大阪環状線(おおさかかんじょうせん)は、大阪府大阪市内の大阪駅 - 西九条駅 - 天王寺駅 - 京橋駅 - 大阪駅間を環状に結ぶ西日本旅客鉄道(JR西日本)の鉄道路線(幹線)である。「大阪環状線」の呼称が指す区間は典拠や目的により、次のように使い分けられている。以下、特記がない限りは 1. に従って記述する。なお、大阪をはじめとする近畿地方においては、当路線を単に「環状線」と呼称する場合も多く、本項でも一部でそのように表記している。大阪市の都心部外周部を環状運転している環状線であり、JR西日本のアーバンネットワークの中心路線として機能している。運行車両の色はバーミリオンオレンジ()、ラインカラーは赤()で、大阪のダイナミズムをイメージしている。路線記号は O 。大阪環状線は、東海道本線と関西鉄道(のちの関西本線)を連絡する東側の城東線、旧淀川の右岸を走る北西側の西成線の一部(元の西成鉄道の桜島線以外の区間)、南側の関西本線と貨物線の一部を、戦後の高度経済成長期に西側の臨海部に新線を造って接続したものである。成立時点ですでに内側に適当な用地がなかったこともあり、環状線内を横断・縦断する地上路線は存在しない。大阪市営地下鉄は従来から地下を横断・縦断しており、地下鉄以外でもJR・私鉄ともに地下区間により横断・縦断路線を建設する計画が何度か立てられ、2009年までにJRではJR東西線、私鉄では阪神なんば線・近鉄難波線・近鉄奈良線の西九条駅 - 鶴橋駅間が実現している。多くの駅で、各方面へのJR・私鉄各線、大阪市営地下鉄の各路線と連絡している。また環状運転を行う列車のほか、途中駅折り返しの区間運転や、特急列車や快速列車をはじめとした他路線への直通運転も多く行われている。ただし、大阪市都心部の堂島・中之島・船場・島之内への移動においては、梅田駅(大阪駅直下) - 難波駅 - 天王寺駅間を直線的に通る大阪市営地下鉄御堂筋線がその主力を担い、大阪環状線や他の市営地下鉄各線、市営バスがそれを補完する形になっている。また、天満橋駅・難波駅・大阪上本町駅など、可能な限り市街地に近接させようと伸びた私鉄各社の大阪側ターミナル駅が内側へ大きく入り込んでいる。これらは、同じように都市中心部で環状運転を行っている東京の山手線との大きな相違点である。路線の大半は高架であるが、天王寺駅付近と大阪城公園駅付近だけは地平を走っている。故にこの2駅だけは地上駅となっている。ただし、天王寺駅は掘割式の地下駅に分類される場合もある。また内回り線の新今宮駅 - 天王寺駅間には大阪環状線で最後まで残った踏切である一ツ家踏切があった。JR線で唯一、全列車が掲載されている紙の時刻表が存在しない路線である(大阪環状線と直通する列車の時刻は全列車掲載されている)。関西圏JR線の各駅停車全列車を収録している唯一の時刻表である交通新聞社西日本支社刊『携帯全国時刻表』でも、大阪環状線は省略されている。ただし、八峰出版がかつて発行していた『KATT 関西圏JR線私鉄線時刻表』では環状線が特集で組まれ、快速も含む全列車の時刻が掲載されたことがある。全線が旅客営業規則の定める大都市近郊区間の「大阪近郊区間」、電車特定区間、およびIC乗車カード「ICOCA」の近畿圏エリアに含まれており、JR西日本近畿統括本部が管轄している。以下に示す記述はすべて内回り(反時計回り、左回り)の沿線概況であり、外回り(時計回り、右回り)の場合は風景の順番が逆で、ホームも大阪駅2番のりば発着となる。大阪駅は最も南側(サウスゲートビルディング寄り)の1番のりばから発車する。大阪駅を出ると、東海道本線(JR神戸線・JR宝塚線)と並走し、やがて東海道本線は右に別れていく。大阪環状線はそのまま直進して福島駅に着く。福島駅付近で東海道本線貨物支線が合流しているが、貨物線は地平線を走り、福島駅を出ると右手から貨物線が地平線から高架橋へ上ってくる。