HOOKSOFT(フックソフト)は株式会社ロボプランニングによるアダルトゲームのブランド。 2008年12月2日以前の名称はHOOK(フック)。パートナーブランドの一員。HOOK SOFTWARE CREATIONS(フックソフトウェアクリエイションズ)とも。姉妹ブランドとして、SMEE、ASa ProjectおよびTJR(活動休止)がある。なお、ASa Projectは同一法人ではあるがホームページおよび構成スタッフは異なる。イトセキミナトは、高校3年生時に同学年のkeiをさそい、同人サークル「ティングアベル」を結成した。武田弘光は高校時代に自作のホームページにCGを載せていたところ、イトセキに見止められた。山根呂兵はゲーム専門学校に行った後に、インターネットのチャットにおいてイトセキに誘われて「ティングアベル」に参加した。川波無人は一般企業に勤めた後、ゲーム制作の夢を諦めきれずゲームデザイナー学院に入り、同人サークル「ソフトハウス吾」(そうふとはうすあ)を結成した。亜佐美晶は大学時に同人サークル「サテライン」を結成した。ゲームをつくるに当たり、プログラマーを募集したところ「ソフトハウス吾」のメンバーが手伝いに来ることにより交流を持つようになる。1999年夏に同人サークル「ティングアベル」代表のイトセキミナトが中心となり、同人サークルの法人化という形で設立。イトセキは設立に当たり、同人サークル「サテライン」「ソフトハウス吾」に声をかけ、メンバーを募集する。「サテライン」のメンバー亜佐美はゲーム制作を職業に希望しており、イトセキの誘いに乗る。これにより「サテライン」は解散し、設立に不参加のメンバーは別れる。「ソフトハウス吾」の川波はゲーム制作の下請け会社に勤めた後に、一般企業に勤めていたところ、イトセキの誘いがあり、再びゲーム制作会社に勤めることを決意する。2000年4月に有限会社を設立し、イトセキが社長に就任。第1作『雨あがりの猫たちへ』の制作発表に当たり、2000年12月にブランド名を「HOOK」に変更。2001年6月15日に同作を発売し、5000本売れたことで、2001年9月に向ヶ丘遊園で初の事務所を構えた。メンバーは口だけの社長イトセキに不満を募らせており、イトセキ社長の実質上の解任を行う。しかし、年収の低さ等は解消せず、不満はわだかまっていた。川波と山根以外はほぼ出社しておらず、実質上の解散となっていた。一方、川波は『雨あがりの猫たちへ』の制作で不満を募らせており、これまでと違うメンバーで制作を行いたいと考える。原画家がいなかったため、「ソフトハウス吾」のメンバーの弟であり、雑誌の投稿で名を得ていた宅本うとを原画家に採用する。その際予めメンバーに相談せずに、第2作『天紡ぐ祝詞』の企画を販売元に提出し、了承が出たため制作を開始する。終盤になると亜佐美とkeiが加わり、何とか発売にこぎつける。「天紡ぐ祝詞」の販売目途が立ったところで、第3作「OrangePocket」の制作を始める。会社に籍が残っていたが、依然と出社していなかった武田に原画の担当を頼むが断られる。山根が武田を説得して、「OrangePocket」の制作が開始する。販売元から制作資金を調達後、「天紡ぐ祝詞」の予想販売数が2000本と当初の予想7000本から大きく外れることが発覚する。原因は営業活動をまったく行っていないためだった。実際の売上も振るわず、借金を抱えることになる。『天紡ぐ祝詞』がマスターアップすると、「FILM-SOFTWARE」の第1作『なないろ 恋の天気予報』の手伝いに仙台へ行くことになる。ほぼ完成しているという話だったが、手伝いにいってみると発売4ヶ月前にもかかわらず、1%程しか完成していなかった。そこで急遽「HOOK」スタッフが手伝うことになる。『なないろ 恋の天気予報』のマスターアップ以降も「FILM-SOFTWARE」代表から制作場所だった一戸建ての家を引き続き使用してよいといわれたため、『OrangePocket』の制作を行う。ところが『なないろ 恋の天気予報』は2002年10月25日に販売されたものの、大きなバグが発覚し、「FILM-SOFTWARE」代表は失踪し実質上の解散となる。これにより「FILM-SOFTWARE」のメンバー松下まかこ、らっこ、GTが、『OrangePocket』の制作を手伝うようになる。12月末まで仙台で制作していたが、光熱費を支払っていなかったため、電気・ガスが止まる。仕方なく東京に帰ったところ、イトセキが会社解散を発表する。イトセキは制作には関わっていなかったものの、法的には代表取締役社長であったため、イトセキは会社を解散させることができた。会社が解散になり、個人だと税金の問題や権利関係が複雑になるため、『OrangePocket』の発売元をどうするかが問題になった。個人名義の販売も考えたが、「株式会社ロボプランニング」が名義を貸してくれることになり、「HOOK」は「株式会社ロボプランニング」傘下のブランドとなる。事務所は販売元のビルの一室を借りることで解決する。2003年6月13日に無事発売された『OrangePocket』は「HOOK」設立以来のヒット作となり、そのお金で2003年8月に秋葉原に事務所を構える。松下、らっこは、「FILM-SOFTWARE」の復活は無理と諦め、「HOOK」の正式メンバーとなる。一方で、武田は「HOOK」を退職する。ここで「HOOK」における原画家が武田から松下、らっこに移ることになる。2004年5月28日に第4作『LikeLife』を、2005年7月15日第5作『_summer』を発売。2005年9月に、寝泊まり不可の物件で寝泊まりしていたため秋葉原の事務所を追い出されてしまい、各所を探し回った結果、2006年2月に別の事務所へ移る。2006年8月には、姉妹ブランド「TJR」と「SMEE」を立ち上げる。「株式会社ロボプランニング」傘下だった「HOOK」だったが、2007年の時期は不明だが「株式会社インターアパレル」内の開発チームとして全員転籍し、2007年6月29日第6作『HoneyComing』を発売する。ただ、当時「HOOK」が開発してる秋葉原の開発室の表記では「株式会社ロボプランニング」になっていた。2008年10月10日に第7作『FairlyLife』を発売。2008年10月末をもって現スタッフ全員が「株式会社インターアパレル」を体面上円満に退職。2008年12月2日に「HOOKSOFT」を新たに設立(事実上の独立)し、ホームページも一新した。2010年、『さくらビットマップ』の開発途中で主要原画家のらっこが退社した 。フリーになった後も、作品の原画を担当している。2014年1月31日発売の『MeltyMoment』をもって、らっこは引退となった。“純愛”をテーマにした学園ラブコメディー作品が多い。ブランド代表の亜佐美晶によれば、自身がかつて男子校に通っていたため、「こんな青春を過ごしてみたかった」という願望や妄想から作っている。またユーザーとのつながりを“仁義”と捉えており、ユーザーの嫌がることはせず、できるだけユーザーの意見を取り入れた物作りを心がけている。ちびキャラデザインやサブ原画は、真海が担当している(ゲームEDのクレジットにしか表示されておらずパッケージには書いていない)。『PriministAr』では、サブ原画を蜜キングが担当している。『天紡ぐ祝詞』は、宅本うとが原画を担当している。山根呂兵はさくらビットマップのみサブ原画の一部を担当している(ゲームEDのクレジットには他で一括りになっているが、初回特典さくらビットマップに巡り会うまで~超豪華10周年記念ブック!では書かれている)。
出典:wikipedia
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