『4時ですよーだ』(よじですよーだ)は、1987年4月6日から1989年9月29日まで、平日16:00- 17:00(JST)に毎日放送で放送されていたバラエティ番組。毎日放送と吉本興業の共同制作。元々、1986年10月から半年間、月曜と火曜に心斎橋筋2丁目劇場を会場とした『4時です心斎橋!』という番組が放送されていたが、これを帯番組に拡大するに当たり、ダウンタウンを中心とした同劇場で活躍する若手芸人がメインとなる本格的なバラエティ番組を制作することになった。その企画に携わったのが、当時吉本社員の木村政雄と木村の部下で現在・吉本興業社長の大崎洋と現在・毎日放送専務取締役で番組プロデューサーの田中文夫であった。浜田雅功は著書『読め!』にて、最初にこの企画が持ち上がった際に「夕方の4時からの放送なんて誰が見るねんと思った」と述懐しているが、番組は大変な人気を獲得。番組開始当初こそ3%前後と低迷したが、最盛期の平均視聴率は7 - 8%、夏休みに入ると10%を超えるようになった。最高視聴率は、平日夕方4時台の視聴率としては驚異的とも言える16%にまで達した。また、女子高生を中心にファンが公開放送に詰め掛けるなど、ダウンタウンは関西で一気にアイドル的な人気を得るに至った。司会は1987年4月から1989年3月までと同年7月から9月までをダウンタウンが、1989年4月から6月までを今田耕司、東野幸治、石田靖(トリオ名は番組で公募され、「3ばか大将」と名乗っていた)が担当。また1989年4月以降は金曜日の司会に本木雅弘が加わり、フライデースペシャルとして放送された。初期は全曜日生放送であったが、しばらくしてから火曜日と金曜日のみ公開録画に変わった(火曜日放送分は月曜日生放送終了後に収録、金曜日は火曜日に収録)。韓国からの放送もあった。その際オープニングの「みんなのってるかい?」を浜田が韓国語で行った。他部分は日本語。この番組からハイヒール、今田耕司、東野幸治、非常階段らのお笑いタレントが輩出された。また、それまでは全くの無名であったダウンタウンが名実ともに大阪で活躍し、東京進出の足掛けとなった番組である。一時期、毎週日曜日の午前10時30分 - 11時30分の枠で、『週刊ダウンタウンおいしいとこスペシャル』と題した60分の総集編(『笑っていいとも!増刊号』と同じような構成)が放送されていた。ダウンタウンが一時的に司会を降板した理由は、彼らの東京進出の影響であった。当時『森田一義アワー 笑っていいとも!』や『夢で逢えたら』(ともにフジテレビジョン)など、東京の番組でのレギュラー出演が増えつつあり、この状況に対応すべく、番組の進行を今田・東野・石田中心に据えて、ダウンタウンは番組後半の1コーナーのみ出演、また金曜日の放送には出演しないこととなった。ところが、この改革が結果的に視聴率の低下を招いてしまったため、金曜日を除いてすぐにダウンタウンをメイン司会とする体制に戻された。しかし、同年9月限りで番組は終了することとなった。最終回は大阪府吹田市にあったミリカホールから2時間の公開生放送で行われ、華々しいフィナーレを飾った。1999年にはダウンタウンの東京進出10周年を祝い、また2丁目劇場解体前の最後のイベントとして、『ダウンタウンですよーだ』というスペシャル番組が収録・放送された。番組終了から20年以上経過した2010年7月、毎日放送は当番組の第1回放送(明石家さんまがゲストだった)のVTRが存在していないことが判明、開局60周年を機に第1回放送の録画テープ所有者の募集とともに当時の思い出のエピソードも募集した。現在、当番組放送時間帯に放送されている『ちちんぷいぷい』で告知された他、毎日放送のホームページでも掲載されていた。当時の出演者による特番『7時ですよーだ』(しちじですよーだ)として、約11年振りに当時を振り返る番組として、2010年9月2日の19:00 - 20:54(『スパモク!!』枠を差し替える形で)に復活してハイビジョン制作で放送。視聴者から寄せられた第1回放送のVTRが放映された。因みに収録場所は、2丁目劇場は既に解体されているので、baseよしもと(現・NMB48劇場)ではなく毎日放送のMBSスタジオ in USJで公開収録が行われた。番組中のコーナーは日替わりで毎日3 - 4コーナーが設けられ、ほぼ半年おきに約半数のコーナーが洗い替えされ、たくさんのコーナーが生まれては消えていった。〜VTR出演〜※リットン調査団は「4時ですよーだ」時代は単発出演のみで正式にレギュラーとなったことはなかったが、復活特番では2本とも出演している。
出典:wikipedia
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