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京橋駅 (大阪府)

京橋駅(きょうばしえき)は、大阪府大阪市城東区・都島区にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)・京阪電気鉄道・大阪市営地下鉄の駅である。駅番号は京阪電気鉄道はKH04、大阪市営地下鉄はN22。大阪府の繁華街にある乗換駅としては、キタ(大阪駅・梅田駅周辺)やミナミ(難波駅周辺)および天王寺(天王寺駅・大阪阿部野橋駅周辺)に立地する駅ほどの規模ではないが、一日あたり約59万人(2006年)の乗降客の利用があり、大阪市北東部の玄関口となっている。当駅のアクセントは東京の京橋とは違い、「きょうばし」と尻下がりになっている。駅名の由来は、大川との合流地点近くの大阪城北側の寝屋川に架かる「京橋」であるが、この橋は当駅よりも天満橋駅の近くに存在する。JR西日本の各線(後述)、京阪電気鉄道の京阪本線、大阪市交通局の大阪市営地下鉄長堀鶴見緑地線の3社局の路線が乗り入れている。地下鉄の駅には「N22」の駅番号が設定されている。JR西日本の駅に乗り入れている路線は、当駅の所属線である大阪環状線に、片町線(愛称「学研都市線」)とJR東西線を加えた3路線である。1997年のJR東西線開業と引き換えに片町線は当駅 - 片町駅間が廃止されて当駅が終点となり、一部列車を除いて当駅起点のJR東西線と相互直通運転を行う現在の形態となった。また、特定都区市内制度における「大阪市内」エリアに属している。JRの駅はICOCA、京阪と地下鉄の駅はPiTaPaおよび「スルッとKANSAI」対応各種カードの利用エリアとなっている。以下に詳述するようにJR北口と京阪中央口は至近であり、京阪中央口からはコムズガーデンを介して地下鉄駅へつながる地下道があるため、3社の駅は雨天でもぬれずに相互に行き来することができる。当駅は駅長が配置された直営駅であり、管理駅として大阪環状線の大阪城公園駅・桜ノ宮駅・天満駅の3駅を管轄している。当駅がある地に鉄道が開通したのは、1895年8月に浪速鉄道が現在の片町線となる片町駅 - 四条畷駅間を開業してからであるが、開業当時は駅が設置されていなかった。当駅は、同年10月に大阪鉄道 (初代) が現在の大阪環状線となる天王寺駅 - 大阪駅(当時は梅田駅)間の鉄道を開業させた際に浪速鉄道との交差地点に設けられたのが始まりである。両路線とも、関西鉄道を経て国有化された後、1912年、片町線片町駅に京橋口乗降場が設けられ、城東線(現在の大阪環状線)の京橋駅と連絡するようになる。これが翌1913年に当駅の片町線乗り場となった。長らく片町線の終点で当駅の西隣にあった片町駅は、1997年のJR東西線の開業に伴い廃止され、以来当駅が片町線の終点駅・JR東西線の起点駅となった。南口改札口の駅前には、終戦の前日にあたる1945年8月14日の京橋駅空襲により駅構内で犠牲となった人を弔う慰霊碑と納経塔がある。空襲時、城東線(現在の大阪環状線)の上下2列車の乗客が片町線ホームに避難していたが、1トン爆弾が落下して爆発し、避難していた乗客らが爆弾の直撃を受けた。1947年(昭和22年)8月14日に慰霊碑が建立され、1955年(昭和30年)以来、毎年8月14日には慰霊祭が営まれている。他に大阪市内で空襲慰霊碑のある駅としては、1945年2月14日に空襲被害を受けた阪和線美章園駅(阿倍野区)がある。日本で空襲が一番遅かったのは当駅、岩国駅、光市、伊勢崎、小田原、土崎である。相対式ホーム2面2線の高架ホームに大阪環状線の列車が、単式ホーム2面2線の地平ホームに片町線(学研都市線)とJR東西線の列車が停車する。一部の関空快速・紀州路快速は当駅で折り返す。改札口は、大阪環状線ホームの北側にある北口、JR東西線ホームに接する南口、片町線(学研都市線)・JR東西線ホームの西側にある西口の3か所がある。最も大きな改札口は北口だが、駅長室のある駅本屋は南口側にある。