阪神本線を越えると、野田駅である。野田駅からはかつて、大阪環状線の北側から高架を下って直進方向に進んで三菱製紙などに至る専用鉄道と、大阪環状線をくぐって大阪市中央卸売市場本場にあった大阪市場駅へと至る貨物支線(1984年2月1日廃止)が分岐しており、野田駅ホームからはその地上への分岐部の跡が確認できる。現在は、専用鉄道の線路跡には住宅などが建っており当時を偲ばせるものはないが、大阪市場駅への貨物支線跡は遊歩道として整備されている。続く西九条駅は島式2面5線であるが、このうちホームがあるのは内側の3線のみである。桜島線(JRゆめ咲線)・梅田貨物線が分岐しており、大阪方面から桜島線に乗り入れているほか、梅田貨物線を経由して新大阪方面から特急列車も大阪環状線に直通している。西九条駅の真上に位置している阪神なんば線をくぐり、内・外回り線に挟まれて桜島線が地平に降りて西進して別れていく。安治川を渡って大きく左にカーブすると、右手から阪神高速17号西大阪線・国道43号が寄り添い始め、ORC200などの高層ビルが建ち並ぶ弁天町駅に着く。弁天町駅は大阪環状線の最も西部に位置しており、大阪市営地下鉄中央線との接続駅で、大阪ベイエリアの入口にあたる。高架下にはかつて交通科学博物館があり、内回りホームからは保存車両の一部を見ることができた。駅前は中央大通と国道43号が交差して車の交通量も多く、大阪環状線と直角に阪神高速16号大阪港線が交差している。弁天町駅を出て一度左にカーブして東に向くと内回り・外回りの間に空き地があるが、これがかつての境川信号場跡で、大阪臨港線が分岐していた。正面から左手に京セラドーム大阪とガスタンクのモニュメントのある大阪ガスのドームシティ(岩崎地区)が見えると、その最寄り駅である大正駅に着く。大正駅は大阪市営地下鉄長堀鶴見緑地線との連絡駅であるとともに大正区の最北端に位置しており、鉄軌道網がない区内方面には多数の大阪市営バスが運行されており、ラッシュ時には急行バスも運行されている。大正駅の先で南海汐見橋線と交差すると芦原橋駅・今宮駅と続く。今宮駅は関西本線(大和路線)を越えるために内回り線のホームは3階となっているが、外回り線はその必要がないため2階にホームがあり、関西本線の下り線と同一ホームで乗り換えることができる。なお、1997年までは今宮駅には大阪環状線のホームがなく、当時地上にあった関西本線の両側の築堤上を内回り・外回りに分かれて走行していた。新今宮駅は南海本線・高野線、大阪市営地下鉄御堂筋線・堺筋線および、阪堺線との接続駅である。島式2面4線のうち、外側2線を大阪環状線の列車が、内側2線を関西本線および大阪環状線と直通運転する列車が使用している。新今宮駅を出ると、左手に通天閣や大阪市天王寺動物園といった主要ランドマークが立ち並び、天王寺駅に着く。この間、外回り線は高架橋で関西本線を越えるが、2012年6月まで、この交点付近に大阪環状線で最後の踏切となる一ツ家踏切があった。その踏切跡付近から天王寺駅にかけては、1993年に廃止された南海天王寺支線の廃線跡が南側に並行して残っている。天王寺駅は関西本線・阪和線が分岐しているほか、近鉄南大阪線、大阪市営地下鉄御堂筋線・谷町線、阪堺電気軌道上町線との接続駅で、天王寺は南大阪の玄関口であるとともに、ミナミ・キタなどと並ぶ大阪市の都市核の一つである。駅周辺には天王寺ミオやあべのキューズモール、日本一の高さ300mの駅ビルあべのハルカス(あべのハルカス近鉄本店)などの商業施設が多く、JR西日本の駅別乗車人員数では第3位である。天王寺駅を出ると左にカーブして、天王寺駅の北側にある阪和線をくぐって北上する。寺田町駅を出て桃谷駅に向かう間は、マンションの立ち並ぶ天王寺区、下町情緒豊かな生野区を分けるように高架の線路を北上し、鶴橋駅に到着する。近鉄大阪線・奈良線、大阪市営地下鉄千日前線との接続駅で、ホームには近鉄との連絡改札口があり、乗り換え客も非常に多い。