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プー&ムー

プー&ムーは、吉本興業東京本社(東京吉本、厳密には子会社のよしもとクリエイティブ・エージェンシー)に所属する日本の漫才コンビ。二人とも熊本県天草市(当時本渡市)出身で天草弁で漫才をする。体を張った芸で人気を集めている。デビュー以来吉本興業福岡事務所(福岡吉本)に所属し、九州を中心に活動していたが、2009年4月、東京吉本に移籍、コンビで東京進出を果たした。二人は高校の同級生同士で、1992年に漫才コンビを結成し福岡へ渡り「ワンダラーズ」(現在活動中の同名コンビは別人)としてデビュー。当時は「おタコプー」、「井上 修」で活動していた。1997年、おタコ体操でブレイクした、おタコはレギュラー4本あったものの、コンビとしての仕事はゼロだった。1998年、おタコ失踪、1週間後に福岡に戻る。1999年、おタコ、ラジオレギュラーを獲得。2002年、おタコ600万の借金を返済。その後、おタコ一人の条件の東京吉本より引き抜きの話が出たが「一人ではダメだ。修も一緒ではないと」と東京進出を断った。当時、おタコしか仕事がなく、会社からも「相方の足を引っ張るな」と言われてきた修は引退を相談していたが、おタコはコンビじゃないとダメだと、ピンのレギュラー番組を辞めてコンビとしての活動を優先にした。2003年に事務所の反対を無視して「神のお告げがあった」と言い、コンビ名を現在の名称にし、コンビとして再スタートした。同年のM-1グランプリでは準決勝まで進出した。2009年、東京へ進出。最初に芸名を名乗ったのは、素人時代に鶴屋華丸(現・博多華丸)から名前を訊かれ、本名で答えたが、名前の語呂のせいで華丸がうまく聞き取れず訊き直したとき、おたこはボケる場面だと判断してしまい、「おタコ・プーです」と名乗り、華丸らを笑わせた。現在も博多華丸・大吉の二人はおたこの実力を高く評価している。2001年、福岡の劇場で漫才の公演の最中に「お久しブリッジ」のギャグをやろうとした際、ブリッジに失敗し背骨を骨折した。完治するまでの間、テレビ、ラジオ、舞台の仕事は全てキャンセルした。その骨折が元で腰椎の椎間板ヘルニアを患い、「お久しブリッジ」にドクターストップがかかり、それ以後「お久しブリッジ」を封印した。CROSS FMでオールリクエスト番組を担当したことがあり、アーティストとも交流がある。番組内では平井堅と同年同日に生まれたことを頻りにアピールしていた。平井はブレイク前に同局で番組を担当していたこともあり、おタコとは顔見知り。時にゲスト出演し、お互いライバルとして笑えるトークを送ってくれていた。福岡出身で同局で番組を担当していた椎名林檎とは電話番号を交換した仲で、テレビ番組で話したところ芸人仲間が半信半疑であったため実際電話したが、見事に繋がったので羨望の眼差しを送られた。また、aikoファンでもあり、番組に来た時に「しげちゃん」と呼ばせる仲にまでなった。本社が「福岡からもそろそろ東京進出組が出てもいいんじゃないか」と福岡事務所に打診。当時、福岡事務所内では華丸・大吉、コンバット満の次に知名度が高く、東京の番組「わらいのじかん」にも出演したおたこにスポットが当たった。本人は必死に考えたものの、おさむを置いて東京に行くわけにはいかないと結論を出し、こういう話が出たのも「自分がピンで活動しすぎたから」だと思い込んだ。この話を蹴り、ピンの仕事は全て降板。以後、コンビでの仕事でないと引き受けないことにし、自身の番組、CROSS FMの「ハイパーサンデー」にて、涙ながらに降板理由を語った。幸い、KBCラジオが「コンビでラジオの仕事を」とオファーを出してくれたことから、本格的にコンビでの仕事を再開した。

出典:wikipedia

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