・支店名・出張所名である。2007年9月末日現在、市民の平均年齢は42.32歳。高齢者人口は99,431人で、総人口比は18.42%である。2004年1月1日現在、市内最高齢者は男103歳、女107歳である。2005年4月1日の時点で独居老人は7,212人、寝たきり人口は601人である。独居老人は増加しているが、寝たきり人口は減少している。1960年代後半以降、大学の移転が相次ぎ、国内有数の学園都市として整備されている。1980年代以降、図書館・文化ホールなどの社会教育施設の整備が進んだが、市の行財政改革により、施設の仕様や、運営の見直しが進んでいる。市の郊外にあたる丘陵地帯には大学が点在し、市域には23の大学・短期大学・高等専門学校がある。小泉内閣が進めた構造改革特別区域構想にともない、2003年4月21日、「不登校児童・生徒のための体験型学校特区」に認定され、2004年4月、小中一貫校である東京都八王子市立高尾山学園が開校した。加えて2005年11月22日、「情報産業人材育成特区」にも認定され、2006年7月、株式会社立デジタルハリウッド大学八王子制作スタジオが開校した。2004年4月から、市立の小学校・中学校に学校選択制度が導入された。小学校では指定校と隣接校から、中学校は市内全域のすべての学校から、通学する学校を選択することができる。八王子市内には2007年4月現在、70の小学校がある。2011年から市内全域で小中一貫(連携)教育を実施する予定である。市立第五中学校には、都内在住・在勤の、学齢を越えた義務教育未修了者を対象に夜間学級が開設されている。行財政改革により、市立の社会教育施設の一部は財団法人八王子市学園都市文化ふれあい財団が運営している。また、2004年9月に「だれもがいつでも多様に学び豊かな文化を育むまち」をスローガンに、八王子市域23の大学・短期大学・高等専門学校・企業と連携した「八王子学園都市大学(いちょう塾)」が開学した。1990年代以後に設立された施設は、その大半が複合施設となっており、一部は商業施設と共用している。1962年開館の市民会館は、施設の老朽化により、2011年サザンスカイタワー八王子への移転した。2003年10月、隣接する神奈川県津久井郡相模湖町(当時)・藤野町との間に、公の施設の相互利用協定を結び、両町の図書室や文化施設について、八王子市民の利用が可能になった。2006年3月、相模湖町の相模原市編入に伴い、相模原市内の図書館についても八王子市民の利用が可能になった。また、2007年10月には町田市、2008年4月には「京王線沿線7市図書館連携」が開始し府中市、調布市、日野市、多摩市、稲城市の図書館についても八王子市民の利用が可能になった。加えて2008年8月には、あきる野市との間にも図書館の相互利用が開始した。東京都高尾自然科学博物館は、都立唯一の自然史博物館であったが、2004年3月31日、施設の老朽化などの理由により閉館した。博物館事業は八王子市に移管され、跡地に「高尾599ミュージアム」が2015年8月11日開館した。りそな銀行・東京工科大学と共同し2006年〜2009年まで約10校の小学校でゲームとWebを利用した「先導的教育情報化推進プログラム」を実施した。高尾山は観光客の集客力は高いが、資源や特産物に乏しい。「食による町おこし」、八王子いちょう祭り大作戦、八王子名品・名店発掘によるまちおこし事業、八王子是市民の会など多くの活動によって振興が検討・計画・実行されている。Open Embedded Software Foundation (OESF) が Android City Initiative活動の先駆けとして、2011年4月1日に 八王子市と八王子商工会議所連携のもと設立された「首都圏情報産業特区・八王子」構想推進協議会(サイバーシルクロード八王子)と提携し、「Android City 八王子」というコ ミュニティーを立ち上げた。市では、都市景観・自然景観そのものを観光資源ととらえ、市内におけるテレビ・映画・CMなどのロケ利用促進を目的とするフィルムコミッション制度を設けている。これは、市の観光課が窓口となり、観光協会や大学などの各団体と連携して、市内における撮影の誘致や円滑な進行を補助するものであり2004年1月にスタートした。市の観光課によると、前年2003年に放映されたテレビドラマ『ハコイリムスメ!』では高尾山が舞台となり全国に紹介されたため観光客が3割増加したという。2004年放映のテレビドラマ『白い巨塔』では、市役所本庁舎が劇中の裁判所として登場したが、このドラマ撮影はフィルム・コミッション制度活用の一例である。