駅前は在日コリアンによってつくられたコリア・タウンが中核を担っている。周辺に焼肉店や韓国料理店が多く、駅周辺の賑わいは環境省のかおり風景100選にも選ばれている。鶴橋駅からは引き続き住宅街を北上し、玉造駅を過ぎると今度は京セラドキュメントソリューションズや森下仁丹、サクラクレパスなどの本社建物が立ち並ぶ区域を通り、大阪市営地下鉄中央線、長堀鶴見緑地線との連絡駅、森ノ宮駅に至る。森ノ宮駅を過ぎると左手に大阪城がある大阪城公園、右手に吹田総合車両所森ノ宮支所が見える。線路は高架から地上へ下り大阪城公園駅に着く。さらに進むと同支所の入出区線が右手から接近し、左手に多数のビル群が林立する大阪ビジネスパークを過ぎると京橋駅につく。京橋駅には 片町線(学研都市線)・JR東西線と京阪本線のほか、大阪市営地下鉄長堀鶴見緑地線が乗り入れ、飲食店街や歓楽街も発展していることから、キタ・ミナミに対してヒガシと呼ばれることもある。京橋駅を出ると正面にはかつての淀川電車区・淀川駅に至る連絡線があった空き地が広がるが、大阪環状線は左にカーブする。桜の名所、桜ノ宮駅を過ぎ、旧淀川(大川)を渡って右にカーブすると、阪神高速12号守口線をくぐり大阪環状線の最も北に位置する天満駅と続く。天満駅を出てすぐ天神橋筋商店街を高架で跨ぎ、住宅街やビルの合間をかいくぐっていき、右手から東海道本線(JR京都線)が合流してくると大阪駅に着き、環状線1周となる。新今宮駅 - 天王寺駅間にあった一ツ家踏切は、大阪環状線に最後まで残った踏切で、内回り線(外回り線の同区間は関西本線を乗り越すため高架線になっている)・関西本線(大和路線)の列車のほかに、阪和線との直通列車も通過するため、朝ラッシュ時は1時間で最大54分踏切が閉まる開かずの踏切であった。JR西日本が所有する踏切の中でも線路内に立ち入るトラブルや、人身事故につながるケースもあり、2012年7月1日をもって廃止された。この踏切で人身事故が発生するとその影響が広範囲に波及することから、JR西日本ではその対策として、最晩年には踏切照明灯を青色にするなどの対策を取っていた。鉄道会社で青色の照明灯をいち早く導入したのはJR西日本で、実際に人身事故や踏切事故の抑止に効果があるとされたことから、青色の踏切照明灯は他線区にも導入され、その後他社にも広がっている。沿線では、民家の屋根上を作品展示の場所としたルーフアートが行われている。すべての作品は、車内や駅ホームから見えるところにあり、堺市の芸術家である余田卓也が1994年から設置し始めたもので、2010年まで「家庭のパスワード」として、その家の住人が選んだ4桁の数字がシンボルカラーと共にそれぞれに数字と異なる色が掲げられていた。大阪環状線内相互発着の普通(各駅停車)のほか、桜島線(JRゆめ咲線)に直通する普通、関西本線(大和路線)・阪和線へ直通する快速列車が運転されている。快速列車は、区間快速・直通快速をのぞいて、大阪駅 - 西九条駅 - 天王寺駅間で快速運転が行われている。また、東海道本線(JR京都線)・紀勢本線(きのくに線)方面から特急が、福島駅 - 新今宮駅間を走行している。日中は、全線にわたり1時間あたり12本の運転で、内訳は環状運転の普通・大和路快速・関空快速・紀州路快速がそれぞれ4本である。午前中と夜間は、これにJRゆめ咲線直通の普通(天王寺駅 - 京橋駅 - 大阪駅 - 西九条駅 - 桜島駅間)が4本入るため、天王寺駅 - 大阪駅 - 西九条駅間は1時間あたり16本の運転となる。平日の夜間は大和路快速に代わって区間快速が運転されている。なお、大和路快速/関空快速・紀州路快速は、野田駅・芦原橋駅・今宮駅の3駅を通過する。2009年3月14日のダイヤ改正で、乗務員の睡眠時間確保のために最終列車の大幅な繰り上げが行われ、大阪環状線では最大21分繰り上がった。