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安美錦竜児

安美錦 竜児(あみにしき りゅうじ、1978年10月3日 - )は、青森県西津軽郡深浦町出身で伊勢ヶ濱部屋(入門時は安治川部屋)所属の現役大相撲力士。本名は杉野森 竜児(すぎのもり りゅうじ)、愛称は「リュウジ」。インターネット上では「あみたん」とも呼ばれる。身長184cm、体重145kg、血液型はA型、星座は天秤座。得意手は、右四つからの寄り、出し投げ、力も強く独特の間合いをとり変化も使う。四股名は、「故郷に錦を飾る」との意味を込めて師匠の伊勢ヶ濱親方(当時の安治川親方)が命名した。趣味はテレビゲーム。好物はワイン、甘口のカレーライス。嫌いなものは梅全般。最高位は東関脇(2007年9月場所 - 2008年1月場所)。いつも微妙な取り組みにより行司が軍配を上げにくい相撲をとるため「行司泣かせ」の異名を持つ。先に安治川部屋へ入門していた安壮富士は実兄で、大相撲史上16組目の兄弟関取である。祖父は土地相撲でも活躍した元出羽海部屋の力士で、師匠の伊勢ヶ濱親方(元横綱・旭富士)は父の従兄弟に当たる。杉野森旅館(漁師も行っていた)の次男として産まれ、修道小学校1年生で相撲クラブに入って3年生から本格的に相撲を始め、大戸瀬中学校や鰺ヶ沢高校では相撲部で活躍した(兄の安治川部屋入門時には「彼よりもっと強い弟がいる」と関係者に言われたほどだった)。高校時代の監督であった一戸琢哉はたびたび稽古の途中で中断を命じては「今なぜそうしたのか」と動きの意図を入念に問いかける指導方針で知られていた。高校卒業後に、既に兄が入門していた安治川部屋へ自身も入門した。同郷の力士である海鵬は小学校から高校の5年先輩で憧れの存在だった。2000年1月場所に新十両へ昇進し、同年7月場所に新入幕を果たした。新入幕の場所となった7月場所では10勝5敗の好成績を挙げて初の敢闘賞を受賞した。2002年3月場所には10勝5敗の好成績を挙げて初の技能賞を受賞した。2003年1月場所8日目には横綱・貴乃花を初挑戦で送り出しで破り、自身初となる金星を獲得した。その翌日に貴乃花はこの取組を最後に現役引退を表明したため、貴乃花の現役最後の対戦相手となった。同年5月場所には11勝4敗の好成績を挙げて2回目の技能賞を受賞した。翌7月場所には横綱・武蔵丸を破り2個目の金星を獲得した。2005年9月場所には横綱・朝青龍を破り3個目の金星を獲得した。だが2003年7月場所11日目の闘牙戦で前十字靱帯と半月板を損傷する重傷を負い、翌日から休場。この怪我は当時まだ小兵の範疇から抜け出していない体格であったことが原因で起こったとされており、師匠の伊勢ヶ濱も「早いうちから体をつくっておけば、あんなことは起きなかったかもしれない。もったいない」と悔やんでいた。医者からは即手術を勧められたが、手術すれば復帰まで半年を要することと「やってみたら意外にそこそこの相撲はとれた」と感じたことから敢えて手術せずに膝の周りを鍛え、怪我と付き合いながら戦い続ける道を選んだ。2006年9月場所では11勝4敗の好成績を挙げて3回目の技能賞を受賞し、翌11月場所において新入幕から所要38場所で新小結へ昇進した。この11月場所では兄である安壮富士も同時に幕内に昇進して、兄弟揃っての幕内力士となった(しかし、安壮富士は2場所で十両に陥落している)。2007年5月場所では朝青龍を破って4個目の金星を獲得し、9勝6敗と勝ち越しを果たして初の殊勲賞を受賞(横綱に勝った場所で勝ち越したのは初めてだった)し、西小結の位置で迎えた翌7月場所でも初日に朝青龍を破り、この場所で優勝した朝青龍に唯一の黒星を付けて、8勝7敗と勝ち越しを決めて2場所連続となる2回目の殊勲賞を受賞した。翌9月場所において新入幕から所要43場所で関脇への昇進を果たし、その9月場所では大鵬・千代の富士・琴欧州に続き史上4人目となる新関脇の初日からの8連勝での勝ち越しを達成した。新関脇で初日から8連勝した力士は過去に全員が大関以上に昇進しているが、このことに言及された際には「オレは確実に期待を裏切るね」と記者たちをはぐらかした。