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敵国条項

敵国条項(てきこくじょうこう、、または旧敵国条項)は、国際連合憲章(以下「憲章」)の条文のうち、「第二次世界大戦中に連合国の敵国であった国」(枢軸国)に対する措置を規定した第53条および第107条と、敵国について言及している第77条の一部文言を指す。憲章第2章では主権平等の原則をうたっており、第53条第1項前段では地域安全保障機構の強制行動・武力制裁に対し国際連合安全保障理事会(安保理)の許可を取り付けることが必要であるとしている。しかし、第53条第1項後段(安保理の許可の例外規定)は、「第二次世界大戦中に連合国の敵国だった国」が、戦争により確定した事項に反したり、侵略政策(ファシズム、覇権主義)を再現する行動等を起こしたりした場合、国際連合加盟国や地域安全保障機構は安保理の許可がなくとも、当該国に対して軍事的制裁を課すこと(制裁戦争)が容認され、この行為は制止できないとしている。第107条(連合国の敵国に対する加盟国の行動の例外規定)は、第106条とともに「過渡的安全保障」を定めた憲章第17章を構成している。第107条は旧敵国の行動に対して責任を負う政府が戦争後の過渡的期間の間に行った各措置(休戦・降伏・占領などの戦後措置)は、憲章によって無効化されないというものである。第77条は信託統治に関する条文であるが、その対象として「第二次世界戦争の結果として敵国から分離される地域」が挙げられている。「旧敵国」に対する扱いの条文ではないが、「敵国」の語が言及されているために「敵国条項」の一部として扱われている。第53条第2項では「"本項で用いる敵国という語は、第二次世界大戦中にこの憲章のいずれかの署名国の敵国であった国に適用される"」としているが、具体的にどの国がこれに該当するかは明記されていない。また107条の「責任を負う政府」についても同様である。しかしこれらはアメリカ合衆国・イギリス・フランス・ソビエト連邦(継承国はロシア連邦)・中華民国(継承国は中華人民共和国)を含む51の原加盟国、すなわち第二次世界大戦における連合国を指すとする説が有力である。第107条の過渡的期間も明示されておらず、過渡的期間が「責任を負う政府」からの申し立てがない限り永久的に続くという解釈も存在する。これらの条文は、敵国が敵国でなくなる状態について言及しておらず、その措置についてもなんら制限を定義していない。このため「旧敵国を永久に無法者と宣言する効果」があるとされ、旧敵国との紛争については「平和的に解決する義務すら負わされていない」と指摘されている。日本国政府の見解では第二次世界大戦中に憲章のいずれかの署名国の敵国であった国とされており、日本、ドイツ、イタリア、ブルガリア、ハンガリー、ルーマニア、フィンランドがこれに該当すると例示している。タイ王国は連合国と交戦した国であるが、この対象に含まれていない。オーストリアについては、当時ドイツに併合されていたため(アンシュルス)、旧敵国には含まれないという見方が一般的である。 ヨーロッパの枢軸国のうち、連合国に降伏した国はその後枢軸国と交戦、もしくは宣戦布告を行っている。イタリア王国は1943年にドイツ、1945年に日本に宣戦布告している。またブルガリア王国、ルーマニア王国も1944年に相次いでドイツに宣戦、もしくは交戦している。フィンランド共和国はドイツと同盟していないという建前で継続戦争を行っていたが、実質的には枢軸国と見られていた。1944年にはソ連と休戦し、ラップランド戦争などでドイツと交戦している。またハンガリー王国は、休戦発表後間もなくドイツ軍によってクーデターが起こされ、矢十字党の新政府が成立した。このためハンガリー王国政府は、日本とドイツの軍事同盟から脱退せず、1945年5月まで戦闘を続けた。しかしハンガリー王国の大部分はソビエト連邦に占領され、占領地域でハンガリー臨時国民政府が成立した。この政府は日独に宣戦しており、戦後のハンガリー政府の前身となった。ただしこれらの国々は連合国共同宣言への署名を許されず、連合国ではないという扱いであった。イタリア、ルーマニア、ブルガリア、ハンガリー、フィンランドは、1947年に連合国と条約を締結し、領土の割譲や賠償金の支払いを受諾した。これらの国の国際連合加盟は、日本国が加盟する前年(1955年)にまで遅れている。2001年7月発行の外務省パンフレット『日本と国連』によると、イタリア共和国も、日本国やドイツ連邦共和国と共に敵国条項の削除の協議を行っている。タイ王国は日本の進駐後、日泰攻守同盟条約を締結し、1942年1月25日にアメリカとイギリスに対して宣戦布告している。しかし駐アメリカ大使セーニー・プラーモートは連合国への宣戦布告伝達を拒否し、アメリカ政府と協調した自由タイ運動を開始して日本に抵抗した。