平日の朝夕ラッシュ時は約3分間隔で運転されており、ほとんどが環状運転列車であるが、天王寺駅 - 京橋駅 - 大阪駅間の区間運転列車(朝ラッシュ時のみ)またはJRゆめ咲線直通列車も運転されている。この時間帯の前後には吹田総合車両所森ノ宮支所への入出区の関係から、京橋駅発着(内回り・外回り)・大阪城公園発(外回りのみ)となる列車がある。夕方ラッシュ時は2015年3月14日の改正で京橋駅発着を天王寺駅発着に延長して区間が統一された。日中は環状運転列車が1時間あたり4本(15分間隔)で運転されている。午前中と夜は、JRゆめ咲線直通列車が天王寺駅 - 京橋駅 - 大阪駅 - 西九条駅 - 桜島駅間で1時間あたり4本、15分間隔で運転されている。時間調整のため、大阪駅・京橋駅・森ノ宮駅・新今宮駅で1 - 2分ほど停車するほか、新今宮駅で快速を待避する列車もあるため、先発先着の平行ダイヤにはなっていない。車両は、201系または103系が使用されているが、ラッシュ時の一部の列車は223系・225系や221系も使用されている。環状運転を行っているため、運転取り扱い上や旅客案内上は「上り・下り」という概念はなく、「外回り・内回り」という表現が用いられている。列車番号は内回りを奇数(大和路線直通列車をのぞく)としているが、奇数だから「下り」という意味ではなく、起点である大阪駅で、東海道本線と列車の方向と列車番号の奇偶数を合わせて内回りを奇数としただけである。列車番号は、引き続き環状運転列車となる列車は1000番台を使用し、天王寺駅で列車番号が変わる。途中駅止まりの列車は2000番台が使用されている。なお、大阪環状線内のみを走行する列車には、JRの客車列車と同様に列車番号の末尾にアルファベットが付かない。JRゆめ咲線に直通する列車は、列車番号の末尾にEがつく。大阪環状線と大和路線(関西本線)を直通する列車として、大和路快速・区間快速が運転されている。大和路快速は大阪環状線内の野田駅・芦原橋駅・今宮駅の3駅を通過するが、区間快速は大阪環状線内は各駅に停車する。日中および土・休日の朝と夜間に、大和路快速が1時間あたり4本(15分間隔)運転されている。朝と平日の夕方・夜間は大和路快速に代わって区間快速が運転されている。関西本線に直通する快速列車は1973年から運転され、1989年3月11日から大和路快速として運転されるようになった。日中時間帯を中心に、天王寺駅 - 京橋駅 - 大阪駅 - 西九条駅 - 天王寺駅 - 奈良駅 - 加茂駅間で運転(JR時刻表では大阪駅発着で案内)されているが、土休日ダイヤでは和歌山線へ直通する列車がある。ラッシュ時間帯には大阪環状線内で各駅に停車する区間快速が運転されていて、京橋駅までの列車も設定されている。また天理教例会開催時や土曜・休日ダイヤには臨時列車として桜井線に直通する列車もある。車両は大和路快速が全列車221系の6・8両編成(多くは8両編成)で、区間快速は221系または、103系・201系の8両編成で運用されている。また、2011年3月11日までの平日ダイヤの夜間には、やまとじライナーが大阪駅 → 加茂駅間で運転されていた。環状線内の停車駅は新今宮駅・天王寺駅であるが、大阪駅では両駅に停車する案内はされていなかった。大阪環状線と阪和線を直通運転する列車として、関空快速・紀州路快速・快速・直通快速が運転されている。関空快速・紀州路快速・快速は大阪環状線内の野田駅・芦原橋駅・今宮駅の3駅を通過し、直通快速は大阪環状線内は各駅に停車する。日中と夜間は1時間あたり関空快速・紀州路快速が4本(15分間隔)運転されている。朝ラッシュ時の外回りは関空快速・紀州路快速に代わって直通快速が運転される。阪和線との直通運転は、1990年3月10日から新大阪発新宮行き(現在は御坊行き)の夜行快速列車が運転されたのが最初で、その後1994年9月4日に関西国際空港が開港したことにより、関西空港線直通列車として京橋駅 - 大阪駅 - 関西空港駅間で関空快速の運転が開始された。