軍艦旗(ぐんかんき)とは、海軍に所属する艦船であることを表章する為に掲揚する旗章である。政府公船及び商船等は軍艦旗を掲揚しない。これによって、軍艦旗を掲げる船舶は、戦時国際法や国際慣習法にある軍艦としての特権を受ける。陸軍や空軍などにおける軍旗(連隊旗)に相当するが、国際慣習法上の扱いや位置付けは異なる。軍艦旗は戦闘時には戦闘旗として用いられる場合もある。また船の国籍を示す際に艦首部分に掲げる艦首旗・国籍旗(かんしゅき・こくせききに)、軍艦旗とは別のデザインが定められている場合もある。1889年(明治22年)10月7日、海軍旗章条例により帝国海軍の軍艦旗として十六条旭日旗を意匠とする旗が定められた(大日本帝国海軍の旗章も参照)。なお、旭日旗(十六条旭日旗)自体は軍艦旗制定から遡ること19年前の1870年6月13日(明治3年5月15日)、帝国陸軍が太政官布告第355号において「陸軍御国旗(1879年(明治12年)、「軍旗」に改称)」として、日本史上初めてこれを考案し定めていたものである。そのため帝国海軍の軍艦旗は、その遥か以前に考案・制定されていた帝国陸軍の軍旗(陸軍御国旗)を模倣したものにすぎない(旭日旗を参照)。しかしながら帝国陸軍の軍旗をそのままコピーするのではなく、旭日の日章位置が中央の軍旗に対して軍艦旗は旗竿側に寄るものとした。以降十六条旭日旗は日本の軍艦旗として用いられたが、太平洋戦争敗戦によるポツダム宣言受諾後の海軍解体で軍艦旗は消滅する。その後、警備隊の創設に伴い、1952年(昭和27年)に「警備隊旗」(中央に赤色の桜花を配し、地は、青色の横縞7本及び同幅の白色横縞9本を描いたもの)が制定された。その後、議論を経て、1954年(昭和29年)6月に自衛隊法施行令(昭和29年政令第179号)により帝国海軍と同じ規格の「自衛艦旗」が制定された。自衛艦旗は自衛艦旗授与式により内閣総理大臣から交付され、除籍又は支援船に区分変更される際に返納されることとなっている。軍艦旗は、このように帝国陸軍の軍旗(連隊旗)と同様に考えられている側面もあるが、陸上で部隊指揮官や司令部(特に連隊長や連帯本部)の所在地を示す軍旗とは異なり、国際法上の船舶の国籍を表示する機能が重要であることから扱いは異なっていた。帝国陸軍の軍旗は連隊の象徴として編成時に陸海軍の大元帥たる天皇から親授されるものであるため、再交付は原則として許されない。損傷したり老朽化しても修理をしないことが多いどころか、むしろ連隊の軍旗が酷く損傷していればいるほど、その連隊が数多の激戦を経験して積み上げてきた確固たる伝統の証として、内外ともに広く認証及び珍重されていた。そのため房だけになり、旗自体の識別が困難であり標識の体裁をなしていないものも珍しくなかった。これに対して軍艦旗は常時、風波に晒されるため損傷が激しく、あくまで消耗品として割り切られており艦内には常に複数枚の予備が備えられていた(破損した軍艦旗は軍需部で交換された)。これは常に鮮明な旗が掲げられることにより、海上でも不備なく国籍確認が行われることが重視されていたからである。しかしながらシンボルとしての軍艦旗は軍旗程ではなくとも尊崇される存在であり、艦艇の総員退艦・沈没時には軍艦旗降下を経て回収することが求められていた(「瑞鶴」等)。帝国海軍では、長期出動で補充が出来なくなった場合、補修用生地(アルパカ)で信号員が縫製した。この作業のため、信号兵は航海学校教程で、軍艦旗および信号旗等の制作・補修の教練を受けていた。さらに高速で動き回る駆逐艦や潜航・浮上を繰り返す潜水艦の場合は消耗が激しいため、降雨時は手製軍艦旗で代用している。通常、軍艦旗の管理は、国旗や信号旗類と共に信号部が担当。公式使用時のみ、御写真の棒持とともに内務科が担当する。軍艦旗には6種類(一幅半、二幅、三幅、四幅、六幅、八幅。一幅36cm)あり、艦種や式典によって掲揚する大きさが指定されていた。なお帝国海軍の「戦闘旗」とは、各艦艇が戦闘の目的で出動する時、後部マストに掲揚した軍艦旗をさす。また、これとは別に艦首旗(首艦旗・国籍旗)として日章旗(国旗に同じ)を艦首に、港に停泊中のみ掲揚する。海上自衛隊では、主要艦船部隊以外の部隊(総監部、航空基地など)は単に「国旗」と称している。陸上自衛隊の自衛隊旗(八条旭日旗)と違い、海上自衛隊の自衛艦旗に関しては「国旗」と同様の扱いとされ、式典等で観閲台の前を通る際は観閲官(観閲官の指揮官旗含む)は自衛艦旗に対して敬礼を行う。台湾海軍の軍艦旗は国旗(青天白日満地紅旗)と同一である。