松平 康福(まつだいら やすよし)は、江戸時代中期の大名。老中、老中首座。はじめ5万400石だったが加増され6万余石となる。石見浜田藩の第5代藩主、下総古河藩主、三河岡崎藩主を経て再び浜田藩主。松井松平家6代。奏者番、寺社奉行、大坂城代を経て、老中に抜擢された。石見浜田藩4代藩主・松平康豊の長男。元文元年(1736年)に家督を相続して浜田藩の第5代藩主となる。寛延2年(1749年)に奏者番に任命されたのを振り出しとして、宝暦9年(1759年)には寺社奉行兼任となり、下総古河に移封された。宝暦10年(1760年)に大坂城代に任命され、宝暦12年(1762年)9月晦日に三河岡崎に移封され、12月には西の丸老中に任命された。天明元年(1781年)、老中首座松平輝高が在任中に死去し、その後を襲って老中首座となる。これまで勝手掛(財政担当)は老中首座が兼務する不文律があったが、田沼意次の強い意向で勝手掛は同列の水野忠友にまわされた。その埋め合わせとして天明5年(1785年)、1万石加増。封地は、浜田から古河、岡崎、再び浜田と、1代で国替を数度経験する。この間、娘を意次の嫡男意知に姻がせている。天明6年(1786年)の意次、失脚後も松平定信の老中就任や寛政の改革に最後まで抵抗したが、天明8年(1788年)4月3日に免職された。その後、従弟の康定に家督を譲って隠居し、寛政元年(1789年)2月8日に死去した。
出典:wikipedia
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