当時の環状線内の停車駅は、京橋駅・大阪駅・西九条駅・弁天町駅・新今宮駅・天王寺駅であったが、翌1995年4月20日から1999年5月9日まで、関空快速の停車駅のうち西九条駅・弁天町駅・新今宮駅を通過する「関空特快ウイング」が運転されていた。和歌山方面では新大阪駅発着の快速のみであったが、1999年5月10日から京橋駅 - 日根野駅間で関空快速と併結する紀州路快速の運転を開始し、大阪環状線に乗り入れることとなる。大阪環状線の天王寺駅発着の列車は、2008年3月14日までは早朝・深夜にのみ設定され、内回りでは京橋駅 → 大阪駅間でも快速運転も行っていたが、翌15日のダイヤ改正で天王寺駅の阪和線への連絡線が複線化されたことにより、朝ラッシュ時間帯に大阪環状線へ直通する列車が増発されて直通快速として運転されるようになると、大阪環状線を一周する列車が増加するとともに、関空快速・紀州路快速・快速は大阪駅 - 京橋駅 - 天王寺駅間で各駅に停車するようになった。さらに、2012年3月17日のダイヤ改正では日中のJRゆめ咲線直通列車が削減され、この時間帯の大半の列車が大阪環状線天王寺駅発着に変更されたため、京橋駅で折り返す列車は午前中・夕方の一部列車と深夜時間帯のみになっている。また、2003年10月4日から2006年3月12日までの土曜・休日ダイヤの朝に、鳳駅 - 天王寺駅 - 大阪駅 - 天王寺駅間では直通快速と同じ停車駅で、区間快速が運転されていた。車両は日根野電車区(当時)の103系8両編成が使用されていた。1989年7月22日から、特急「くろしお」が大阪環状線に直通運転されるようになった。直通運転にあたり、1988年に奈良市内で「なら・シルクロード博覧会」が開催された時に、加茂駅・奈良駅 - 湊町駅(現在のJR難波駅)間の快速の一部を新大阪駅発着に変更し、東海道・山陽新幹線からの利便性を高めた。この際、大阪環状線から梅田貨物線へ直通できるように西九条駅構内の配線を変更したが、この配線変更と天王寺駅構内の配線変更により、阪和線・紀勢本線に直通する特急列車の運転が可能になった。1994年9月4日からは、関西空港線直通の特急「はるか」も運転されている。アーバンネットワークエリアでは一部の線区・区間をのぞいて大晦日から元日にかけての終夜運転が実施されているが、ここ最近では環状運転列車およびJRゆめ咲線との直通列車(いずれも普通)を両者合わせて10 - 30分間隔で運転し、大晦日から元日にかけて特別営業を行うユニバーサル・スタジオ・ジャパン (USJ) へのアクセスなどに活用されている。2001年(平成13年)3月の USJ の開業前、つまり2000年(平成12年)12月31日から翌2001年1月1日にかけての終夜運転までは、普通が奈良駅 - 天王寺駅 - 西九条駅 - 大阪駅 - 京橋駅 - 天王寺駅間(いわば大和路快速のような運行形態)の形でおおむね30分間隔で運転されていた(大和路線の項も参照)。福島駅 - 西九条駅間では、梅田貨物線を経由して毎日運転の列車が1日2往復と、特定曜日運休の列車が1日3往復運転されている。全列車が桜島線安治川口駅発着である。かつて弁天町駅 - 大正駅間にあった境川信号場からは大阪臨港線と呼ばれる非電化単線の貨物支線が分岐していた。大阪港からの貨物輸送を担っていたが、大阪臨港線のうち最後まで残っていた境川信号場 - 浪速駅間は、貨物運送の衰退により2004年11月から休止となり、2006年4月1日に廃止された。末期は1日2往復のダイヤが組まれていたが、扱い貨物がないため運休する日も多かった。このほかにも、浪速駅から大阪港駅(地下鉄中央線の大阪港駅とは別)・大阪東港駅および、野田駅から大阪市場駅までの貨物支線を有していたが、いずれも1984年2月1日に廃止されている。