西口はイオン京橋店(旧:ダイエー京橋店)に接続しており、西口から京阪京橋駅中央口方面へ行く場合はイオン京橋店内の自由通路を通ることになる。また、大阪ビジネスパーク方面へのペデストリアンデッキがあり、傘をささずに主要なビルや京阪京橋駅片町口まで行けるようになっている。また北口は京阪京橋駅中央口と向かい合っており、かつ幅の広い京阪のガード下を通ることになるため、雨の日でも濡れずに互いの駅舎を行き来できる。西口改札は深夜は無人となり、駅員の対応が必要なときは改札口コールシステムによるインターホン対応となる。みどりの窓口は北口にある。かつては西口にも窓口が存在したが、2014年1月31日をもって営業を終了し2月1日よりみどりの券売機プラスが稼動した。片町線ホームは1955年に複線化された当時島式ホーム1面2線だったが、1970年の南口の設置により南口と大阪環状線ホームに直結する1番のりば(設置当初は片町行きホーム、JR東西線開業後は同線方面ホーム)が設けられたため、単式ホームに変更された。また、北口はかつて大阪環状線の東側にのみ向いており、4番乗り場への階段の上り口西側の待合室や便所、コインロッカー、吉野家などがある広場のところに改札口があった。吉野家のある辺りが出札口で入口はこの広場の東向きに、出口はこの広場の北に面してあった。西側(京阪京橋駅寄り)との間は、高架複々線化によって移設された京阪本線の旧線跡の大阪環状線の線路をくぐる通路でつながっているだけだった。もとは京阪の京橋駅も大阪環状線の東側にあったためだが、京阪の駅が高架化で西側に移転後も付近の商店に配慮して西側には入口を設けなかったといわれる。元々築堤であった現在の北口の1980年代以降の改修で西側にも通じる様になり、1990年の国際花と緑の博覧会(花の万博)開催に際して現在の姿になった。国鉄型駅名標だった当時、ローマ字表記の下に所在地名の表記がなかったが、これは正確には城東区新喜多に位置してはいるものの、実際には大阪環状線ホームが都島区にまたがっているためである。駅構内にはエレベーターが少なく、バリアフリーの観点から批判が強い。大阪環状線ホームは、当初のりば番号が与えられていなかったが、2008年3月に内回りが3番のりば、外回りが4番のりばとなった。この駅の付番をもって環状線内のすべての駅にのりば番号が設定された。2008年3月15日以降、当駅からの奈良方面行きの列車は、従来の3番のりば(内回り)から大阪駅経由の大和路快速・区間快速が、2番のりばから松井山手駅・木津駅経由に、2番のりばからのおおさか東線経由で直通快速を加えた3パターンがある。ただし、日中は大阪駅経由の列車のみであり、2番のりばから奈良方面行きは直通快速4本が夕ラッシュ時のみ、松井山手駅・木津駅経由は夜間の2本のみである。「大阪環状線改造プロジェクト」の一環として、2014年3月15日から大阪環状線ホームの発車メロディに「大阪うまいもんの歌」を導入している。この曲はアメリカ民謡「ゆかいな牧場」の替え歌で、飲食店や歓楽街がある当駅周辺の「うまい」「賑やかさ」といったイメージにちなんでいる。日中時間帯は1時間あたり環状運転の普通/大和路快速/関空・紀州路快速がそれぞれ4本停車する。午前中はこれに加えてJRゆめ咲線(桜島線)直通普通が4本停車する。朝晩は本数が多くなる。当駅折り返しの関空・紀州路快速は乗客を降ろしたあと、天王寺寄りにある引き上げ線で折り返す(一部は森ノ宮電車区に入区している)。日中時間帯は1時間あたり区間快速と普通電車がそれぞれ4本の計8本が停車する。朝晩は当駅始発・終着を含めて本数が多くなる。学研都市線の当駅折り返しの列車は1番のりばに停車後、地上の引き上げ線に入り、2番のりば(四条畷方面行き)に移る。また、夜間時間帯に1本、当駅留置運用がある。また、通常の当駅折り返し列車は全て学研都市線方面へ引き返すが、逆にJR東西線方面への引き返しも可能となっており、おおさか東線の延伸工事に伴う線路切り替え工事や、事故による線路支障等で当駅~放出駅間が運行できない状況時には、上記の逆の順序でJR東西線方面への当駅折り返し列車が運行される。