その後9日目から5連敗したが、最終的に10勝5敗と二桁勝利を挙げた。翌11月場所でも8勝7敗と勝ち越しを決めたが、翌2008年1月場所では5勝10敗と大きく負け越し、平幕へ陥落した翌3月場所では横綱・白鵬を破り5個目の金星を獲得したものの6勝9敗と負け越した。同年5月場所ではその場所で優勝した琴欧洲に唯一の黒星を付け、10勝5敗の好成績を挙げて3回目の殊勲賞を受賞した。同年9月場所では朝青龍を破って6個目の金星を獲得して8勝7敗と勝ち越しを決め、西小結へ復帰した翌11月場所では1横綱2大関を破る活躍を見せて8勝7敗と勝ち越し、4回目の殊勲賞を受賞した。翌2009年1月場所では関脇へ復帰したものの、中日の朝青龍戦で古傷の右膝を負傷して途中休場した。同年5月場所では朝青龍を破って7個目の金星を獲得したものの5勝10敗と大敗した。続く7月場所では11勝4敗の好成績を挙げて4回目の技能賞を受賞し、2010年1月場所でも11勝4敗の好成績を挙げて5回目の技能賞を受賞した。2012年5月場所では初日に白鵬を破り、その後3大関を倒す活躍で殊勲賞の候補に挙がったが、千秋楽の相撲で碧山に敗れ、7勝8敗と負け越して受賞を逃した。それからしばらくは平幕上位と三役を往復してきたが、2013年9月場所は9勝6敗の勝ち越しながら怪我で千秋楽を休場して不戦敗を喫する。当初は左膝内側半月板損傷全治1カ月の診断であったが場所後の再検査の結果左膝前十字靱帯(じんたい)も損傷していたことが発覚し、全治3カ月とされた。重傷そのものであったが同年11月場所前には連日のジム通いでリハビリを続け軽い四股を踏めるまでに回復し、新たに誕生した娘の存在を動機として強行出場に乗り出した。その場所は怪我の影響で結局6勝9敗の負け越しに終わった。2007年11月30日に師匠の安治川親方が年寄名跡を伊勢ヶ濱に変更したのに伴い、年寄・安治川の名跡を取得。2013年2月12日4歳年下の一般女性との婚約を発表。9月8日に披露宴を行う予定だったが、夫人が11月に第一子が誕生することが判明したため、6月2日に行った。同年10月23日には第1子となる長女が誕生。2015年5月29日に第2子が誕生したことを自身のブログに綴った。東前頭3枚目だった2014年5月場所は、新関脇だった2007年9月場所以来となる初日から4連勝を記録するなど好調で、最終的には10勝5敗の好成績を挙げた。翌7月場所は東小結の地位で土俵に上がり、3勝12敗と振るわなかった。千秋楽の打ち出し後、白鵬が部屋関係者の不手際により優勝パレードの旗手を手配されず困っていたところ、一門の関取である安美錦が名古屋市内にまだいたことで愛知県体育館に駆けつけて大失態を免れるという珍事が発生した。東前頭6枚目で迎えた次の9月場所は5日目からの8連勝もあり、最終的に10勝5敗の好成績と技能賞を手にした。2015年3月場所は初日から7連勝と好調、9日目に勝ち越したが10日目の徳勝龍戦で膝を痛め途中休場した。東前頭筆頭で迎えた2016年1月場所は3日目の鶴竜戦で金星を獲得し、これが元関脇・寺尾(現・錣山)の89場所を抜いて昭和以降で最長となる新入幕から93場所目での金星となった。しかしインフルエンザにより6日目から休場、中日から再出場するもこの場所は結局6勝8敗1休に終わって勝ち越しを逃した。関取最年長37歳で迎えた5月場所2日目の栃ノ心戦で左アキレス腱を断裂し、3日目から休場することが決まった。さらに翌場所も初日から全休した。このため、同年9月場所では2004年11月場所以来約12年ぶりとなる十両へ陥落した。関取連続在位100場所目を陥落した十両で迎えた安美錦であり、この場所は体の張りにも欠けて相撲ぶりも観衆から悲鳴が上がるなど安定していなかったが、千秋楽に勝ち越しを決めて8勝7敗。2016年9月場所終了現在                                                                                                   2016年9月場所終了現在

出典:wikipedia

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