かつて大阪駅・西九条駅・新今宮駅・天王寺駅以外の駅において、環状線ホームの発車標に発車時刻・乗車位置を表示する機能がないものが使用されてきたが、2009年10月4日の大阪環状・大和路線運行管理システム導入に伴い、発車時刻・乗車位置などのほかに列車の遅延表示を行う機能を持つ旅客案内情報処理装置 (PIC) 対応の発車標が設置された。ただし、大阪駅の一部の発車標では関西本線・阪和線・関西空港線方面へ直通する快速列車のみ案内されている。なお運行形態上、環状運転から区間運転へ移行する列車や、前述の通り他線区との直通列車が数多くあるため、途中で行先が変わる列車がある。また、これまで島式ホームである野田駅・福島駅・西九条駅・新今宮駅・天王寺駅と過去に島式ホームだった天満駅(現在は単式2本の2面2線ホーム)のみホーム番号が振り当てられていて、相対式ホームにはホーム番号が振り当てられていなかった。大阪駅では環状線ホームだけは「環状内回り」「環状外回り」という名称であり番号ではなかったが、大阪駅改良工事に伴い、のりば番号が割り当てられたのをはじめ、2006年9月ごろから相対式ホームの駅にも順次のりば番号が割り当てられ、2008年3月に京橋駅を最後にすべての駅で完了した。案内アナウンスはPIC導入前は内回りが山本恵子と河本俊美、外回りは片山光男(大阪駅・天王寺駅はそれぞれよしいけいこ、村山明)であったが、導入後は大阪・天王寺を含め全駅で内回りが向山佳比子、外回りは津田英治のものに変更された。各駅の環状線ホームには、車掌扱いの押ボタンスイッチがあり、発車直前に車掌がボタンを押すと、基本的に内回りは女声で、外回りは男声で「ドアが閉まります。ドアが閉まります。ご注意ください」と放送されている。かつてはこのボタンを押すと、発車ベル(1999年 - 2003年の間は発車メロディ)の後に放送されていた。1999年5月に発車メロディと接近メロディ、入線メロディが各駅に順次導入された。これらは、「さわやかでシンプル」「八百八橋と川の流れ」をコンセプトとしたメロディであったが、2003年12月下旬から速達化による停車時間短縮のため、発車メロディの使用が各駅で順次停止された。その後2014年3月から、JR西日本では「大阪環状線改造プロジェクト」の一環として、駅ごとに異なるメロディを導入することになった。導入された駅と曲は下表のとおり。2014年3月15日のダイヤ改正から森ノ宮駅・京橋駅・西九条駅で、5月1日から大阪駅で使用開始し、残りの駅も2015年3月22日に使用開始した。2014年度の路線記号導入にあわせて、2015年3月14日のダイヤ改正から大阪環状線に直通する大和路快速・関空快速・紀州路快速に路線記号を活用した種別表示が行われている。大阪環状線に直通する列車は、赤色のラインカラーに大阪環状線の路線記号 O を表示した種別幕が、関西空港行きの列車は、青色のラインカラーに関西空港線の路線記号 S と飛行機マークを表示した種別幕が、和歌山方面行きの列車は、橙色のラインカラーに阪和線の路線記号 R を表示した種別幕が、奈良方面行きの列車は、緑色のラインカラーに大和路線の路線記号 Q を表示した種別幕が使用されている。平日・休日にかかわらず毎日、始発から終電まで、橙色8両編成の4号車に女性専用車が設定されている。対象車両および乗車位置には、女性専用車の案内表示が設置されている。大阪環状線では2002年7月1日より平日の始発から9時まで、大阪環状線を周回運転する列車に限って試験的に導入し、同年10月1日から本格的に導入した。その後、同年12月2日からは平日の17時から21時までの時間帯についても女性専用車の設定を行った。2011年4月18日からは、平日・休日にかかわらず毎日、始発から終電まで女性専用車が設定されるようになった。1995年では136万人の利用があったが、2012年では108万人に減少している。