青木 重正(あおき しげまさ)は、江戸時代前期の大名。摂津麻田藩の第3代藩主。重正は初名で、諱は重成。寛永2年(1625年)、駿府藩主徳川忠長の家老朝倉宣親の長男として生まれた。初め外祖父の酒井忠勝に養われる。2代麻田藩主青木重兼には嗣子がなかった。重兼の室は、酒井忠利の養女であり、忠利の長男忠勝の三男可一を養嗣子として迎えたが、これが寛永21年(1644年)6月に17才で早世した。そこで忠勝の外孫である重正が婿養子として迎えられ、承応元年(1652年)、重兼の娘(後の慶雲院)を妻とした。寛文12年(1672年)12月9日、重兼の隠居により跡を継いだ。同月28日、従五位下甲斐守に叙任された。元禄3年(1690年)5月18日、大番頭に任じられた。元禄5年(1692年)1月11日、御留守居に転じ、さらには3月1日、御側衆となるなど、徳川綱吉から厚い信任を受けた。元禄6年(1693年)8月15日に6亡くなる直前の9日に、綱吉から侍医の森雲仙、曾谷長順、杉山検校の3名を特に派遣されて診療されていることが、それを示していると言える。享年69。白金の瑞聖寺に葬られた。家督は正室の子で次男の重矩が継いだ。
出典:wikipedia
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