ナイアガラ・レーベルは、かつて大滝詠一が主宰していたレコードレーベル。2015年現在は坂口修(女婿・音楽評論家)ら大瀧家の親族が継承し、生前の作品の原盤管理を行っている。ナイアガラという名前は、大瀧が尊敬してやまないフィル・スペクターのレコードレーベルが、自分の名前をもじった「フィレス」という名前であったため、それに倣ったものである。大滝=「大きい滝」の代表格であるナイアガラの滝にちなんで付けられた。レコード盤(CD)のレーベル面には"Fussa Tokyo Niagara Records"と表記されている。サブレーベルとして、Yoo-Loo(養老の滝から? 読みは「ユールー」である)、Keg-on(華厳滝から? 読みは「ケグ・オン」)の2つがある。大滝自身、レーベル創設当時に度々ナイアガラの由来を聞かれ、上述の理由を述べた後、「華厳でも養老でも良かったんですけどね」とオチを付けていたとインタビューで語っている。大滝が自身の1stソロ・アルバム『大瀧詠一』の原盤管理に関して、ベルウッド(キングレコード)に疑問を抱いたことが発端。同社ではマスターテープ以外のレコード製作過程のマルチテープの音源が廃棄され、未発表の原盤のほとんどが失われてしまっていた。大滝は自身の作成する原盤すべてを管理・保存することを目的に、1974年にザ・ナイアガラ・エンタープライズという会社を設立。パシフィック音楽出版(PMP、現フジパシフィック音楽出版)も出資し、PMPが制作費を出す代わりに出版権を持つことになった。なお『大瀧詠一』の原盤は、マスターテープ以外はキングレコードには残されておらず、ボーナストラックに収録された楽曲は、大滝が個人的に所有していたものである(『大瀧詠一』ソニー再発盤の解説より)。1975年4月にその会社から発売された初の作品が、シュガー・ベイブのシングル「DOWN TOWN」、およびアルバム『SONGS』である。大滝自身がナイアガラ・レーベルからアルバムを発売するのは、翌月の『NIAGARA MOON』が最初となる。70年代は、大滝にとっては不遇の時代であり、彼の世間での知名度は皆無であった。アルバム『A LONG VACATION』の大ヒットや、松田聖子の「風立ちぬ」などを手掛けたことにより徐々に名が知られ始める。セールス面などで見ると大滝の絶頂期といえる。過去の作品のリマスターを活発に行う。1990年代半ばにプロデューサー業を一時再開し、大滝自身も12年ぶりのシングル「幸せな結末」を発売。2005年からは「ナイアガラ30周年事業」と題して、1970年代から80年代にかけての作品をリマスター盤で再発している。また、2003年には最後の新曲である「恋するふたり」を発売している。しかし2013年12月30日の大滝の死去により、2014年以降は親族が過去作品の原盤管理を行い、リマスタリング・再編集・未発表作品の発掘などを監修する形でレーベルの活動を継続している。
出典:wikipedia
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