2014年度の1日の平均通過人員は280,299人である。利用者の多くは京阪本線や片町線(学研都市線)の京橋駅、近鉄奈良線・大阪線の鶴橋駅といった郊外路線と連絡する東側の旧城東線区間に集中する。そのため、東側の大阪駅 - 京橋駅 - 天王寺駅間を折り返す区間列車が環状線成立後も多く設定されており運転密度も高く近隣も商業地・住宅地として開発が進んでいる。他方、西側の大阪駅 - 西九条駅 - 弁天町駅 - 天王寺駅間は運転密度が薄かったことから利用客が伸び悩んでいたが、1973年から関西本線(大和路線)との直通列車、1989年から特急「くろしお」などの阪和線との直通列車、1994年の関西国際空港開港後は関空特急「はるか」、さらに関空・紀州路快速などの快速列車が続々と大阪環状線に乗り入れることで運転密度は増加した。特急や快速列車が優先運行されることから運行本数が増えても快速通過駅は逆に不便なダイヤとなった。また、大和路線や阪和線直通列車が増えた関係で大阪環状線内の駅を天王寺をまたいで利用する場合も不便となった。その一方、快速停車駅、特に地下鉄連絡のある弁天町駅などでは利便性の向上とともに高層ビルやタワーマンションが立ち並ぶようになり沿線風景も変貌していった。さらに京セラドーム大阪や USJ のオープンにより、土曜・休日の利用者は増加傾向にある。2013年3月13日に発表されたJR西日本の中期経営計画において、線区価値の向上、都市の魅力向上の重点線区に選定され、2017年度までの5年間で、駅の改良・美化、車両の新製、高架下・駅周辺の開発などが計画され、2013年12月24日から「大阪環状線改造プロジェクト」がスタートした。このプロジェクトでは、大阪環状線を「行ってみたい」「乗ってみたい」線区に改造し、ハード面とソフト面の取り組みでイメージアップを図り、大阪環状線の利用を拡大し、大阪の活性化を目指す取り組みである。大阪環状線の駅19駅を19の点でシンボル化し、赤(線区カラー)とオレンジ(車両カラー)で表現した円をイメージしたロゴマークと、お客様満足度二重丸を目指すという思いを込めた「みんなの◎に」というキャッチコピーも制定されている。このプロジェクトは、以下の重点施策によって行われている。このほかにも、全駅へ発車メロディが順次導入されたほか、沿線風景や名所・祭事などをモチーフにデザインしたラッピング列車「OSAKA POWER LOOP」が2014年6月1日から運転されている。デザインは、FM802が主催しているアーティスト発掘プロジェクトに参加しているうち8名によるもので、運転期間は3年を予定している。また、同年9月28日には天満音楽祭とコラボレーションした音楽列車「TEN-ON ぐるKAN LIVE」が運転された。このプロジェクトが「323系と大阪環状線改造プロジェクト」として、2016年9月29日に2016年度グッドデザイン賞(移動用機器・設備部門)を受賞している。すべて吹田総合車両所に所属する電車が使用されている。2012年6月1日に車両部門の組織改正が行われ、以下の車両関係の記述については、森ノ宮支所は森ノ宮電車区、奈良支所は奈良電車区に、日根野支所は日根野電車区に、京都支所は京都総合運転所に相当する。また、車内広告を1社で独占して掲出している広告貸切列車として使用されている車両もある。8両編成の広告貸切列車は Loopack(ルーパック)と呼ばれ、過去にはヘッドマークを掲出していた時期もあり、特に毎年10月には8020推進財団が広告主となっている列車について、8020運動の普及啓発を行う「8020号」の特製ヘッドマークが掲出されている。大阪環状線は、東半分は大阪鉄道(初代)により天王寺駅と大阪駅を結ぶ目的で建設された城東線、西側は臨港鉄道として西成鉄道により建設された大阪駅 - 桜島駅間の西成線、天王寺駅から浪速駅(貨物駅)方面までの関西本線貨物支線が元になっている。