LINEスタンプ制作代行サービス・LINEスタンプの作り方!

お電話でのお問い合わせ:03-6869-8600

stampfactory大百科事典

東北学院大学

ミッションスクールのひとつであり、リベラルアーツを重視した私立の総合大学である。東北学院大学のルーツは1886年(明治19年)に開校された私塾「仙台神学校」(Sendai Theological Training School)に遡る。キリスト教伝道者の育成を目的にこの学校を興したのは、横浜で受洗し、日本最初のプロテスタント教会である日本基督公会の設立に関わった押川方義と、1885年(明治18年)に来日したアメリカ人ドイツ改革派教会宣教師のW.E.ホーイである。のちに、押川とホーイが本学を離れた後は、ホーイと同じく、フランクリン・アンド・マーシャル大学で学び、ホーイの推薦によって日本伝道の任に就いていたD.B.シュネーダーが指導的立場に立った。1891年(明治24年)には、伝道者育成に加え、普通高等教育を施すようになり、校名を「東北学院」に改称。1949年(昭和24年)に新制大学として発足し、現在は6学部15学科、7研究科を擁する総合大学となり、2011年(平成23年)に創立125周年を迎えた。先に記した、押川、ホーイ、シュネーダーの3名は、「三校祖」と呼ばれており、特にシュネーダーは、その人格的影響力と学校経営の手腕によって、本学の礎を築いた人物であり、50年にわたり本学の発展に尽力した「東北学院中興の祖」である。東北学院の三校祖、押川方義、W.E.ホーイ、D.B.シュネーダーは、東北学院の建学の精神を、宗教改革の「福音主義キリスト教」の信仰に基づく「個人の尊厳の重視と人格の完成」の教育にあるとした。その教育は、聖書の示す神に対する畏敬の念とイエス・キリストにならう隣人への愛の精神を培い、文化の発展と福祉に貢献する人材の育成を目指すものである。東北学院大学学則第1章第1条には、「東北学院大学は、キリスト教による人格教育を基礎として、広く知識を授けるとともに深く専門の学芸を教授研究し、知的、道徳的及び応用的能力を展開させ、もって世界文化の創造と人類の福祉に寄与することを目的とする。」とある。当大学の建学の精神や教育方針を最も的確にしたものとして、旧東北学院中学部校舎の正面入口に掲げられていた「LIFE LIGHT LOVE」という標語の原形である「LIFE, LIGHT AND LOVE FOR THE WORLD」をスクールモットーとした。「命(生命の尊さ)と光(知識・希望)と愛(隣人愛)を世界のために」という意味である。文系5学部、理系1学部、そして国内では数少ない教養学部を擁し、毎日の「大学礼拝」と「キリスト教学」(全学部全学科で必修科目として、1年次及び3年次の科目として履修)の学習による聖書の教えをもとにした、福音主義キリスト教に基づく教養教育(リベラルアーツ)を重視している。開校以来の伝統を継承する文学部総合人文学科(旧基督教学科)は、北関東以北で唯一の神学教育機関であり、日本基督教団の牧師を始めとするキリスト教伝道者・教育関係者を育成している。同学部英文学科も同様に長い歴史を持っており、東北地方の英語教育界に数多くの人材を輩出している。大正から昭和初期にかけ「英語の東北学院」と称され、伝統的に英語教育に力を入れている。創立時に欧米のリベラルアーツ・カレッジをモデルとしていることから、学術研究・学生生活を含め、自由な学風である。北関東以北の私立大学では最大規模であり、宮城県を中心に東日本全域から学生を集めている。2005年(平成17年)、東北大学が青葉山新キャンパスの整備方針を策定した際、同大学の片平キャンパス南地区から電気通信研究所などを移転させて跡地を売却する方針も決めたため、本学は土樋キャンパスに隣接する同地を取得して一体整備する計画を立てた。計画では、2020年(平成32年)度までに泉キャンパスを土樋地区に統合整備する予定。しかし、2011年(平成23年)3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)による被害が多額にのぼった東北大学が、売却益より移転費用の方が上回る見込みの片平キャンパス南地区の売却を断念したと6月2日に報道された。当キャンパスは、北側を南六軒丁通り、東側を猿曳丁通り、南側を土樋通り、西側を米ケ袋鹿の子清水通に囲まれる街区の多くを占める。東北大学片平キャンパスの南側に隣接する文教エリアにあり、周辺は閑静な住宅街である。当地は広瀬川の河岸段丘である仙台中町段丘と同段丘より一段低い仙台下町段丘にまたがっており、両段丘の間の段丘崖の地形に沿って南西方向に凸の弧状の街区を形成している。