京阪は開業当初、当駅を開業時の位置の地名(東成郡鯰江村大字蒲生)から「蒲生駅」と名付けた。これとは別に、本来の京橋近くに初代「京橋駅」を設置していたが、隣接する天満橋駅と野田橋駅(片町駅と後に改称し、2代目の「京橋駅」に統合して廃止)に近すぎたため開業後、約8ヵ月で廃止されている。その後、1932年に北区(当時)東野田町に移転し、1949年に国鉄への乗り換え駅であることを明確にするため「京橋駅」に改称した。1910年、京阪電気鉄道が天満橋駅 - 五条駅(現在の清水五条駅)間を開業させた際に蒲生駅として設けられたが、当初は城東区蒲生1丁目付近にあった。1932年に旧蒲生信号所 - 守口駅間複々線化に関連して、現在のグランシャトーの場所に移転し、2面2線の相対式ホームが設置された。京都行ホーム北側には、京阪スーパーマーケット京橋店が隣接して設けられていた。列車長の拡大につれてホーム長も京都方に延長された(淀屋橋方ホーム端に踏切が存在したため)が、1969年の再移転直前には京都方ホーム端が急カーブと上り勾配をミックスした形状になっており、列車運転上のネックになっていた。なお、高架駅移転直前の旧線路は寝屋川橋梁から上り2線位置を東に進み、東野田町で現大阪市営地下鉄鶴見緑地線が通る道路へと北東方向に別れ、現京橋公園北東端で東方向に急カーブして、グランシャトー北側道路に進入していた。1969年に現在地へ移転して高架駅になったが、移転当初は上りは2番線のみ、下りは4番線のみ使用されていた。1970年の天満橋駅 - 旧蒲生信号所間複々線化完成によって4線使用されるようになり、同時に駅ビル内に京阪ショッピングモール(現、京阪モール)が開業した。駅ビルには、2002年10月のリニューアル当時「エスポート京橋」の愛称が付け加えられていたが、現在は使用されていない。島式ホーム2面4線を持つ高架駅。駅ビルに内包されている。改札口はJR京橋駅寄りの1階にある中央口、淀屋橋寄りの2階にある片町口、京阪モール3階にある京阪モール連絡口(営業時間内のみ)の3ヶ所である。さらに片町口側の1階にはエレベーター専用改札口(ここのみきっぷうりばはない)も設けられている。ホームは4階にあり、中央口からは出町柳方面行ホームへ直結するエスカレーターが設けられている。片町口からは大阪ビジネスパーク、JR京橋駅西口に通じるペデストリアンデッキがあり、雨の日でも濡れずに行き来できる。当駅のデザインテーマは所在する都島区の区花にちなんで「桜」である。コンコースに桜のタイル壁画が飾られている。長堀鶴見緑地線の京橋駅 - 門真南駅間の各駅は花・木がデザインテーマに選ばれている。ホームなどは、1996年以降に開業した駅と比べれば、比較的簡素なデザインとなっている。島式ホーム1面2線を持つ地下駅。大正方に両渡り線がある。改札口は1か所のみ。ホームは地下3階で、地下2階にコンコースがあり、そのコンコースが地下街のコムズガーデンに直結している。なお、当駅前後の長堀鶴見緑地線は、京阪本線がかつて走っていた跡地の道路の下を通っている。当駅はドーム前千代崎管区駅に所属しており、同副管区駅長が、当駅、蒲生四丁目駅、大阪ビジネスパーク駅を管轄する。PiTaPa、スルッとKANSAI対応各種カードの利用が可能である(相互利用が可能なIC乗車券はPiTaPaの項を参照)。各年度の1日乗車・乗降人員数は下表のとおり。江戸時代には京街道からの大坂の玄関口として賑わった場所である。駅周辺(特に東側)は歓楽街になっており、キタ・ミナミに対して「ヒガシ」とも呼ばれている。当駅周辺は大阪市内有数のバスターミナルであり、大阪市バス・近鉄バスの路線が乗り入れている。また以前は京阪バスの路線も乗り入れていた。但し、高速バスや空港連絡バスは乗り入れていない。

出典:wikipedia

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