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国鉄C12形蒸気機関車

国鉄C12形蒸気機関車(こくてつC12がたじょうききかんしゃ)は、日本国有鉄道(国鉄)の前身である鉄道省が製造した過熱式のタンク式蒸気機関車である。軸重制限のある簡易線規格路線用の小型軽量な機関車として設計され、本形式からテンダー式のC56形が派生した。昭和時代に入り主要幹線の整備が一通り終わると、大きな需要の見込めない閑散支線の建設が進められた。しかし折から経済恐慌が深刻化し、建設費を安く抑えるため簡易線が数多く建設された。このような路線には軸重が軽く、運転コストの安い新型の小型機関車が要求されたため、C12形が製造されることになった。鉄道省(国鉄)向けとしては1932年(昭和7年)から1940年(昭和15年)まで、および1947年(昭和22年)に282両が製造されている。製造メーカーは川崎車輛、汽車製造会社、日立製作所、日本車輌製造、三菱重工業の5社である。火室は深く設計され焚火しやすく、38号機以降は、アーチ管を増設して伝熱面積を増加し蒸発量を増やす改良が行なわれている。このほか鉄道省以外に納入され、戦時買収などにより鉄道省に引き継がれ、C12形に編入された同形車が11両 (C12 265 - 275) あるため、ラストナンバーはC12 293となっている。なお、基本的にはデフレクターを装備していないが、C11形と同型のデフレクターを装備した車両も少数だが存在した。製造年次ごとの番号と両数は次のとおりである。製造会社別の番号と両数は次のとおりである。小型軽量で軸重が軽いC12形は、国鉄規格の車幅が特認を要するものの地方私鉄や産業用鉄道向けにも最適で、同形機が外地を含む全国各地の私鉄や専用鉄道などに37両が製造・供給されている。このうち11両は、台湾総督府鉄道および樺太庁鉄道向けに製造されたものである。鉄道省向けの製造は1940年で一段落しているが、民間向けの製造はそれ以後に行なわれたものが多い。これらのうち、樺太庁鉄道に納入された4両は南樺太の内地化により、播丹鉄道(現在の加古川線)に納入された1両、相模鉄道(現在の相模線部分)に納入された2両、小倉鉄道(現在の日田彦山線)に納入された4両は戦時買収により鉄道省籍に編入され、国鉄の番号を与えられた。なお、国鉄籍のC12形にはお召し列車牽引の記録がないが、島原鉄道の4 (→C1205) は購入後間もない1949年5月25日に牽引にあたっている。C12形はC56形とともに軽量小型を買われ、戦時中の作戦に用いるため軍部の徴発を受けることになった。1938年(昭和13年)から1939年(昭和14年)にかけて60両が1m軌間に改造され、北支(中国大陸)の華北交通へと送られている。中華人民共和国成立後は、プレ51形、その後PL51形と改称され、そのうち一部はのちにベトナムに送られ、PL131型として専用線で健在である。1943年(昭和18年)には2両が供出され、1067mm軌間のままジャワに送られている。戦後はインドネシア国鉄に編入され、C32形 (C3201, C3202) となって、1970年代まで使用された。本形式の特別廃車(供出)の状況は次のとおりである。樺太庁鉄道に納入された同型機1両 (C12 1) は1943年(昭和18年)4月1日、樺太庁鉄道が鉄道省に編入されたためC12 265となり、さらに建設中の恵須取鉄道(未成線)向けに3両の増備車 (C12 2 - 4) が製作されていたが、こちらは編入後に落成し、直接鉄道省籍 (C12 271 - 273) となった。このほかにも、民間工場の専用線用に2両が製造されている。これらは、1945年(昭和20年)、日本が太平洋戦争に敗戦するとともにソビエト連邦に接収され、以後の消息は明らかでない。日本が領有していた台湾の台湾総督府鉄道向けに7両が日本車輌製造で製造され、同じくC12形 (C12 1 - 7) として使用された。台湾のC12形には日本のC56形と同様のデフレクターが装備され、日本のC12形と印象が異なっている。。太平洋戦争後は台湾鉄路管理局が引き継ぎ、CK120形 (CK121 - CK127) と改称され、引き続き支線区で使用されていたが、1979年6月の西部幹線電化に伴い廃車され、CK124のみ新北投線の新北投駅で静態保存されたが、他の6両は解体された。CK124は、1988年の新北投線廃止と台北捷運淡水線の工事開始に伴い、北投駅に隣接していた職員訓練施設に移送の上引き続き展示されたが、2001年に動態復元が決定し、台北工場で整備ののち、同年6月9日に復活運転を果たした。現在は、彰化扇形庫を基地に、不定期ながら台湾各地で運転されている。海南島にあった日本窒素の工場の専用鉄道に納入された2両があったが、こちらも太平洋戦争後の消息は不明である。同じく外地に渡ったC56形については戦後の情報も多く、現在でもタイで数多く保存され、日本に戻ってきたものもあるのに対して、C12形については日本に戻ってきた例はなく、現地での情報もほとんどない。戦後も国内に残った残存機、および戦後に補充製造された新製機は全国各地の比較的短距離の閑散線区、あるいは入換用として長く使用された。気動車の進出に伴い1959年から廃車が始まったが、貨物輸送のある簡易線などの需要もあり、後継機の開発の遅れから蒸気機関車の末期まで使用された。本形式の払下げは、次の5両のみである。SL末期まで使用された形式にもかかわらず、梅小路蒸気機関車館には収蔵されなかったが、各地で静態保存されており、そのうちの2両が動態復元された。現在、動態保存としての運転が行われているのは1両のみである。現在、日本国内では真岡鐵道にC12 66が動態で保存されている。C12 66は1994年に復元されたもので、福島県川俣町の国鉄川俣線(廃線)岩代川俣駅跡地で静態保存されていたものを復活させた。「SLもおか」のメイン牽引機だが、1998年12月に北海道の留萌本線にて走行実績を持つ。これは、NHKの連続テレビ小説『すずらん』の撮影のためのもので、同時に貸し出された高崎車両センターの旧型客車2両と共に、雪深い北の大地を走り抜けた。JR東日本乗り入れ用のATS-SNを装備しているが、上記の北海道以外でのJR線での運転は今のところ実績が無い。ただし、例外として定期検査を受け持つ大宮総合車両センターにおいて、例年5月に開催されるJRおおみや鉄道ふれあいフェアのイベントにも登場している。この際、2014年の開催では大宮工場時代を含め操業120周年を迎えたことから、検査終了間際の時に走行する試験線を利用して高崎車両センターの旧型客車3両及び折り返し用のDE10形を連結して体験乗車を行っている。このほか、台湾にも同形のCK124が動態で残っており、2008年4月、台湾北部の平渓線で観光列車として月一回の運行が開始された。また、静態保存機の中でも、鳥取県の若桜鉄道若桜駅に現在置かれているC12 167については、駅構内の専用線路での自力走行を可能にするべく整備が行われ、現在は、コンプレッサーによる圧縮空気を動力源として、展示線にて運転が行われている。将来的に火を入れて、本来の動態保存機としての復元に向けて、復元にかかる費用の募金活動が行われている。同様に明智駅展示のC12 244についても、リニア中央新幹線の開業に合わせて営業運転を行うべく、復元する計画があり、2015年8月10日には明智駅構内を圧縮空気を使用してデモ走行を行った。大井川鐵道でかつてC12 164が動態保存されていた。詳細は以下のとおり。小樽市総合博物館をはじめ、全国各地に静態保存機がある。

出典:wikipedia

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