日本がポツダム宣言受諾を発表した後の1945年8月16日、首相クアン・アパイウォンは攻守同盟条約並びに宣戦布告は日本の軍事力を背景とした強迫によるものであり、憲法にも反しているため無効であるという政令を発表したが、これは事前に日本大使山本熊一の諒解を得た措置であった。1946年1月1日、イギリスとタイはを締結し、戦時中にタイが行った併合措置を無効にすることで合意した。1月5日にアメリカおよびイギリスはタイ王国との国交を回復し、12月には国連加盟が許可されている。このためタイは「旧敵国」扱いを受けていないとされている。ドイツの指導下においてクロアチア独立国やスロバキア第一共和国などが建国され、日本はビルマ国などを建国した。これらの国も連合国に対して宣戦布告・戦闘行為を行っている。しかし連合国はこれらの国家を承認しておらず、現在その領域にある国もそれらの国の継承国として扱われていないため、敵国条項の対象とはなっていない。日本では1950年に締結された中ソ友好同盟相互援助条約(1980年に失効)において日本を名指しで仮想敵国とされたことから批判がおき、国連憲章における敵国条項の撤廃が議論されるようになった。中ソ友好同盟相互援助条約は国連憲章の敵国条項を法的根拠としたものであり、一方で冷戦期のこの時期に国連における中華人民共和国(中国共産党)の議席が存在していなかったことがあり、ソビエトが中華人民共和国に中国代表権が認められないことには絶対反対の立場を堅持したため受け入れられる素地がなかった。1965年頃から敵国条項については、不平等なものであり改正が望ましいが「平和愛好国として国連に加盟いたしました国にとっては、この条項は適用されないものと解釈」し、1970年には国連の出資金が第三位になるにあたって「国連自身も新しい時代に入って二十五年たった今日でございますから、さきの戦争云云、そのときの敵国条項、これなどはもう消えてしかるべき」の認識にあった。1970年の参議院予算委員会で愛知揆一外務大臣は「敵国条項は常識的に日本の立場において現在実害がある規定とはおもわないが、こういう条項はもう排除されてしかるべき」との認識を述べている。これに対し木村禧八郎は「敵国条項がなくならなければ日本の戦後は終わったとはいえない」と対論している。愛知外相は9月に行われた第25回国連総会において「旧敵国条項は、今日全くその存続の意味を失なつた」敵国条項の削除を訴えている。以降も国連改革において、日本政府および外務省は敵国条項の削除を優先事項として求めている。敵国条項は依然、国連憲章上から削除に至っていないが、第53条、第107条は、敵国の全てが国際連合に加盟している現状では、国連憲章制定時と状況が大きく変化したため、事実上死文化した条項と考えられている。一方で1989年の日ソ平和条約締結交渉において、ソ連側が北方領土領有の根拠として第107条を上げたこともあり、影響は皆無でないという指摘がある。ソ連の後継国ロシアのセルゲイ・ラブロフ外務大臣も度々敵国条項を援用している。1991年、イタリアは国連総会において、敵国条項の削除を含む国連制度の改革をもとめた。また第二次世界大戦の終結50周年にあたる1995年には、日本国やドイツ連邦共和国などが国連総会において第53・77・107条を憲章から削除する決議案を提出し、12月11日の総会において賛成多数によって採択されてもいる(賛成155、棄権3(北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)、キューバ、リビア)。そこでは、条項が時代遅れ(obsolete)であることが認識され、削除(deletion)に向けて作業を開始することが決議された。また戦争終結60周年にあたる2005年の国連首脳会合においても削除を決意することが確認されている。国連憲章は一つの国際条約に該当し、この採択が効力を有し正式に改正(この場合は規定の削除)が為されるためには、憲章108条の規定により、総会の構成国の3分の2の多数で採択され、かつ安全保障理事会のすべての常任理事国を含む国際連合加盟国の3分の2によって批准されることが必要であり、これによりすべての国連加盟国に対して効力が発生する。批准手続きの詳細は各国で異なるが、通常、批准には各国政府による最終確認と同意過程を経た上で、これを議会が承認することが必要とされるといった複雑かつ迂遠な手続きを踏まなければならない。こうした状況から、第53条と第107条の削除を決議した国連総会採択から月日を経た今日において、同採択を批准した国は効力発生に必要な数には及ばず、敵国条項は依然として憲章に姿を留めたままとなっている。敵国条項の存在が現代の安全保障体制において現実に与える影響は極めて軽微であると考えられているが、多極化を極めた国連中心主義による外交の限界を提示する材料の一つとしてしばしば論題とされることがある。

出典:wikipedia

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