市では、今後撮影候補地のデータベース化など、情報提供体制の充実をはかり、撮影の積極的誘致につとめる、としている。高尾山に住む10番目の烏天狗という設定。白を基調に緑色のプロテクターを付けたコスチュームを身につけ、額の「H」は八王子の頭文字をデザインしたものである。2009年11月にアリオ亀有(葛飾区)で開催された児童虐待防止イベントで八王子市代表のローカルヒーローとしてデビュー、その後、2010年1月に了法寺で開催された餅つきイベントなど各種イベントに登場している。滝山町にある仏教寺院・少林寺の副住職が考案し、その周辺でさまざまな悪戯をして回る妖怪タヌキという設定で、市公認のゆるキャラにもなっている。2012年のゆるキャラグランプリでは865体中58位に、都内では国分寺市の「にしこくん」、巣鴨地蔵通り商店街の「すがもん」に続く3位にランクインした。晩年を八王子で暮らした武田信玄の娘、松姫をモチーフとしたゆるキャラ。2013年1月に八王子商工会議所でお披露目された。隣接・近隣の自治体には鉄道および路線バスが通じている。ただし、檜原村に向けては直接の鉄道やバスの便はなく、境界の尾根に登山道があるのみで直接の道路や登山道すら通じていない。※市役所の最寄り駅は、西八王子駅だがJTB時刻表では八王子駅が中心駅と記載されている。八王子はバス路線の発達した街であり、主要駅発着のバス路線の数は多い。また、市域も広いため、直接鉄道で結ばれていない隣接地域へのアクセスは、主に路線バスが活用されている。市を東西に貫く甲州街道を境にして、主に北側の路線を西東京バスが、南側は京王電鉄バスが営業運行している。また、南大沢など市東南部多摩ニュータウン地区では、京王バス南、神奈川中央交通が営業運行している。陣馬高原下方面の大久保バス停より先などの閑散部は自由乗降区間となっている。1999年、西東京バスから多摩バスが分社化され、2000年から陣馬街道方面などの路線を共同運行していたが、2008年9月に西東京バスに再統合された。また、2006年のバスダイヤ改正に伴い、陣馬高原下・美山町方面は京王八王子駅から高尾駅北口発着に、小津町方面は恩方車庫発着(京王・JR八王子駅方面から繊維団地にて乗継可能)に変更になり、西八王子駅からも繊維団地(現・恩方ターミナル)行きの運行が開始された。1982年から2006年秋までの登山シーズン中はボンネットバス「夕やけ小やけ号」が京王八王子駅から陣馬高原下間を運行していた。2002年、市街地の渋滞緩和と、駅周辺地域での乗降客増加を企図して、神奈川中央交通を除く各社線とも八王子駅から半径1km圏内の停留所間の運賃が100円均一となった。長きにわたり、市の北西部─北東部を直接に結ぶバス路線がなかったが、2003年には、運賃100円均一(当時)のコミュニティバスである八王子市地域循環バス(通称はちバス)の北西部コースが運行を開始した(運行は西東京バスに委託されている)。2004年には新たに南東部の既存路線外を補完する東部コース、2011年には高尾駅とさくら台団地・松子舞団地を結ぶ南西部コースの運行を開始した。八王子市内に営業路線・営業所・車庫を持つバス会社は以下のとおりである。JR中央線、あるいは京王電鉄京王線で新宿へ。平日日中の主要駅からのルートおよび平均的な所要時間は以下のとおりである。JR・京王八王子駅より、以下の行先の高速バスがある(カッコ内は経由地)。最寄りの羽田空港または調布飛行場であり空港行きバスとして、以下の4路線がある。調布飛行場へは調布駅からバスとなる(カッコ内は経由地)。中央自動車道には元八王子バス停があり、定期高速バスを利用できる。ただし、市の中心部から離れており、市内各所からのアクセス性は、決してよいとはいえない。利用するには、西八王子駅から西東京バス利用「中央道八王子バス停下」または京王八王子駅・八王子駅・西八王子駅から西東京バス利用、「三村橋」バス停下車後徒歩5分。上記のうち苫小牧市と日光市は千人同心のゆかりの地である。苫小牧は、江戸時代末期、北辺警備と勇払原野の開拓に千人同心が参加したこと、日光は、千人同心が東照宮の火の番を勤めていた縁で、姉妹都市となった。また寄居町と小田原市は戦国大名の北条氏一族が納めていた縁や、近年の圏央道の開通に伴い結び付きが強くなった事から姉妹都市締結となった。2006年、市制90周年を記念して、日本国外の都市と友好都市交流を開始した。八王子市は、八王子ナンバー(東京運輸支局)を割り当てられている。
出典:wikipedia
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