イギリス海軍の軍艦旗は、イングランドの国旗をベースとしたホワイト・エンサインであり、白地を赤十字で四分しカントンに国旗(ユニオンジャック)を配している。なお、青地(ブルー・エンサイン)であれば海軍予備隊旗あるいは政府船旗(もしくは一定の条件を満たした民間船旗)であり、赤地(レッド・エンサイン)であれば一般の商船旗である。艦首旗は国旗と同一。このホワイト・エンサイン型の軍艦旗は、英国植民地であった諸国の海軍の軍艦旗に広く見られる。ロシアでは17世紀末、ピョートル大帝のデザインによる白地に青十字の聖アンドレイ旗が海軍の軍艦旗に定められた。ソ連が崩壊してロシア連邦になってから、旧国旗とともに帝政ロシア時代の軍艦旗(聖アンドレイ十字)も復活した。最近のアメリカの「ティーパーティー運動」では、海軍旗(ネイビー・ジャック)と同じ、ガラガラヘビに「Don't tread on me」「俺(の自由)を踏み躙るな」のモットーを掲げた旗をシンボルとしている。そちらは蛇はとぐろを巻く図案で黄色地であり、同じ歴史をもつ旗だが、一般にはガズデン旗と呼ばれる。一方で海軍旗には、国籍の識別という本来の目的もあるため紅白のストライプである。ガズデン旗もアメリカ海兵隊などで使われているほか、アメリカ陸軍のACUワッペンにも同じ図案があり、アメリカではよく見られる愛国のシンボルである。ドイツの海軍旗は政治体制の変動による国旗の変遷に従って変化しているが、全体または一部に国旗と同一の色(黒・赤・金又は黒・白・赤)を配し、中央やや旗竿寄りに国を象徴する紋章・意匠を配するパターンは概ね共通していた。ドイツ連邦共和国の海軍の軍艦旗は、スカンジナビア地域・バルト海沿岸諸国で伝統的に使われてきた燕尾形のものになった。スカンジナビア - バルト海沿岸諸国は伝統的に、旗の右側(旗竿の反対側)に燕尾形の切込みを入れたものを海軍旗としてきた。第二次世界大戦後のドイツ連邦軍も、この伝統に習って海軍旗を燕尾形にしている。平時において、軍艦は、停泊中は午前8時から日没までの時間、航海中は常時、艦尾の旗竿ないし斜桁(ガフ)に軍艦旗を掲揚する。戦闘時においては戦闘旗としての掲揚が行なわれる。海上自衛隊礼式規則(昭和40年5月24日海上自衛隊達第33号)第21条(自衛艦旗を掲揚し又は降下する場合)によると、自衛艦において定時に自衛艦旗を掲揚し又は降下するときは、定時10秒前に喇叭を以て「気を付け」を令して定時に喇叭君が代(帝国海軍および陸軍で使用していたものと同じ喇叭用の曲(喇叭譜)で、一般の楽譜とも陸上自衛隊と航空自衛隊で使用する君が代の喇叭譜とも異なる)1回を奏するものとし、当直士官は、艦橋又は後甲板付近に措いて掲揚(降下)を指揮しつつ、自衛艦旗に対し挙手の敬礼を行う。艦橋及び露天甲板にある者は、自衛艦旗に対し挙手の敬礼を行い、その他の場所にある者は、姿勢を正す敬礼を行う。海上自衛官は、陸岸において自衛艦旗の掲揚又は降下を目撃するときは、その場に停止し、当該自衛艦旗に対し敬礼を行う。音楽隊の乗り組んでいる自衛艦が、外国軍艦と同所に在泊し、定時に自衛艦旗を掲揚又は降下するときは、「国歌」を奏した後外国軍艦の首席指揮官の先任順序により逐次当該国の国歌1回を奏する。但し、外国の港湾に在泊するときは、「国歌」に続き当該国の国歌を先に奏するものとする。自衛艦が外国軍艦と同所に在泊し、定時の自衛艦旗の掲揚又は降下に際して外国軍艦において奏する「国歌」を聞き、又は自衛艦において外国の国歌を奏するときは、艦橋及び露天甲板にある者は自衛艦旗又は当該国の軍艦旗に対し挙手の敬礼を行い、その他の場所にある者は起立して姿勢を正す敬礼を行うものと定められている。かかる取扱いは海上自衛隊以外の海軍においても、基本的に同じである。これらの海上自衛隊における自衛艦旗に関する礼式については海上自衛隊の礼式も参照。また、軍艦以外の船舶は、軍艦とすれ違う際、敬意を表してその掲げている国旗を半下して行なう敬礼(半旗)をするのが通例である。これを受けた軍艦は、軍艦旗を半下して答礼を行ない、また国際信号旗で“御安航を祈る(UW)”を掲揚して応える。国連海洋法条約第20条によれば、潜水船その他の水中航行機器については、沿岸国の領海においては、海面上を航行し、かつ、その旗を掲げなければならないとされており、国旗又は軍艦旗を掲揚すれば、潜水艦も他の軍艦に同じく、沿岸国の領海において、無害通航権を行使できる。
出典:wikipedia
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