その関係で、日本国有鉄道(国鉄)時代は境川信号場 - 天王寺駅間は天王寺鉄道管理局の管内で、残りが大阪鉄道管理局の管内とされた。それらの路線の開業当時、城東線は四天王寺と天王寺村の集落および大坂城址と玉造町の集落を迂回するため、市街地から大きく東へ離れてしまい、関西本線も天王寺村・今宮村・木津村の集落を迂回する必要があり、市街地からやや南へ離れてしまった。西成線は比較的市街地に近接していたが、橋が1本もない安治川右岸を通っており、基本的には臨港路線だった。これに対して、現在の私鉄各社に加えて片町線や当の関西本線ですら市街地に近接するターミナルを設置しており、環状線の構想に至るには市街地の拡張を待つ必要があった。大正初期までに開業した私鉄(元私鉄を含む)の大阪側ターミナルは難波駅・湊町駅(現・JR難波駅)・片町駅・汐見橋駅・天王寺西門前駅・阪神梅田駅・天満橋駅・恵美須町駅・大阪上本町駅など、ほとんどが現在の大阪環状線の内側(それらは明治期、市街地の端でもあった)に位置するもので、阪急梅田駅も当初は内側にあった。大正末期に至って城東線・西成線の内側は一部を除いて市街化され(時期を同じくして城東線・西成線が通る地域はすべて大阪市に編入された)、大阪鉄道(2代目、現・近鉄南大阪線)と阪和電気鉄道(現・JR阪和線)は天王寺駅にターミナルを構えるに至った。環状線の構想も戦前には持ち上がったが、安治川は内陸部への水運が盛んで大型船の往来も激しく、架橋については反対運動があり計画が具体的に進むことはなかった。また、東京の山手線が海側に日本橋や銀座といったオフィス街や繁華街を有し、さらには東京駅が立地するのに対して、大阪市の海側の未成区間はまだ開発途上であるうえ、工業地や住宅地、港湾地帯で占められており、十分な利用者数が見込めるのかという疑問も残った。しかし、港区周辺は大阪市電や市バスしか交通機関がなかったため、当時の大阪市長であった中井光次が積極的に鉄道建設に取り組み、1953年に大阪環状線建設促進協議委員会が発足して建設の具体化に向けて大きく前進し、1956年3月20日に大阪市内環状線として起工式が挙行された。しかし、それでも安治川への架橋については反対運動があり、1960年に開業予定が1年遅れることになった。大阪環状線という名称に決定したのは1961年4月3日で、1960年12月26日の国鉄関西支社が調査役会議で本社に上申したものである。大阪環状線となったのは、西九条駅から関西本線の今宮駅 - 浪速駅間に設けられた境川信号場までが開通した1961年である。なおこの時、西成線のうち西九条駅 - 桜島駅間が桜島線として分離されている。当初は西九条駅で線路がつながっていなかったため、桜島駅 - 大阪駅 - 京橋駅 - 天王寺駅 - 西九条駅の逆「の」の字運転を行っていたが、1964年に西九条駅の高架化が完成して線路がつながり、環状運転を開始した。1973年に関西本線(1988年に大和路線の愛称が付く)の快速列車、1989年に阪和線・紀勢本線の特急、1990年に阪和線快速列車の大阪環状線直通運転が開始された。2012年現在では日中の3分の2が大和路線や阪和線直通列車(快速)であり、これらの運行形態は逆「の」の字運転である(大和路快速・関空快速・紀州路快速の各項も参照)。なお、鉄道国有法の公布に伴い主要鉄道の国有化が実施されるまで、城東線は大阪鉄道 - 関西鉄道の保有路線であったが、南海電気鉄道の前身である南海鉄道の列車が、1993年に全廃された南海天王寺支線を経由してここに乗り入れ、大阪駅まで直通していたこともあった。大阪駅から内回り方向に記述する。( ) 内は起点からの営業キロ( ) 内は大阪駅起点・環状線内回り経由の営業キロ
出典:wikipedia
LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。