当キャンパスは、段丘崖上に並ぶ仙台藩上級家臣の3邸宅(西から佐藤家、柴田家、砂金家)跡地を明治になって継いだデフォレスト邸、ブラッドショー邸、明善分寮などの跡地、および、段丘崖下の町人地に広がっている。正門がある南六軒丁通りは、江戸時代にその東端近くで四ツ谷用水支流と交差しており、ここを境に西側が侍屋敷、東側は奥州街道・田町の町域となっていた。住所の「土樋」は段丘崖下の町人地の町名に由来し、江戸時代は仙台弁の影響で「つっとい」と読んだが、現在は共通語・標準語に基いて「つちとい」と読む。キャンパス内には多数の建物が所狭しと建っているが、中でもアメリカ人建築家のJ・H・モーガンが設計したカレッジ・ゴシック様式の2つの建物が目を引く。1つは土樋キャンパスのシンボルであり、正門を入って正面に位置する「本館」である。1925年(大正14年)に旧・専門部校舎として建てられ、現在は法人本部が使用している。2014年に国の登録有形文化財に登録された。もう1つは本館の右手にあり、作家の伊藤整が「日本の大学のチャペルで最も美しい。」と絶賛した「ラーハウザー記念礼拝堂」である。名称にある「ラーハウザー」とは、第2代院長であるシュネーダーが米国にて募金活動を行った際、それに賛同し、献金を寄せた、エラー・ラーハウザー嬢に由来する。1932年(昭和7年)に建てられた当礼拝堂は、約900名を収容でき、堂内にはキリストの昇天を描いた英国製のステンドグラスが正面にあり、その横には、かつて活躍し、形のみを残した米国モーラー社()製のパイプオルガンが、北関東以北で最も古いパイプオルガンとして現存している。現在は、ドイツ(ハンブルク)のルドルフ・フォン・ベッケラート社()による、ネオ・バロックスタイルのパイプオルガンが使用されている。この建物もまた2014年に国の登録有形文化財に登録された。なお、礼拝堂地下室には、東北学院歴史資料館がある。このほかに大学院棟(旧シュネーダー記念東北学院図書館)、デフォレスト館(旧シップル館)も国の登録有形文化財に登録されている。1942年(昭和17年)から多賀城村(当時)に建設開始され稼動した多賀城海軍工廠は、第二次世界大戦後の占領期に進駐軍「キャンプ・ローパー」として使用された。その跡地は広大であり、現在は多賀城駐屯地、東北管区警察学校、多賀城市文化センター、仙台港臨海工業地区などに転用されている。当キャンパスもその跡地の一部に設置されており、進駐軍完全撤退後の1961年(昭和36年)9月25日に東北財務局に払い下げ申請し、1962年(昭和37年)4月1日に多賀城町(当時)に開設した。キャンパス内には稲荷殿古墳という小型の円墳があり、1981年と1982年(昭和56年と57年)に、大学が発掘調査を実施して、7世紀後半の築造と推定した。多賀城駅からキャンパスの方向を見ると、「工学部礼拝堂」の十字架を望見することができる。打放しコンクリートの近代的な礼拝堂には、毎日「大学礼拝」のため、多くの教職員・学生が集まり、祈りをささげている。礼拝堂の手前には、工学専門図書を収集している「多賀城キャンパス図書館(工学部分館)」と、トレーニングルームや武道場を設けている「工学部体育館」がある。礼拝堂を中心に霊育・知育・体育の教育施設が設置されており東北学院の教育の特徴を総合的にあらわしている。当キャンパス礼拝堂には、ドイツ(ベルリン)のカール・シュッケ社()製のパイプオルガンが設置されている。近年は、隣接している国有地の取得や、老朽化している施設の解体整理を進めており、「工学基礎教育センター」の開設など、教育施設の拡大充実を図っている。なお、同キャンパス内には東北学院幼稚園がある。当キャンパスは1965年(昭和40年)に泉町(当時)において用地取得され、1972年(昭和47年)に東北学院榴ヶ岡高等学校が現榴岡公園の地から移転した。1986年(昭和61年)の東北学院100周年にあわせ更に造成され、東北学院総合運動場として利用された(現在は東北学院陸上競技場などがある)。泉市(当時)が仙台市に合併された1988年(昭和63年)に文系学部の教養部が当地に移転し、仙台市が政令指定都市に移行した翌1989年(平成元年)に教養学部が新設された。約10万坪の広さと最新の教育施設を誇る、豊かな自然に囲まれた最も恵まれたキャンパスである。また、1200名を収容できる当キャンパス礼拝堂には、フランスのアルフレッド・ケルン社()によるフレンチ・クラシカルオルガンが設置されている。

出典:wikipedia

LINEスタンプ制作に興味がある場合は、
下記よりスタンプファクトリーのホームページをご覧ください。